シャクヤクの夢3
深緑色のツタによって逆十字に張り付けられたサクラコ。
ツタはじわじわと手足だけでなく次第に腹部胸部首元まで、サクラコの着用していた地味な紫のジャージ及び身体がすっぽり隠れてしまうほどにみっしりと覆い被さった。
しかしサクラコとしてはツタの感触が一切生じていないために、特に息苦しくも痛くもなかったため、なんだか変な気分だった。
これも夢の影響なのだろうか。
「ああ、そこまで覆い被さっちゃうとあんまりエロくないよね。せっかく出た触手なのに。もっと胸とかお尻を強調してくれないと」
「まったくですな、これじゃただの着込んだおばさんみたいだよ」
サクラコはそのような軽率な発言が耳に入ってきたため語気を荒げた。
「ちょっと、アベリア! ガーベラ! 何を場違いなことを言っているのですか!」
「あ、ごめーん、聞こえちゃった?」
「もう……」
サクラコはただでさえ身体が上下反転したせいで頭に血が逆流しているような不快感を帯びてきているのに、その不快感が更に加速しそうになる。
しかしそれにしても今のやり取りはやはりおかしいとサクラコは思った。
いや、無論エロいとかエロく無いとかそんなはしたない事ではない。
そう、声の届く距離の話だ。サクラコとアベリアらは今、互いが目視できないほどでもないが、それなりに離れた距離関係にある。つまり、あんなアベリアのボソリと言った一言がここまではっきりと耳へ入ってくる訳がないのだ。
――したがってこれもつまり夢の影響?
サクラコがそのように思慮していると、金髪の青年が酷く苛立った調子で声を張り上げてきた。
「おい、お前ら俺を舐めてるのか! 俺は今全員この場で死んでもらうと、そう言ったんだぞ!」
だがメンバーはさして意に介していないようだ。
それもそのはず。
ここが現実世界でありこの青年が連続殺人鬼というならば、メンバー共々緊迫の表情に包まれていたことだろう。
だがここは我々の領域。
即ち夢の中なのであった。
園芸師が花に集る虫が怖くて作業ができない。
そんな話があるだろうか。
いや……。
「シャクヤク? ここはあんたが連れてきたあんたの夢で間違いないんでしょ?」
久方振りに口を開いたアズサが言った。
「はあ。そうだが」
それに対してシャクヤクが素っ気なさすぎる具合に短い返答をした。
まるでアズサから「あんた」と言われて少し気落ちしているようにも聞こえる声色だった。
対するアズサはシャクヤクにまるで興味がないような調子で続けた。
「はっ。あっそ。なら、もう細かい事は良い。後で考えれば。とにかく、こんなのさっさと終わらせる。早く現実に戻ってアロエにも事情を聞かないといけないし」
――?
サクラコはアズサのそんな態度は大変アズサらしいと感じたし特に異論もなかったが、しかし後半の物言いに違和感を感じた。
――アロエにも事情を聞かないといけない? 今あなたのすぐ傍に当の本人が珍しくしおらしい雰囲気で突っ立っているのだけど……。
台詞から間髪入れずにアズサはサクラコ側へと動き出す。
カラン。
どこからともなく下駄の音のようなものが聞こえてくる。
そうかと思うと、アズサの右手には何時の間にか、その愛用の短刀が握られている。
近づいてくるアズサへ青年は敵対心を剥き出しにして言い放った。
「おい、それ以上動くなアズサ! ……。はぁ、まぁ良い。止まらぬならばその品の良い顔もグチャグチャにしてやるぞっ!」
カラン。
しかし、その下駄の音はまたしても小気味よく響いてくる。
青年の脅し文句を物ともしないアズサは、その握っている短刀にフィッという鋭い音を立てながら空を斬らせ、撓らせている。
「は? なんで私の名前知ってるの。どこかで会ったっけ? まぁでもどっちにしろ……。私……あんたみたいな女顔の男好きじゃないんだよねっ!!」
突如サクラコは視界がグニャリと歪むような錯覚を受けた。
思わず目を瞬く。そしてそれが終わったかと思うと、目の前の光景に思わず見惚れた。
星降る夜空の下。
暗闇に溶け込んだままサラサラと揺れる艶やかな長い黒髪。
月明かりに照らされる彼女のシルエットは、逞しさと美しさが共存している。
そしてその彼女の像は、なんと一つではなく、計七つに横並びとなり、清く棚引いていたとあっては、感嘆させられるほかない。
カラン。三度下駄の音は鳴り響く。
無論、既にサクラコは既知である。これはアズサの技。それが生み出した七つの虚像。即ち幻影。
しかし、仮にそれが幻だとわかっていても、ここまで凛と艶めく美女の七つのシルエットが、見事綺麗に横一線となり、視界の端から端までピタリと嵌め込まれたとあっては、青年を含めメンバー全員が息を飲むのも無理は無かった。
さて忽然と生じたアズサの虚像。
この七体には若干の差異がある。
それは手にしている得物の長さである。
銀色の刃がギランと妖しげな威光を放っているのはどれも同じだが、その刃の長さは左の像から順に徐々に長くなっている。最も右端のアズサの虚像が握っているのは最早短刀と呼ぶには相応しく無く、よもやれっきとした日本刀である。
さてこの違い。光の屈折などから起こる単なる目の錯覚なのか。
金髪の美青年、女顔と揶揄されたフリージアと似通った容姿、更に全く同じ服装をした青年。
即ちグラジオラスは苦悩と焦燥に包まれていた。
なぜならアズサがこのような特異な技を使用するなどという情報はボタニカルの連中から聞き及んでいなかったからだ。
元よりそこまであの浅見真澄の配下連中に期待はしていなかったが、まさかアズサとやり合う可能性など想定していなかったために単純にそこが痛手となってしまった。
そもそも、シャクヤクさえ表れなければこの大馬鹿メンバー達が勝手にやり合って全て終わりだったのに。
だがグラジオラスの中に少し退屈な心情があったのも事実だった。アロエを強姦者に仕立て上げるなどよくよく考えればチープであまりに幼稚な作戦であると彼はどこかで残念がっていた。
あるいはこのような予想外の展開に期待していたのかもしれない。
さて。
グラジオラスは気を取り直して思考した。
虚像。であるとすればこの七つに横に並んだ神秘なる影の内、一つが本物のアズサということだろう。
ならば狙うべきは当然本物。
グラジオラスは更に地面からツタを発生させる。
それが彼の自慢の能力だったからだ。
サクラコをそれで雁字搦めに縛っているというのに、ツタはまだまだ地面から産声を上げる。
そのツタらを中空でシュルシュルと器用にまとめ上げ、彼は一つの鉄球にも似た丸いボール状のものを造り上げた。
ははは。
それなりに大きな球体を作れば虚像の三人分くらいには同時に命中させられるだろう。
更にもう二つ作れば、九人分、即ち七つ横並びとなったアズサの虚像のどれが本物かなど考える必要すらなく、必中させられるという訳だ。
しかし夢の中とは言え自身の精神力には限界がある。過度な創造を繰り返し脳を酷使すれば最悪死も有り得る。特にフリージアの裏人格に過ぎないグラジオラスは、脳を彼女と半分に分けあっているようなもの。それでもフリージアの精神がどういうわけか完全に眠っている今ならばある程度の無理も効きそうではあったが、しかし、今後の展開に予想がつかない以上やはりリスクは避けるべきであるといえた。
構えるグラジオラス。編み込まれたツタのボールが、結局のところ彼の思惑通り、彼の頭上に三つ浮遊していた。
それらは空中で急速に回転を始める。そのスピードとズシリとした質量を考えれば、人が命中すれば間違い無く致命傷になるだろう。
グラジオラスはそのボールの行き先を定めた。といっても、各一つずつアズサの虚像の左2番目、5番目、7番目と狙いを定めるだけである。7番目側のボールはややはみ出る形となるが、もしその7番目の像こそ本物のアズサだった場合、彼女が横に逃げ飛ぶことすら許さないという良い保険になる。
アズサが元々所持していた短刀のサイズ。それはだいたい計7体の像の内、左から三番目ぐらいの大きさだった。
最も右の虚像が持つ短刀など最早殆ど日本刀の如き長刀。
単純に考えれば、一番右の虚像が本物など到底考えられない。
しかしだ。
逆を言えば、そちらの方がより怪しい。
それこそ虚を突くにはうってつけ。明らかな胡散臭さだ。
悩む猶予はもうなかった。
アズサの七つの像はノロマな歩調ではあるが、ゆらり揺らめきながら、まるで宵闇を少しずつ喰らっていくかのように近づいてきていた。
カラン、四度下駄の音は鳴り響く。
「フウウウウウ」
グラジオラスは球に力を込めて、限界までその回転率を上げる。
シュワシュワシュワと車のタイヤのような摩擦音を立てる大柄な三つのツタ球体。
そして彼は満を持して、ニヤリと口を歪めるとともに、その球をアズサの七つの虚像目掛けて放った。
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