シャクヤクの夢1

 眩い光がサクラコの視界を支配していた。

 ゆっくり、ゆっくりと。長閑な池を小型のボートに乗り、オールを漕ぎながら少しずつ進んでて行くような柔らかい感覚。


 だがそんな心地の良さも数刻の後には冷め、どこからともなく発光していた光は気が付くと消失していた。

 サクラコはまるで水面から陸上へ一気に引き上げられてしまったかのような感覚を覚えたと同時、視界がようやく正常値を取り戻した。


「あら……?」

 しかしサクラコの目が映したのは先程と何ら変わり映えのない風景だった。

 ここはフリージアの薦めで皆で行くこととなった山のキャンプ場。その敷地の中でも天体観測には絶好とされ観光スポットとしてそこそこ知名度のある丘。即ち、つい今しがたまで非常に熾烈な諍いが起こっていた場所。

 あわや異世界にでも放り込まれたかと思いきや、何も、何一つとして変わっていない。


 だとしたら今のは一体……。あの懐かしさにも似たセンシビリティーは。

 あるいは現実のあまりの凄惨さに自己の脳がバグでも引き起こしてしまったと言うのか。


 だがサクラコは今一度眼前の光景を確認すると、その考えを撤回した。


 眼前に見える登場人物達の様相が先程と異なっていたのだ。


 アロエ、ギボウシ、カモミール、アベリア、アズサ、ガーベラ。

 彼らは全員意識を回復させており、なぜだか皆一様に丘の中央付近に一か所に固まっている。

 そして不思議そうに辺りをキョロキョロと見回していた。


 また、地面に転がっていたはずのハスとリナリア、そしてただのギャラリーと化していたラナンキャラスとナノハの姿は消えていた。いくらか居たはずの観光客さえ居なくなっていた。


 つまり今この場にはチームAのメンバーだけが存在している。


 ――あら? チームAだけ……? そうよ、フリージアは!?


 ハッとサクラコは強い焦燥感に駆られながらフリージアの姿を目で追った。

 ――居ない……居ない!


 しかし周囲を見渡してもその姿は見つけることが出来ない。


「うぅ……」


 と、ふと呻き声のようなものが自身の足元から聞こえてきた。

 サクラコはすぐ足元へ視線を落とす。

 するとそこには金色の髪色をし、紺色のTシャツにグレーの綿のズボンを履いた美青年が、地面に仰向けに倒れ、顔を引き攣らせていた。


 ――誰?


 サクラコは初見でそれが誰なのか判然としなかった。このような顔立ちが洗練された青年と出会った記憶など一度もなかった。

 だが目を這わせている内、次第に誰かの面影を感じないでもない気がしてきた。

 何より彼が身に着けるその服装にははっきりとした見覚えがあった。

 そう、それはフリージアが身に着けていたものと全くの同一。


 そして彼が辛そうに呻いているすぐ側で、当の本人フリージアが横たわっているのも発見した。

 彼女も勿論、紺色のTシャツにグレーの綿のズボン。身体つきの違いから衣服の凹凸部分はやや異なるが、全く同じ服装だ。


 だが、サクラコはフリージアの姿を見て目を丸くした。

 先程まで短髪であったはずの髪は、元通りの艶やかな金色のロングヘア―に戻っており、ボロボロであったはずの衣服は、破れている箇所など一切なく、まるで新品をおろしたかのようだった。

 また、体のあちこちに見えていたはずの傷跡も嘘のように消えていた。

 まるで、時間をそのまま巻き戻したかのような異常な回復ぶりにサクラコは強い疑問を抱いた。


 と、急に何の前触れもなく、空からぽつぽつと水滴が落ちてきた。


 ――雨……?


 山の天気は崩れやすいというが、本当に脈絡もなく落ちてきた水滴の粒はすぐに勢いを早め、瞬く間に本降りの様相を呈してきた。この場にいたチームA全員を容赦なく濡らしてみせる。


 だがサクラコはその雨にも強い違和感を覚えた。


 はて。

 先程まで空には満天の星空が犇めいていたはずである。雲など一切懸かっていなかった。

 いくら山中とはいえ、こんなにも急速に雨雲が頭上を覆いつくすものだろうか。


 サクラコはしかし雨に濡れる程度の事を気にしている場合でもなかったので、再び周囲を注意深く観察しようと試みる。

 だが、そんな暇は与えないとばかりに雨足は激しさを増し、地面をえぐり返すかのような荒々しい勢いでザアアアアアアアアと滝の如く降り注いできた。


 ――これは一体……。


 サクラコが降りしきる雨へばり付く薄桃色の唇を何とか動かそうとしたその時、突如数度の雷鳴が轟いた。

「ひゃっ!」

 サクラコの情けない悲鳴は見事にかき消され、同時に雨雲に覆われた漆黒の空に目が眩むような稲妻が走る。

 あちらでは「うわああああああああああ!」とガーベラがわざとらしい叫び声をあげて、カモミールにしがみついている。少なくとも雷如きで怖がるようなタイプではない。むしろ子どものように嬉しがるタイプだ。

 そして、およそ自然現象では考えられないほどの頻度で、混沌の空はまるでカメラのフラッシュのように厳しい光を繰り出し、同時にけたたましい爆音が刹那の内に何度も耳を切り裂いてきた。


 たまらずサクラコは耳を両手で塞いだが、とても手で塞ぎ切れるようなデシベルではなかった。

 サクラコのすぐ足元にいる金髪の美青年も怯えるように耳を手で覆っている。

 だがこれだけの現象にもかかわらず、その青年のすぐ隣で横たわるフリージアはまるで目を覚ます気配がない。


 尚も雷鳴は鳴り止むことを知らず、鼓膜が破れそうになるぐらいの轟音を秒単位で鳴らし続ける。

 空では縦横無尽に稲妻が疾走していた。

 周囲はm稲光に依る眩しすぎる白と、夜山の黒とが、互いに一歩も譲らず先手と後手を繰り返すかのように、絶え間なく明滅を繰り返す。


 そして遂に、サクラコとガーベラら、互いの視線の丁度間の付近。

 そこに一匹の稲妻が、上空から地面へと真っ逆さまに落下し、轟音を奏でながら勢いよくぶち当たった。

 同時に被雷地から突風が発生し、サクラコは大きく身体を後退させる。


「うぅ……」

 顔を腕で覆いながら思わず膝をつくサクラコ。

 しばらくして、その突風が止むとサクラコは腕を解く。

 すると、まるで狐に化かされたかのように、降りしきる豪雨も自然現象の或を越えた雷も一瞬で消え去っていた。

 辺りは元の星空を取り戻し、相応しい夜山の風景が広がっている。


「は……」


 そしてサクラコの思考が追い付かないうちに、彼女の視線上には、まるで空の星々にまで手が届いてしまいそうな程に長身の男が、酷く無感情で寂れたような調子で佇んでいた。

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