シャクヤクの夢6


「んーと……。ともかく、私は貴方が誰なのか存じ上げないわね」

 サクラコは先程までこの男に吊し上げられていたというのに、左手を顎に添えながらえらく落ち着いた調子でグラジオラスへ語りかけた。

 グラジオラスはせっかくの眉目秀麗な顔立ちを歪ませ、頬をひくつかせながらも、かろうじて冷静さを保っていた。ないしは装っていた。

「はぁ。サクラコか。結局お前か。……、まぁ良い。どのみち、俺は少し度肝を抜かれたというか、シャクヤクにしてやられたせいで頭の整理が追い付いていない。どれ、少しは話談に興じてやろう」

 言いつつ、グラジオラスはこの場にいる残り全員を、次こそ小癪な手で逃げられることが無いよう、完膚なきまでに確殺できるよう、時間を稼いでじっくりと根を張る気満々だった。自信はあるとはいえ、相手はあくまでチームA。夢園師最有の集団。念を入れるに越したことはない。

「サクラコ。お前が逆に述べろ。貴様がどこまで物事を判断できるお嬢ちゃんなのか天秤に据えてやろう」

「フリージアの血縁?」

 サクラコは先程シャクヤクが興じたのと同じように、彼の言葉尻を捕らえたと同時に即答した。

 グラジオラスがシャクヤクを想起してイラっとしたのが手に取るように分かったが、サクラコは動じなかった。もとより彼に隙を見せることは言語道断であるが、それ以上に彼には会話の席に執着してもらわなければならないとサクラコは踏んでいた。彼女としては時間も稼ぎたかった。解決の糸口。いずれ暴力という選択肢を取らなければならなことが明白であったとしても、それを見極め選ぶ過程というものは必ずなければならないという心慮。サクラコはグラジオラスを見据えていた。

「ハハハハハハ。シャクヤクの真似事か? それともお前みたいなやはり乳房のでかい淫乱そうで軽薄そうな女というのはあの男のような背丈の馬鹿でかい男が好みだったりするのか?」

「そうね。私彼には少なからず好意があるわよ。でも人間的に惹かれるのかしらね。恋慕ではなくて恭敬かもしれない。いえそれも漠然としたものよね。いずれにせよ彼が一番ということもないし、そんな彼よりも貴方には惹かれないわ」

 またしてもサクラコは彼の言葉尻と同時に即答すると、グラジオラスが更に脳の血管をビキビキと鳴らしているのが如実に感じられた。

 ――これ以上は危険ね。

 グラジオラスはあくまで器量のある大人の余裕を垣間見せながら言った。

「はあはあ結構結構。俺もお前のようなのは好かん。して、多少お前が弁論の猿真似ぐらいはできるやつだとは認めてやってもいい」

「いえ、こんなのはただの売り言葉に買い言葉よ」

「それもそうだ」

「じゃあ、話を次に進めましょう?」

「どこに移す?」

「移さないわよ。貴方は誰なのか説明してくれれば」

「それで足りると?」

「足りないわね。だけど、先に述べた通り、貴方はフリージアと何らか繋がっていて、それが明らかになれば随分と違ってくるはずだもの」

 フン。グラジオラスは鼻をならすと、返答した。

「フリージアの血縁だったからこんな事態になりました、ではあまりに俺の学が無さすぎるだろう。お前はまさか、俺をその程度だと据えているのか?」

「いいえ、貴方には企図があり、最終的なゴールを見据えた強い眼差しを感じる。毅然たる野心を感じる。それに有智高才だとは最初から思っているわよ。だけど変よね、貴方。どこからどこまでも変だわ。私には貴方が人間ではないような気さえしてしまう。その引っかかりの正体を教えて頂戴」

「そのものだよ」

「……え?」

「そのものだ」

 グラジオラスはハァと、溜息を吐いた。

 辺りは暗がり。彼の瞳の虹彩色まで看破しろと命ぜられれば、不可能ですと返すほかないが、しかし彼の首を垂れる様は良くみえた。彼の佇まいはまるで空に浮かぶ月の模様のように澄まされていた。それは美しい男に他ならなかった。フリージアと同じく『美しい』に尽き、そこにこじゃれた形容をするのはもってのほかだった。

 だが、彼はどこか子ども臭かった。幼かった。

 身なりは成人のようだが、まるで彼はこの世に生を受けて日が浅いとでもいうような、稚児の幼稚な嫉妬心であったり、顕示欲だったり、承認欲求を人一倍内包していた。だが彼はそれにしては知能気が高すぎ、それが前述の有様とぶつかって、奇妙だった。

「フリージアの分身? それともフリージアの夢における異能がまた開花したとでも言うのかしら?」

「ないなそれは。もうわかるだろう? わかってるんだろう?」

 今度はサクラコが溜息を吐いた。確かにその大袈裟な胸ばかり目立つ女ではあるが、しかし彼女とてそこそこ背も高ければ、それなりに映える相貌はしていた。慧眼もあった。真心もあった。だが彼女は彼女で、頑強な精神力というには程遠い、氷柱の上に立つような不安定さが内包されていた。彼女にはいつも苦難が付き纏っていた。

「そうね。貴方がフリージアそのものなのではないかとはずっと感じていたわ。でも『そのもの』なんてやっぱりおかしな表現でしょう?」

「多重人格障害はもはや今の時代では珍しくもなんともない精神疾患だと、俺はこの時代を憐れんでいるところではあるが」

 ――なるほど……。

「だがな、お前達のことをゴミのような目で俺が見据えているのはつまりそういうことなんだよ。お前達は夢園師で選りすぐりだとか勝手に自負しているのかもしれないが、フリージアのことを何一つ理解してやしない。所詮は他人をおもんぱかる器量も、資格もないゴミ同然なんだよ。だからそれが、心のヒーロー気取りというのが俺にはむせ返るようなんだよ」

「つまり、フリージアが内面では今の貴方が述べたすべてのことを感じているということ?」

「そうだな。そうかもしれん。実を言うとな、確かに俺はフリージアそのものだが、もうそのものではなくなったと換言できるぐらいに乖離しつつある存在だ。フリージアがそれを望んだ面もあるし、俺自身が独自の自我を強めてそう企てた節もある。実際のところは今現在の俺の存在を、フリージア自身がどこまで預かり知っているかは知らぬ。だがな、俺はフリージアが好きなんだよ。愛しているんだ。ふざけた話だろう? 俺はなぁ。何と事もあろうに、二重人格の端くれだというのに、狂喜乱舞するぐらいあの女に情愛を持ったという訳だ。滑稽滑稽」

 サクラコは続けた。

「なるほど、それでは実際のところはフリージアに確認しない以上、わかることはないわね。貴方の正体ってものは」

「ククク、そうかもしれん」

「わかったわ。だけれど、ここまで来たらフリージアがそうならざるを得なかった辛く苦しい過去の断片を汲みたいものだわ」

「はっはっはっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 グラジオラスは自分の顔を手で扇ぎながら笑った。火照り返す自分の憎悪を冷ましたいと言わんばかりだった。

「ほおら来たそら来たぞ。お前ら偽善者はいつもそうだな。心配なんだろう? それは本当なんだろう。お前というサクラコと言う個性ならば他の下等生物とは違って確かに心配なんだろう。そこまでの領域には来るんだろう。だがなぁ? お前は後付けなんだよ。そうやって後付けで人に手を差し伸べようとするなよ、なぁ?」

 サクラコは少しだけ唇を噛んだ後言った。

「ごめんなさい、その通りね。私はフリージアのことを何一つ理解していなかったかもしれない。沢山コミュニケーションは講じてきたつもりだったわ。私だってね、自分の人生の殆どが記憶として脳から掘り出せないのだから。日々がとても窮屈で厳しかったこともある。だけれどだからこそ、ボタニカルで出会った人たちとは可能な限りお話というものをしてきたつもりでいたわ。それでもそうね、私達は特異な身分であるし、奇天烈破天荒なキャリアを持つ者も少なくなかった。そんな中で、確かにフリージア。彼女は少しばかり埋もれていたのかもしれない」

 あるいは星々煌く夜空に美しさを見出す最中。

 一体どれだけの人が、その夜空に息を呑みながらも、

 一体どれだけの人が、その星一つ一つに気を配ってくれるというのだろうか。

 サクラコは当然、強く悔いていた。だけれど、彼女とて精一杯の上でも、わからないことは沢山あるまだまだ若い時分だった。成長の必要ある時分だった。

 であるからこそ、サクラコはフリージアの気品あふれる様に対して、そこにかんして疑念を抱いて根掘り葉掘り、『美しい』夜空の像を、ピックと金槌で叩き壊していく真似はできなかったのだった。

 フリージアを自己が目指すべき、善を尽し美を尽す理想像だと憧れていたからこそ、サクラコは今一つフリージアへの踏み込みが足りなかったのである。


 ふと、サクラコはリナリアの言葉を思い出した。

 彼女はサクラコには二面性や三面性を見抜く力があるということを言っていた。

「ふふ……まさしく買いかぶりよ……」

 サクラコは自嘲気味にそう嘆き、いかに自分が足りない人間であるかを自覚していた。だがリナリアが果たしてどこまでを解ったうえでそう述べていたのかはこの時のサクラコには知る由もなかった。


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