シャクヤクの夢2

「ああ」


 何時の間にか呆気なく収まった雷雨。

 空は一瞬の内に雲を失い、再び星々を爛々と煌かせている。

 現実的に考えれば、このような劇的、否、最早人工的とも言える自然現象の刹那的変化が起こり得る確率は天文学的だと言わざるを得なかった。

 そしてサクラコは確信する。

 そう、これは夢だと。

 舞台こそ先程居た現実と違わないキャンプ場の丘であるが、これは誰かの夢の中なのだ。


 何よりも目の前にセンセーショナルに登場した男を見てサクラコはそう思った。

 漆黒のロングコートに漆黒のロングブーツ。そして漆黒のグローブに埋め尽くされ、肌を見ることの叶わない両手。

 殆んど夜闇と同化するかのようなその色合いは、しかし良く目立った。

 男性の中でも長身の部類であるアロエやハスでさえ比較にならないほどの巨体。

 二メートル。あるいはもっと。

 背中側しか見えなかったサクラコには、突如一つの黒い大木が現れたかのように感じられる。


 そしてどこを見据えているのか判然としない虚ろで伽藍洞の瞳は、おそらくガーベラらメンバーに向かれているようだ。

「シャクヤク……」

 この奇怪な現象の全てが彼に依るものであることは、もう既にメンバー全員が理解したに違いない。あるいはそんな彼らも夢の中の登場人物に過ぎないのか。


 サクラコは彼の後姿を見るだけでも、何か背筋がゾワリとするような高ぶりを感じた。

 特に彼が今から何をしようというのか。それが全くわからないのだ。


 普段は気が付いたら自分の夢の中に出現するシャクヤク。そして掴み所のない話を少々したかと思えば、まるで霧の如く消えていくのが常だった。このような形で彼が現れたことは今まで一度もなかった。


 一体、これはどういう……。

 サクラコは思考を巡らせながら、シャクヤクと相対するメンバーを見守る。


 と、シャクヤクの第一声があっけからんと耳に届いてきた。

「喉が渇いた」


 すぐさまドテっという大層らしいズッコケ具合を見せるガーベラ。

「何その緊張感ない台詞!」


 しかしシャクヤクはガーベラの声などまるで耳に入っていないような調子で続けた。

「ギボウシ。やめておけ」

 シャクヤクはギボウシが自身のバッグを弄っているのを見逃さない。

「そこには何も入っていない」

 ギボウシはそう告げられると、シャクヤクをキッと睨み返して「やれやれ」とばかりにバッグから手を離した。


 ギボウシがその動作を終えると今度はアベリアが口を開いた。

「どういうことか、説明してもらって良い?」 

 シャクヤクはアベリアが喋り終えると同時、まるで用意していたのように声を発した。


「これは俺の夢だ」

「ん? ああ。俺の夢と言うとお前達の夢と同質の存在がこれなのかという疑念が湧くだろうその通りだ。俺の夢は普通じゃない。今はそれだけで事足りる説明となるだろう」


「いや、全っ然、わかんないんだけど……どこら辺が事足りてるのよ……」

 アベリアは首を傾げていた。他のメンバーも似たような反応だった。


 だが、彼らから少し離れた場所にいるサクラコは一つ分かったことがあった。

 それはここに居るメンバーは少なくとも、シャクヤクの夢の中の登場人物なんかではないということだった。

 もし彼らが夢の中の登場人物であるならば、シャクヤクがわざわざ現状の現象について説明し始める必要もない。

 このように夢の現象そのものにたいして各々が疑心しているということが証明でもあった。

 やはりここはシャクヤクの夢の中であり、我々全員はここに招かれたのだと考えられる。

 だがその論で行くと当然サクラコもメンバー達と同じ疑問にぶち当たる。


――「同一の夢に入れる人数は三人が限界で、それを越えると人の脳は非常に危険な状態となる」

 ではなかったか。

 そういえば、昼間ハスがフロニカミドという少女の件について、彼女の夢介入はチームC全員が担当するということを口にしていた。


 そもそも今までのあの『任務三人行動原則』は確かなものだったのか。


 あの変わった性格をしているが確かな頭脳と知識を持つリナリアも、車内でボタニカルという組織、もとい浅見眞純に対して強い嫌悪感を示していた。

 ――私達の夢介入に対する基礎知識は夢園師に所属してから一般化されたものも多い。いやもとい、勝手にそういうものだと解釈し納得していた部分も多い。 もし大前提としてそれらの知識がボタニカルから悪意的に刷り込まれているものだったとしたら……。

 いや、それとも単に今回に限ってはシャクヤクという存在。

 シャクヤクの夢というものが異常なだけなのか。

 彼はそもそも一体何者なのか。



 サクラコにはわからないことが多すぎた。

 そもそも成人前の記憶がないサクラコにとってボタニカルの記憶が人生の記憶そのものであり、あれこれ推察しようにも圧倒的に情報が不足しているのだった。


 と、シャクヤクが途端辺りを見回すような動作を見せた。

「そういえばサクラコとフリージアはどうした?」

 それについて、アベリアが「ん?」と疑問の声を上げる。

「サクラコとフリージアならあそこにいるけど。あともう一人知らないイケメンが居るんだけど」

 アベリアが指をさした先を眺める訳でもなくシャクヤクはまた口癖で「ああ」と喉を鳴らした。

「失敗した」

「ガーベラ、お前か?」


 シャクヤクのその台詞までが耳に届いた途端、サクラコは身体が急速に宙へと浮かぶのを感じた。

 ――なに? また?

 いや、違う。

 これは本当に身体が浮いている。

 何か釣り針で引っ張りあげられたかのような錯覚。

「ちょっと、なによこれっ!」

 そしてサクラコの視界は、天地がひっくり返り真っ逆さまになった。

――これは……。ツタ?

 サクラコの手足には触れている感触がまるでない深緑色をしたツタが這っていた。

 そしてあっという間の内にそのツタは、サクラコの手へ足へ、雁字搦めに絡みついた。

 間もなくサクラコはそのままの姿勢で吊り上げられてしまった。

 必死にそれを振りほどこうともがくが、まるでビクともしない。

 感触が一切ないので、自分がただ宙に浮いているような奇妙な感覚を受ける。

 だけれど、それは紛れもなくこのツタに依るものだった。

 程なくして、あの金髪の美青年がサクラコの元へ歩いてきた。

 先程まで腰を落としてビクビクしていたというのに、優雅な歩みだった。


 サクラコが逆さまの態勢のまま視線を落とすと、青年の顔へと視点が合った。彼はニヒルな笑みを浮かべていた。

「シャクヤクか……。まさか実在する人物だったとは。恐れ入った。だが殊の外間抜けで助かったよ」

 くくく、と青年は道化のような笑い方をした。その整った容姿には非常に似つかわしくない下品な笑いだった。

 青年は逆さ十字吊りとなっているサクラコに背を向け、シャクヤクやその先にいるチームAのメンバーらの方を向くと続けた。

「さて、予定変更だ。とりあえずお前ら全員ここで死んでもらおう」

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