Losers/Lovers
ふれんだ(富士伸太)
第1話
実際のところ、高田の骨を折ったのは物の弾みだった。
こんないきり立った言い訳をするのも恥ずかしいが、反撃しようと思って反撃したわけじゃない。ある日の放課後、高田が俺の財布をひったくろうとして揉み合いになって、ついカッとなって殴るような格好になっただけだ。高田は鼻血を出して倒れて、それでも俺の財布を離さず悪態を付いたので蹴った。俺も額を切って血まみれになったとはいえ、相手の肋骨にひびを入れたことは本当に申し訳ないと思っている。でも確かに、高田の奴を蹴っているときは楽しかった。自分の嗜虐心が満たされるのを感じた。気付けば奴は息も絶え絶えで、俺の方の血の気が引いて慌てて保健室へと運び込んだ。
怪我の重さを考えれば、物の弾みだったなどという言い訳が通用する状況ではなかった。だが高田の方は高田の方で、俺への嫌がらせや暴力が他の生徒に目撃されていたり他にも素行不良があったりと潔白と言い張るには厳しい状況だった。高田を弁護するべき高田の親が仕事を理由に一度も顔を見せなかったので初めて高田を哀れだなと思った。結局捲き上げられた金は戻ってきたしある程度殴り返した……というよりも蹴り返したので、高田と和解することにさほど抵抗はなかった。別に仲良しこよしをしろと言われたわけでもない。お互いに不干渉の生活を貫き、軋轢やトラブルに発展させるのは避けようということだ。もはやこれと言って話すことも無い。
ともあれ、結果にはそれなりに満足している。周囲から腫れ物に触れるような扱いになるのは仕方ない。制服のブレザーをきっちりと着て清潔を心がけ、髪型も体育会系らしく短くさっぱりとしているのに不良のような印象を持たれるのは納得いかないが、高田のように攻撃してくる奴が増えるよりは余程マシだった。残りの高校生活を平和に過ごせるのであれば。
「見直したよ、井上」
諸々の面倒な話し合いが終わってようやく落ち着いた生活に戻れる、そう思った矢先の放課後。
校門を出ようとしたところ陸上部の先輩の女性から呼び止められ、そんなことを言われた。
「あの、止めてくれませんか御法川(みのりかわ)先輩」
「恥ずかしがらなくても良いじゃないか。そんな機嫌の悪そうな目をするな」
「いや、元々こういう目なんで……」
「細かいことは気にしない!」
と、彼女はにやついたまま俺の肩を軽く肘で小突く。
それは彼女なりの親愛の表現だった。陸上部内で努力をした人や良い結果を出した人に対して、もれなく彼女はそうしてきた。日々一生懸命練習に取り組み、インターハイという晴れ舞台で褒め称え合う人達が羨ましかったが、惰性で陸上をやっていただけの俺には縁遠い光景だった。
爽やかなショートカットの髪。しなやかさと柔らかさを兼ね備えた、美しいペルシャ猫を彷彿とさせる体躯。細身ながらも爆発的な速さを秘めた神秘的な脚。明るく朗らかな笑みを浮かべて分け隔てなく接する優しさを持ちながら、いざというときは厳しいリーダーシップを発揮する人格者。陸上部の男女含めた皆が彼女に一目置いていた。三白眼で感情が見えなくて不審だとか雰囲気が爬虫類っぽいなどと囁かれる俺とは全く違う。かくいう俺も彼女を尊敬していたし、ほのかな恋心さえ抱いていたかもしれない。
「……高田のこと、止めてやれなくてすまなかった」
「いえ、別に」
「こんなこと言っちゃいかんのだろうが、今までお前のことを不甲斐ないと思ってた」
「そうですか」
同じ部内でいじめなんて見たくもないし関わり合いになりたくないのがごく普通の人間だろう。特に御法川先輩は、まさしくこの高校の陸上部に青春を捧げていた。部内でのいざこざはさぞ頭が痛かったことと思う。
「だがそんなことはなかった、よくやった。お前を非難する奴もいるが、私は褒めるよ」
「高田は怪我しましたけど。肋骨にひびが入ったわけで……」
「男なら喧嘩の一つや二つ経験するものだろう。高田の怪我も……まあ、自業自得さ」
そう言って、御法川先輩は俺の頭をわしわしと撫でた。
親愛すべき女性からそう褒めてもらえることが、たまらなく、たまらなく、
「やめろよ」
たまらなくうざったくて、乱暴に手を払いのけた。
「え……」
「いや他人が喧嘩したなんて耳にして見直したって、アホじゃないですか。自分で何言ってるかわかってます?」
「……怒ったのか?」
「むしろそんな無神経なこと言って怒らないって思ったんですか? 俺が殴られてるのを見て誰かが不愉快になろうが、俺が殴ってるのを見て誰かがスカっとしようが、俺には関係ありませんよ。そういう感想ってドラマの俳優とか芸人とか、顔を出すことを仕事にしてる人だけに留めてくれませんかね」
「……すまない」
「まあ部の空気が悪くなったとか、高田が大会に出場できなくなって影響が出たってことは謝りますよ。なので」
俺は自分の鞄から、A5サイズの小さな書類を取り出して先輩に押し付けた。
「退部します。武田先生に渡しておいてもらっていいですか」
「お、おい、何も辞めることは無いだろう!」
「いや、もう話だけは通ってるんですよ。武田先生はむしろ賛成してくれました。ただ書類だけはまだ出しそびれてたので……先輩が呼び止めてくれて丁度よかったです」
「そ、そういうことのために呼び止めたんじゃない!」
弱気を振り払うように、先輩は甲高い声で言い返してきた。
「……ただ、お前は間違ってないってことを言いたかっただけだ」
「……俺はどっちかっていうと、暴力は間違ってるって言ってほしかったんですよね。俺はできるなら殴り合いじゃなくて話し合いで解決したかったし、こういう強引な結果になったのは悔やんでます。大体間違ってなかったって、俺がケンカに勝ったから間違ってなかったってことですか? それとも間違ってなかったから神様が俺を勝たせてくれたとでも言うんですか? 俺が高田に負けて財布取られてたら、「お前は間違ってなかった」なんて言葉出てきませんよね。馬鹿馬鹿しい。先輩はさっき俺のこと見直したって言いましたけど……」
俺はそこで、先輩の目を、顔を、見つめ直した。
瞳が揺れている。呆然としている。
こんなことを言われるとは、夢にも思わなかったのだろうか。
「暴力を肯定する人って、俺は軽蔑します。先輩のこと見損ないました」
***
言いたいこと言ってやったぜ、という達成感は、帰宅して飯を食べて熱い風呂に入り布団に潜り込んだあたりで完全に雲散霧消した。一体俺は何をやってるんだ、という激しい後悔に襲われる。確かに先輩の上から目線の賞賛や慰めに苛ついたのは事実だが、あそこまで言う必要はあっただろうか。どうしてあそこで「ありがとうございます」と上辺だけでも感謝を言えなかったのだろう。
悶々としたまま床について眠ろうとして眠れず、気付けば朝日が登っていた。諦めて布団から出て朝食の支度を始める。プログラマーの父親も看護師の母親も生活が不規則でたまに家事がすっぽぬけるため、気付けば晩飯の皿洗いや朝飯の準備は俺が担当になっていた。料理は楽しい。作ってる間は何も気にしなくて良いし、腕をかければそれに応じて味覚という報酬が返ってくる。というか学校での日々の勉強、陸上部での練習、そして休みの日はバイトをして合間合間に家事をするという生活は流石にキツすぎた。体を休める暇がない。高田とのいざこざがなくてもいずれ部活を止めていたと思う。思えばそれもちゃんと御法川先輩に伝えれば良かった。退部届についても三行半を突きつけるような形にしなくとも良かっただろう。あとでお詫びを入れて、事情を説明しておこう。むしろこのままでは先輩の取り巻きに何をされるかわからん。いくら温厚な先輩とは言えあれだけ手ひどく言われて何もやりかえしてこないと思うのは安穏に過ぎる。陸上部内としてはこれ以上のいざこざは避けたいだろうから、何かされるにしても無視される程度だろうとは思うが、それでも危険の芽は摘んでおきたい。
などと考えにふけりながら台所に立ち、具が大根だけの簡単な味噌汁とベーコンエッグ、そしてその横に常備菜のほうれん草のおひたしを用意する。米はオニギリ状にして冷凍しておいたものをレンチンして茶碗に盛った。ベーコンはスーパーで売ってる安物ではなく、叔父貴が自ら燻製した本物のベーコンだ。ストレスがたまったときは美食に限る。市販品では味わえない暴力的な旨味がたまらない。
俺が朝食という快楽を堪能していた頃に、父と母がのそのそと起き出してくる。
「なんだ、美味そうなもの食ってるな」
「まだ寝ときなよ」
「いや、匂いがたまらん」
と言って、二人共テーブルに座る。
母さんは基本低血圧なので朝はあまり喋らない。食べるご飯の量も少なめた。だが親指を立ててグッジョブのサインをしているので今日の朝飯はご満悦なのだろう。父さんは胃が強いので朝から山盛りだ。
「あれから……学校は大丈夫か」
「おかげさまで」
「おかげさまもなにも、同席しただけだからな」
「いや、忙しいところだっただろうし、色々クレームもつけてくれたし」
「こっちとしては早引きする言い訳ができた。また学校に呼び出されたら言ってくれ」
「いや普通に帰ったほうが良いんじゃないの」
「そういうわけにもいかんからな……すまん」
父さんも中々の社畜である。残業代や賞与を増やすためにあえてハードな仕事を会社側にお願いしたらしく、そのせいで自分から休を言い出しにくいところがあって難しいところだ。我が家の家計はなかなか厳しい。
「洗っとくからお前は学校に行ってて良いぞ」
「いや、大丈夫。時間あるし」
「お前も朝練は……ああ、無いのか」
「流石に今の状態で部を続けるのは面倒だし馬鹿らしくなった。やっぱりバイトしてた方が楽しいし」
「そうか」
父さんと母さんはそれ以上何も言わなかった。母さんの方は運動系の部活を辞めることに抵抗があったようだが、最近のブラック部活のニュースやら何やらを読ませておいたことが功を奏したのか、表立って反対はしなかった。別に我が校の陸上部は人間関係が悪いだけで体罰も無いのだが、こういうのは匂わせるだけで勝手に想像してくれる。
そんな朝のひとときも終わり、父さんと母さんは身支度をして慌ただしく出て行く。社会人ってのは大変だと思いつつ洗い物を簡単に済ませて家の玄関を出た。残ったベーコンはどう調理して食べようかと脳内で吟味しながら登校して、眠い目をこすりながら授業を受ける。俺と高田の間のいざこざなど無かったかのように平和に授業は進行した。クラスメイトも俺の聞こえるところでひそひそと噂話をする程に無節操な人は居ない。周囲も適度に無関心不干渉を心がけてくれる程度に大人だった。皮肉ではなくありがたいと思う。これが中学だったら露骨にあれこれ言われていただろう。もっとも陰で何を言われているかは知らないが、俺の聞こえないところで言う分には好きにしてくれという気持ちだ。
放課後になって、そういえばもう部活に行かなくて良いのか、ということに気付くと妙に肩の力が抜けていった。校舎の上の方から金管楽器の音が聞こえ始めた。校舎と校舎をつなぐ渡り廊下では体育館の使用権利をバレー部に奪われた弱小バスケ部が筋トレをしている。部活を辞めてこういった枠組みの外に居るとなんとなくノスタルジックな気分にさせられるが、かといって戻りたいとも思わない。さらば体育会系の青春。もう二度と来ねえよ。
さて、浮いた時間はどうしよう、勉強に当てるか、春休み中に買って放置したままのゲームを進めるか、いや、どうせならバイトのシフトを増やしてみるか。時間の余裕は心の余裕だ。夢が広がっていく。幸いなことにバイト先ならば人間関係も悪くない。いずれ店長に相談してみよう。希望のある選択肢が自分の手の中にあることに、少しだけ晴れがましい気分となった。だから、先輩へのお詫びのメールでも打っておこうか。
そう思って校門を抜けて帰宅の途につこうとしていたときに、またも彼女は俺の目の前に現れた。
「やあ、井上」
「御法川先輩……」
御法川先輩はしゅたっと腕をあげて挨拶してきた。
昨日、俺の背中を小突いてきたときと同じく、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
俺はたいそう苦々しい表情をしているのだろう。顔がひきつるのを理性で抑える。
「えっと……部活はどうしたんですか」
「風邪を引いて休んだ」
「大丈夫ですか」
「ということになっている」
「……そうですか」
明らかに俺のせいでサボってますと言ってるようなものじゃないか。
「今、暇だろう?」
「あー、その……」
用件によりますね、と答えたいところだが、付き合わないとまずいことになるぞ、という予感がひしひしと感じる。
「……ヒマです」
「正直は美徳だな、うん」
昨日の皮肉ですかね。
「茶でもしばきにいかないか?」
「古いナンパですね」
「私は再放送が好きでね、よくケーブルテレビで昔の番組を見てる。それじゃ行こうか」
御法川先輩は有無を言わさずにすたすたと歩いていく。
仕方なしに俺もその跡を着いていく。
***
「先輩はコーヒーでいいすか。それとも……」
「ああ。それとチョコチップスコーンと……いや、アップルパイも捨てがたいな」
「え、食べる気満々なんですか」
俺は御法川先輩と共に、通学路とは少し離れた場所の喫茶店に入っていた。俺の財布的にあまり奢る余裕は無いんだが仕方あるまい。うら若き女性に言葉責めした代金だと思えば安いものだろう。どちらかといえば食事を摂ることで先輩と二人きりの時間が長引くことの方がストレスかもしれない。さっさと謝って切り上げよう。店員を呼んで注文を伝えたところで「あ、やっぱりワッフルも追加で」と先輩が言葉を被せてくる。そんなに食べられるんですかねあなた。
「まず先輩、昨日はごめんなさい。言い過ぎました」
店員が去ったと同時に、俺は間髪入れずにそう言って頭を下げた。
「その、自分もちょっと冷静じゃありませんでした。慰めてくれようとしたのにひどいこと言ってしまって」
「……」
「不躾な態度を取ってしまいました……先輩の気持ちも考えないで」
御法川先輩は、俺の言葉に何も返さなかった。難しい顔で思案している様子だった。
店内の有線放送からは曲名もわからないクラシック音楽が流れている。
ゆったりとしたメロディはきっと心に落ち着きを与えてくれるのだろうが今の俺に通じるほどでもなく、俺はただただ居心地の悪さを感じていた。
「おまたせ致しました」
と、気づけば店員がコーヒーとアップルパイとスコーンとワッフルを持ってくる。どれもけっこう大きいんだがこの人食べられるんだろうか。だが、コーヒーを飲んで食べ物を食べ終えてしまえばそれじゃあさようならと切り出せる。とりあえず俺の言うべきことは言ったのだ。あとは先輩がどう解釈するかの問題で俺は知らん。
「そんなホッとした顔をしなくても良いじゃないか。私と居るのは苦痛か?」
「え、あ、そんなことは……」
「大体、ごめんなさいなんて心にもないことを言われてもな」
「心にもないって……申し訳ないと思ってるのは本当です」
「嘘を言わなくても良いだろう」
「嘘って、そんな……」
御法川先輩の目を見ないように、コーヒーを飲む。
これは、相当、怒っているな。しばらくこの針のむしろのような時間が続くかと思うとうんざりしてくる。バイトがあると言って逃げてしまいたくなる。店長が突然シフトに入ってきてくれとお願いの電話をかけてくれないだろうか。だが逃げては後が怖い。耐えるしか無い。
「だって、昨日の君の話は嘘偽りの無い本音だろう? 撤回するつもりはないだろう? なら、謝ったらダメじゃないか」
「はぁ……」
だったらどうすれば良いんですか、とでも聞こうと思ったが、こういう状況で言うのは火に油を注ぐだけだ。
この人は部の中心人物だ。慕う人は多いし俺もそうだった。今更過ぎる話だがこの人に敵視されると非常に厄介だ。だがこうして俺にちくちくと責めて来るところを見ると、この人も当たり前の人間だったんだなと思う。この嫌味も、彼女の怒りが収まるまでまで甘んじて受け入れよう。そうすればこの人を慕う気持ちもなくなり、部活への未練も断ち切ることができる。この状況にだってほんのわずかばかりのメリットだってあるのだ。
そう思ってこの場に臨んでいたが、全く予想外なことに、先輩が俺に頭を下げた。
「だから、謝るのは私の方だ。すまなかったな」
「……はぁ!?」
「はぁとはなんだ、はぁとは。お前は素が出ると態度が悪くなる」
「す、すみません……でも、こう言ったらなんですけど、怒ってないんですか?」
「いいや、怒ってないさ。傷つきはしたけれど」
「すみません」
「だから謝らないでくれ」
「いや、実際暴言を吐いたわけですし……。それに、あれだけ人をこきおろしたのは生まれて初めてで」
「私もあれだけけなされたのは初めてだよ。面と向かって軽蔑してますなんてアニメやドラマの悪役になった気分だ」
「それは……すみませ」
「だがね」
御法川先輩は、俺の言葉を遮るように言った。
「つい本当のことを言って傷つけてしまってごめんなさい、なんて気持ちで謝られても、こっちが惨めなだけだよ。むしろ私からの謝罪を受け取ってくれるほうが私としてはまだ気持ちとしては救われる」
俺はここで、今日初めて御法川先輩のことを正面から見た。
頬杖をついて笑っている。
言葉そのものは殊勝で、謙虚で、まさしく大人の風格を漂わせているのに、目と声色はまるでこちらをいたぶるかのように楽しげだった。どうも俺は、この人のことを見くびっていた。もしかしたら心の何処かで、この人が俺と同レベルに低俗だったなら、という期待をしていたのかもしれない。
「……わかりました、それで先輩の気が済むなら」
俺がそう言うと、先輩は俺の目を正面から見つめ、そして頭を下げた。
「無神経なことを言ってすまなかった」
綺麗なお辞儀だ。先輩の大人びた態度は俺の幼さを浮き彫りにしてしまう。このように謝罪をするというのも大人の態度であれば、きっとその謝罪を受け取るということもきっと大人の態度なのだろうと思った。逃げ回ろうとした俺が幼かったと認めよう。
「……はい、確かに聞きました」
「じゃあ許してくれるってことで良いかな?」
「それはもちろん……それと、俺もやっぱり謝らなきゃいけないと思います。先輩の手を叩いたようなもんですし。あれはよくなかった。ごめんなさい」
それを聞くと、先輩は満足げに微笑んだ。
「それじゃあ仲直りのしるしだ。たくさん食べたまえ。育ち盛りだろう?」
「いや流石に奢らせるわけにはいきませんよ……ていうか育ち盛りは先輩も一緒でしょう」
「私には奢られたくないのかい?」
「酔っ払いみたいな絡み方しないでください」
そんな談笑をしながら二人で食事を楽しんだ。スコーンは女性の握りこぶしくらいのサイズはあるために苦労するかと思いきや先輩はぺろりとたいらげた。放課後の部活はサボるために朝練の負荷を上げたらしくお腹が空いていたらしい。俺はワッフルをつまみつつコーヒーを楽しむ。部活を辞めて言いたい放題罵って初めてこうしたふれあいができるというのは皮肉にも感じた。先輩の方もどこか普段よりくだけた感じがする。
「さて、そろそろ本題に入ろうじゃないか」
ワッフルの盛られた皿が空になった頃合いに、先輩がそんな言葉を口にした。
「……ええと、さっきの話が本題じゃなかったんですか?」
「前座だよ。これからの話のための」
と言っても、先輩が俺に話すことなんて……って、一つあったか。恐らくは退部届の件だろう。
「あの、申し訳ないんですが部活に戻る気はないんです。居づらかったって理由で辞めたわけでもないので」
「そうなのか?」
「バイトとか……家のことで忙しくて土日練習もあんまり顔出せてませんでしたし、良い機会だったんです。正直、時間の余裕がなくて、このまま在籍してても休みが増えるだけだったと思います」
「……深く聞かないほうが良いのかな」
「家庭の事情なので、そうしてもらえると……。細かいことは全部顧問に伝えてはいますけど」
「……周囲の部員に配慮して辞めるとか、あるいは他の部員達が辞めろと言い寄ってきたとか、そういうことではないんだな?」
「ああ、それは違います。辞めるのはあくまで俺の事情ですし、むしろそういうことを言われたら幽霊部員として居座ってやりたくなりますね」
「っ!」
何かツボに入ったのか御法川先輩は吹き出し、口元を抑えて笑みを隠そうとしている。
「はは、まったく、面白いこと言うじゃないか。部としては困るが……ちょっと見てみたい光景だな」
「いや、これやる方もやられる方もストレスたまりますよ」
「まあ、高田の取り巻きに嫌がらせをしたいならいつでも戻っておいで。退部届は出しておくけど、復帰しちゃいけないなんてルールも無いしね。まあそれはともかくだ」
「ん? 部に引き止めるって話じゃないんですか?」
「井上も早とちりだな」
「失礼しました。じゃあ、その本題ってのを聞いても良いですか?」
「ああ」
御法川先輩は頷くが、口火を切る前に店員を呼び止めてコーヒーをおかわりした。
俺はお冷だけを貰い、手持ち無沙汰を慰めるように飲む。御法川先輩がこんなマイペースな人だと言うのは意外だな。確かに人を引っ張っていく雰囲気の人だが、マンツーマンだとこんな個性的な人だったのかと感じる。
「……よし」
御法川先輩はコーヒーを飲み干して、何か決意めいた表情を俺に見せる。
「なあ、井上」
「はい」
「私と付き合わないか?」
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