シャクヤクの夢5

「アズサっ!!!!」

「ぐ、ぐ、あ、サ、サクラ……あ……」

 アズサの顔は非常に蒼褪めていた。正に危篤の状態といえた。

 サクラコはツタが自身に触れている感触はなぜだか一切なく別段辛くもないが、どうやらアズサにだけはツタの感触がはっきりあるらしかった。いや、あるいはサクラコにだけそれがないのかもしれなかった。

 不味い。このままでは呼吸困難だけではなく、果ては激痛によるショック死もあり得る。事態は一刻の猶予もない。

 だがサクラコがいくら体を動かそうと渾身の力を込めてみても、全身に絡まったツタはビクともしない。もとよりその感覚がないのだからツタを押しのけようとしている実感さえない。

 そんな成すすべもないサクラコとアズサを傍目で見て、グラジオラスは大きな高笑いを講じた。

「はっはっはっ。呆気ない。こうも呆気ないのか! アズサ。お前は戦闘要員の中では上の方の素質だったんじゃないのか。それがなんと。なんと弱い。雑魚過ぎる。ククク。ははは。アハハハハハハハハ。さて次は誰だ? 誰が死にたいんだ? お前らなんて俺一人で十分じゃないか? あぁ? 結局浅見がやりたかったことはこの程度の陳腐な連中によって成り立っているのかぁ? ふざけすぎている。ふざけすぎている、やはり俺とフリージア以外に能力があるなどとおこがましいにもほどがあるぞぉ。これならば初めから一芝居打つ必要性も皆無だったということか。馬鹿馬鹿しいお前らの戦闘力を少しばかり上に見積もっていたのは俺の方だったとは」 

 青年は得意気にツラツラとサクラコには要領を得ない台詞を続けていた。

 アズサの短刀によって背中を刺され、血もボタボタと垂れているというのに、まるで痛覚を忘れているかのような陽気な態度だった。

 サクラコは隣で意識が消えそうになっているアズサを何とかできないか必死で頭を回転させる。

 だが、状況はあまりに絶望的。サクラコはアズサが狂い悶えながら、ついには意識が絶しかけている様をただ見つめることしか叶わない。

 ただその光景を見て目を潤ませている場合ではない。逆さづりになり腕も塞がっている手前、これ以上涙腺を緩ませると、視界が歪んでしまう。


 他のメンバーもアズサの予想外の敗北に思わず涙をしたためている。


 と。

 いう訳でもないようだった。


「まったく……」


 そう、それは本当に一瞬。天地の逆転。形成の逆転。即ち正常への回帰。

 あっけなく。そして迅速に。

 サクラコとアズサは救出された。

 サクラコは気付くとアベリアの眼前に直立していた。

 アズサは気を失っているのかすぐ横に寝かされ、カモミールが手当てに入る。

 ふとサクラコは金髪の青年の方へ振り向いた。当然ではあるが、あまりに性急な状況変化に全く何が起きたかわからないというような目でこちらを呆然と眺めている。


「また二日間ぐらいは寝たきりの女の子を看病しないとだね」

 カモミールがアズサの手当てをしながらアベリアへウィンクする。

「二日で済めば良いですがねぇ……」

 アベリアはそう言い残しながら、すぐにサクラコの胸へ倒れかかり、そして意識を途絶させた。

「アベリア! 大丈夫ですか!? アベリア!」  

 サクラコが既に意識のないアベリアへそう叫ぶのをギボウシが制した。

「サクラコ。君はどうも人を揺すってしまう癖があるようだ。心配なのはわかるけど、命に別状がないのは毎度のことだ。気を失ってるだけなんだから落ち着こう」

 ギボウシにしては優しい声かけだった。

 サクラコは言われてみればその通りだったので、すぐさまアベリアを揺するのを止める。

「ごめんなさい、私……」

「良いんだ、僕がアロエに襲い掛かったのが今回の引き金でもある。始末は僕がつけよう」

 しかしそういって立ち上がったギボウシの瞬間をつくようにシャクヤクが口を挟んだ。

「グラジオラスは俺が話をつけよう。ギボウシは怪我人を護衛してくれ」

 ギボウシはピクッと眉を動かし、あまり得心の言った風ではない不満そうな表情を一瞬浮かべたが、やがていつものように両手を広げ肩をすくめた。

「……好きにすれば?」


 シャクヤクは初めからここまで予定通りだったのか、それともそうではなかったのか。相変わらず無感情で無表情で、ビタ一文、何を考えているかわからないその伽藍洞の瞳に、虚空と空虚を混ぜ合わせていた。

 それにしても不自然だ。サクラコは思った。

 ガーベラがアズサを看病中のカモミールにあれこれ言って邪魔になっているのはいつものこととして、この場にはもう一人場面に似つかわしくない行動をしている者がいた。

 それは赤髪で長身のアロエに他ならなかった。

 アロエは何故だが、先程からずっと端の方で俯き加減に佇んでいた。

 まるで生気が抜けているかのようだ。

 そしてそのアロエをどうやら、サクラコ以外誰も視認していないようなのである。

 「グラジオラス」

 だがサクラコはシャクヤクがそう言い放つのを聞き、アロエよりそちらの方を注視せねばならないと気を改めた。

 ――グラジオラス? 

 そういえば先程から一体それは何の単語なのか。サクラコは一瞬そう思ったがすぐに恐らく金髪の青年の名であると直感した。 

 シャクヤクは淡々と機械のように続けた。

「一つ。説け。お前という存在について」

 グラジオラスは怪訝な顔をした。

「はぁ? 突然何を言っている? それさえ理解できぬこのド低脳共に今更丁寧に教えたところで何がわかるというのだ。どんなトリックを使って俺のツタからそいつらを解放したか知らないが、たったそれだけのことで思い上がるなよ? シャクヤク、お前とてどうせ大したことはない。今すぐにでもぶっ殺してやるよ」

「さて……。少なくともサクラコがわかれば今はそれで良い。お前は語り手のようにただ過去を話してくれれば良い」

 グラジオラスの言などまったく聞いていないのか、シャクヤクはただひたすらにグラジオラスに語りを促す。

 金髪の青年、グラジオラスは犬歯を剥き出しにして歯を軋ませ今にもシャクヤクに飛び掛かりそうな気配だったが、やはり易々と挑発に乗るのは危険と考えたのか、やがて気持ちを無理矢理飲み冷静風を装って口を継いだ。

「は、サクラコ? そんな胸ばかりデカいノロマの女に事態を理解させて何になる」

 ――失礼ね……。 

 グラジオラスは言葉を続ける。

「そもそも貴様自身が今説いてやれば良いだろう。俺の名前を知っているということは、少なくともシャクヤク、お前にはそれだけの知恵はあると見える」

 だがシャクヤクは彼の「~見える」という台詞が終わったと同時に即答した。

「いやサクラコと次に会話するのは冬になるだろう。どちらにせよ今俺はお前の相手をしている暇はない。ただアズアズを傷つけられて僅かばかり神経が過敏になったという個人感情の問題だ。ああ。そうだ。個人感情。感情? ……。いずれにせよお前にはやるべきことがあるしいずれにせよチームAはお前を含めやらなければならないことがある。必ず、誰一人俺はお前らに死んでほしくないし死なせたくない」

 グラジオラスはそれを聞くと怪訝そうに眉をひそめた後、クツクツと笑った。勿論彼は喜んでいるのではなく苛立ちが頂点になってわざと笑っているに違いなかった。

「はぁ? まるで貴様は何もかも先の話までわかっているみたいな口ぶりだな。神様になれるクスリでも貰ったのか? ハハハハハ。良いな良いな、良いよなぁ。神様。俺も全能になってみたいものだお前みたいに。おクスリを飲んでな。ハハハハハハハハ」

 しかしシャクヤクは彼の「~ハ」が言い終わると即答した。

「任せるぞグラジオラス。では俺はそろそろ行く」

「は?」

 ちょっと待て、と思ったのはグラジオラスだけではなくサクラコを含めて全員だった。

 しかし、シャクヤクはその圧倒的な上背を持った自身の巨体をまるで透明マントでも被ったかのように一秒も待たずに消失した。

「……は?」

 しばしの無音。沈静。

 グラジオラスはポカンと口を開けていたが、それはこの場にいる全員の心境も同じようなものだった。

 一同、しばらく事態が理解できないまま各々思想に耽っていると、やがてガーベラが暢気な調子で前へ出てきた。グラジオラスとは違い寸分たがわぬ正真正銘の暢気さだった。

「やっぱりせーたかのっぽのおじさんって意味不明だよねー。こんな全て投げ出して消えるとか無責任にもほどがありますわい。それにイケメン枠ならカモミールで足りてるんだからさぁ。あんなおじさんあたしらには要らんのです。まぁカモさん妻子持ちだけど……。ともかく、あーいう人に飴玉貰ったからってついて行っちゃだめだよ、サクラコ」

「行かないけれど、ともかく……」

 サクラコは自己の役回りを悟ったので、グラジオラスと相対した。

 十数メートルほど離れてはいるが、何故だか互いの声ははっきり聞こえるため問答には不自由しないだろう。

 ここがシャクヤクの夢の中だというのなら、彼が消えたこと自体全くもって理解できないし、カモミールの治療を受けているとはいえアズサも芳しくないことには変わりないし、また、アベリアが駄目だとすれば我の強いギボウシやガーベラに弁を任せる訳にも行かない。

「はぁ……」

 いずれにせよサクラコは間もなくしてグラジオラスへ口を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る