星の丘1

 サクラコは勾配のある坂を上って上って、ようやく皆の待つ広大な丘へ到着した。

 そこではガーベラが案の定はしゃぎ回っていた。

 ただ己が身のみを持ってはしゃぎ回っているだけならば、せせら笑いで済ませられるのだが、例えば両手に手持ち花火を有しながらはしゃぎ回っているとすれば、当然の事ながらサクラコは雷を落とさざるを得なかった。


「いったいよ! サクラコ、もうー。私今日だけで皆から一体何発叩かれたことかぁ!」

「あなたがそれに見合う行動をしているからでしょう!」


 一応、簡単な手持ち花火なら敷地内での利用は許可されていたらしいが、こんな、夜空に満天の星が輝き、多くの観光客がそれを目当てに訪れている今、小さい子どもですら天体観測に勤しんでいるというのに場違いにも程があるのだった。

 サクラコは取り上げた花火一式を、既に用意されていたバケツの水に突っ込みながら厳しく言いつけた。

 それでもガーベラは「星々への私からの愛のメッセージなんだよぉ!」などと要領を得ない台詞をぶつくさ述べていたが、サクラコは断固として鬼の形相を崩さず、渋々ガーベラは花火を諦めた。


 リナリアがサクラコから少し遅れて丘へと上がって来た。

「はぁ……。だる……」

 着いて早々気だるげにそう漏らすリナリア。

 先程はアズサやアベリアとも張り合う走力をみせたガーベラとは異なり、リナリアは運動が苦手のようだった。

 元より、先刻アベリアと靴を交換しハイヒールでここまできていたことを考えると、仕方のないことのようにも思える。いずれにせよ「サクラコは先に行ってて。二人同時にってのは避けたいから」と念を押されたので、サクラコが肩を貸すことはできなかったのであるが。


 そんなリナリアの合流を確認すると、ガーベラに対して「はあ」と嘆息しながらも、ふとサクラコは夜空に目をうつした。


 そして、彼女は刹那の内、ガーベラのことなど忘れ、その情景に息を呑んだ。


 輝く星。満天の星。


 幾十、いや幾百もの星々が夜の空に敷き詰められ、煌ている。


 サクラコが例え成人前の記憶を失っているといえど、流石に星を見た回数など日常の中で何度もある。

 誰だってそのはずだ。


 星なんて晴れている日なら見ようと思えば肉眼でいつでも見れるものなのだから。

 そのはずである。

 だからだろうか。

 サクラコは幾ら改めて『天体観測』と銘打たれても、フリージアには申し訳ないが、そこまで心躍ったりはしていなかった。

 それよりも、何かアクシデントが起こらないか、粗相がないか、メンバーは大丈夫か、という心配ごとばかりが先行していたということを、改めて知らされたように思う。


 だが、サクラコは今。目に映る情景が自身の脳内の全てとなった。


「すごい、本当に……」


 心が奪われるとは正にこのことだとサクラコは痛感した。


 ガーベラの花火を誰も注意しなかったのかと、特にハスやカモミールに対しては叱責するつもりでさえあったのだが、即座にそんな気持ちも消失した。

 ここにいる面々や他の観光客、あるいは少し離れたところにいるラナンとナノハでさえ、誰しもがこの圧巻の星空に目も心もはく奪されていているのだと確信し、最早何も言うまいと決意する。


 この丘で星を眺めるすべての人々が今、過去、現在、そして未来へと、様々な事象を振り返り、喜怒哀楽を心中に宿しているのだろう。

 そこにサクラコが付け入る隙などあろうはずもなかった。また、そのように自分自身という、ともすれば忙しない日常生活では見失いがちな存在を省みる機会を得ることが、どれだけ貴重であるかということもサクラコにはわかっていた。

 そうしてサクラコは、夢園師のメンバーがこの機会を通して、また一つ精神の清廉を見るということに多大な期待と感動を抱くと、頬から薄らとではあるが、涙の滴が流れ落ちた。


「あぁ。ありがとう。フリージア」

 私はあなたの感性、品格、その全てを見習いたい。私にはまだまだ足りないものが多すぎる。


 と、サクラコは改めてフリージアへ、感謝と尊敬の念を抱くとともに、自身が更に成長していくことを切に願った。


「あれー、サクラコ泣いちゃってるぅ―? 青春しちゃってるぅー?」

 そろそろガーベラ辺りが茶々を入れてくることは無意識下で予期していたような気もするが、しかし、その発言先はアベリアだった。自分だってどうせ先程までは夜空に見惚れてあれこれ考えていただろうに、サクラコへ向ける表情はケロリとしていた。

「べ、べつに、私は泣いてなんていません!」

「あはは、ホントわかりやすいね、サクラコたんは」

「なんですか、その『たん』っていうのは」

「え、きゅんが良かった? サクラコきゅん」

「名前の後にそんな擬音は不要です!」

「えー、良いじゃーん、サクラコは、いっつも肩もおっぱいも張ってるんだから、このぐらい茶目っ気がある呼び方した方が色々とほぐれるんだよー」

「えらく語弊のある言い方ですね……」

 終始アベリアは笑顔を浮かべていた。

 単に揶揄いに来ただけなく、アベリア自身の中で何か一つ区切りがつきホッとしたのだろうということがサクラコにはわかっていた。

 アベリアは冗談はさておきとばかりに神妙な顔つきになって続けた。

「それにしても遅いよねえ。アロエとフリージア。本当、変な事件に巻き込まれてなければ良いんだけど……」

 それを聞くと思い出したようにサクラコは強く頷いた。

「その通りですね、非常に心配です。一体どうしたんでしょうか……」

 と、サクラコとアベリアが話をしているまさにその時だった。


「みんなぁぁぁぁぁ、あれ! あれ!」

 ガーベラが突然大声をあげるので、何事かと一同はガーベラの方へ一斉に振り向いた。

「いや、違うよぉ! 私じゃなくて、あそこ!!!!!」

 一同は、ガーベラが指さしたその先へ視線を移動させた。


 そこには、暗がりで判然とはしないものの確かに麗しい女性と思しき姿があった。

 いや、ただ見知らぬ女性が丘へと上がってくるだけならばいくらガーベラとはいえ、ここまで仰々しく叫んだりはしないだろう。

 無論、その場にいた全員がその人物が誰かを悟っていた。

 そのあまりに美しい姿形を、例え髪が短くなっていようとも見間違うはずがないのだ。


 そして、彼女のそのただならぬ様相が、一同の緊張のボルテージを一気に引き上げた。

 今朝方着用していた紺のTシャツは所々が引き裂かれたような酷い破れ方をしており、彼女のその白く透き通った肌は露出していた。

「フリージア!!!!!」

 サクラコは叫ぶと同時、誰よりも真っ先に彼女の元へと疾走した。

 フリージアは、気力を保つことがやっとなのか、今にも倒れそうだ。

 それでも懸命に片足を引きずりながら、ゆっくりとこちらへ近づいてきている。特に危険な香りがするのは、露出した肌の所々に痣があり、そして下着さえチラついてしまっていることである。

 普段のフリージアがそのような醜態を晒すことはまず有り得ない。

 サクラコがフリージアの前まで駆け寄ると、最後の力を使い果たしたかのように、彼女はそのままサクラコの胸に崩れ落ちてきた。

「フリージア!! フリージア!!! 一体何が!?」

「サクラコ! あまり激しく揺すってはいけない!」

 サクラコは苛辣に狼狽し冷静さを欠いていたが、カモミールのそんな声が背中側から聞こえてきたため、ハッと、彼女の身体を揺さぶるのを辞した。そしてかわりに優しく抱きとめた。

 サクラコから数刻遅れて、カモミールを含めた他のメンバーもフリージアの元へやってきた。

 サクラコは男性陣にこのようなフリージアの姿を晒しても良いのかと少し懸念したが、しかし今はそれどころではないともないと確信した。

 フリージアの身体から力が抜け落ち、さらにサクラコ側へ崩れ落ちてくる。

 それに合わせてサクラコは徐々に腰を下ろしていき、最終的には地面に膝をついて中腰になった。

 メンバー全員が固唾を飲んでフリージアを見守る。

 とにかく、事情を聞かないことにはどうすべきかわからなかった。


 暫く静寂があって、フリージアはようやく顔を上げた。 

 彼女の額には泥や木葉が幾らか付着していた。切り傷のようなものも随所に見られる。

 ここに来るまでの途中、一体何があったというのか。

 サクラコはその顔を見るだけで胸が痛んだ。


 ――それだけ必死にここまで走って来たということ? なぜ? それは。

 それはつまり、誰かから逃げていたということ……?


 フリージアは顔を苦しそうに歪めながら、必死の様子で口を開いて、息も絶え絶えの声色で述べた。

「ア……アロエ……」


「アロエ?」

 一同の表情が更に曇った。


 まるで、薄々そうではないかと思っていたかのように。


 だがメンバーの嫌な予感を的中させるかのように。


 フリージアは息を吐きながら懸命に続けた。

「わ……わたしは……ハァ……ハァ」

 一同は催促したいもどかしい気持ちにかられながらも、堪えてフリージアの言葉を待つ。

「ハァ……。わたしは……アロエ……さん、に……酷いことをされ……逃げて……きました……。彼は……ハァ……。私を……殺そうと……今……」

 そこまでを傾聴すると、仮にも夢園師として様々な事案を解決してきている彼等には、事の次第がおおよそ理解できた。もとより、今まで一向に姿を見せなかった三号車に搭乗していたのはフリージアとアロエだけなのだ。点と点を線で結ぶには、あまりに簡単な事象だった。


「もう良いわ、フリージア。とにかく今は横になりましょう?」

 サクラコはスッパリと切り落とすようにそう述べた。

 パニックと尋常ではない疲労からなのか、過呼吸気味になっているフリージアに最早言葉を紡がせるのは危険だと悟った。


 加えて。


 プツリと。


 彼女は自分の中で繋がっていた細い糸が切れてしまったような感じがした。


 ハスは自身が着ていた迷彩柄のジャケットを脱ぎ、フリージアの肩にそっと掛ける。

 あの美しかったブロンドの後髪が、なぜか乱雑に切り落とされてしまっている。


 朝三号車へ乗り込む際に見送ったフリージアからは想像もつかない、劇しい有様だった。

 サクラコはそのフリージアの頭を自身の太ももに添え、仰向けに寝かせた。

 丁度、フリージアの視線からは先程まで皆が心奪われていた星空が見えるに違いなかった。


 それから数刻も待たぬうちに、メンバーの予想通り、とある一人の男が丘へと駆け上がって来た。

「ハァハァ……。あ? お前ら、こんなとこで雁首揃えやがって……。ハァ……。それより……」

 肩を激しく上下させ、珍しく息を切らした様子の赤髪長身でいかにも柄が悪そうな男。


 男は暫く目を泳がせていたが、やがてサクラコの眼下で横になっているフリージアへ焦点を合わせると、睨み付けるような眼光とともに、怒気を込めた声を上げた。

「金髪、てめえ……」


 だが、その男に発言が許されたのはその一言までで、すぐにサクラコが冷気を込めて言った。

「アロエ……そこに直りなさい。事と次第によっては、貴方はもうここで終わりよ」

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