グラジオラスの視点2
勿論フリージアに多重人格があったことなど知らず、彼女に対し警戒心の欠片も抱いていなかったアロエは、一瞬にして意識を奪われてしまった。
アロエの身体を助手席に寝かせ、グラジオラスは口笛を吹きながら三号車の運転を開始した。
頭部及び顎部の強い殴打によって暫くは目覚めない自信もあったが、途中、念には念を入れて、人気のない場所で車を一時停止させ、睡眠薬を投与。また両手首と両足首には、用意していた手錠をかけ万全を期した。
もともとフリージアの身体は、「女性そのもの」ではあるが、グラジオラス自身が自分は男だという強固な自我を有することもあり、脳が筋肉へ伝える電気信号が通常のスイッチとは違う工程で働いて、成人男性並みのパワーを出すことが出来た。勿論、身体が無理をしていることは事実なので、後で尋常ではない筋肉痛に苛まれることとなるが、グラジオラスはその筋肉痛をフリージアに背負わせることになる罪悪感さえ抜け落ちていた。グラジオラスには自分は正しいことをしている。自分はフリージアのため、今まさに責務を全うしているという並々ならぬ自負があり、そのためならば些細な事には目をつぶることが許されると奢っていたのである。
はははははははははは。
すぐ横に座るアロエなど今すぐにでも殺すことが出来るのだ。
ほら、見ろ。
夢園師でそこそこの腕っぷし?
笑わせてくれる。相手が女だと油断して、所詮はこの程度の肩透かし。
何が元悲劇のレーサーだ。死ね。死ね。
お前のように体もルックスも、寄り付く女の数も満たされ、その癖頭脳は鳥類は愚か群体の昆虫にも勝らない阿呆共のせいで、どれだけ我々が心無い差別と実的被害を受けたと思っている。死ね。死ね。
グラジオラスは限界まで車を加速させ、赤信号になる度、わざとらしくブレーキを強く踏みつけ、車体をガクンガクンと揺らしてみせた。しっかり固定されていたはずの後部座席に乗った天体望遠鏡は、既に何者かによって緩められており、車が激しい揺れを起こすごとに、ガシャンカシャンとまるで悲鳴を上げているかのような悲痛な音を立ててドアへの衝突と機体の横転を繰り返した。
ははははははははははははは。
ユカイユカイ。
これもお前だ。全部お前がやったんだ。アロエ。あとで全部お前のせいにしてやるぞ。
ははははははははははははは。
その後もグラジオラスは、何度も何度も何度も、わざとらしく急ブレーキを繰り返しながら、どこを目指すでもなく見たことも聞いたこともない街道をトップスピードで走りまくった。
そうして、繊細で高価で、何よりもフリージアの大切な代物である天体望遠鏡は、変わり果てた姿になった。
天体望遠鏡も無事ぐちゃぐちゃとなり、街道を走行するのに飽きたグラジオラスは、ようやく目的地に向かって進路変更した。
既に空は茜色で、多少腹の虫がなったグラジオラスは、アロエの財布から紙幣を抜き取ってファーストフード店のドライブスルーを利用。ポテトとコーラを大量購入した。
運転席に敷き詰められたポテトフライは、犬歯を剥き出しにしながら只管にユカイな悪態を吐き続けるグラジオラスの胃袋に、無理矢理押し込められるような形で噛み千切られていった。
荒い運転を継続しながら片手でポテトやコーラを口へ放り込む動作に、正確性が見込まれるはずもなく、一縷の品性さえ最早皆無で、車内には零れ落ちたポテトフライと、飲みかけのコーラがたやすく散乱した。
そんな荒れ果てた車内にまだ納得がいかないのか、グラジオラスはポテトの咀嚼に飽きると、今度は十数秒おきに運転席の窓をガンガン叩きながら、片手運転を続行した。
しかし、グラジオラスは、車内冷房をガンガンに効かせているにもかかわらず、これだけの事を手際よくやっているのにもかかわらず、頬が紅潮し、全身が汗だくになり、そして並々ならぬ焦燥感が自分の中を駆け巡っていることに気付いた。
なんだ、なんだ、なんだ。
この煮え切らない気持ちは。
暑い。暑い。暑い。
だが寒い。寒い寒い寒い寒い。
身体はこんなにも汗ばんでいるのに。
心は何時にもまして冷ややかな感じがする。
自分がやっていることの何もかもが、無理矢理自分の調子をハイにするための言い訳でしかないような気がする。
そうして、グラジオラスは自分で勝手に自身の心情の異常さに激昂し、突如道を外れ、うっかりガードレールにそのまま突撃した。三号車の前面はグシャリとひしゃげた、ものの、ガードレールを突き破るには至らなかった。
ちっ。
幸い三号車前後に車両は続いておらず、その現場を誰にも見られることはなかったが、焦ったグラジオラスはそのままバックして車線に戻ると、丁寧に走りなおした。彼は無論いっそのこと、ガードレールを突き破りそのまま崖から真っ逆さまになってしまえばどんなに興奮するだろうと早る気持ちもあったに違いないが、しかし、抑制の精神が強く働きアクセルの踏み込みが浅かったことは自覚していた。
何にしても、グラジオラスは自分の感情のちぐはぐさに説明と折り合いをつけられないでいたが、最早後に退けなかった。やり始めてしまった以上、最後まで終えなければならないという論理的思考に基づく使命感が黒いカーテンのように思考を覆った。
そのまま真っ直ぐ進路を進めた三号車は、実はサクラコらの乗る一号車や、カモミールらの乗る二号車よりも最も時刻的には大分早く、目的地周辺に到達していた。
駐車場付近でまだ他の連中が到着していないことを悟ったグラジオラスは、車を旋回させ駐車場を出た。
そして、今度は全く舗装されていない獣道を車体の側面をガリガリと木々や岩に削り取らせながら突き進み、流石に誰も人が近づかないと思われる山奥で車をようやく停止させた。
車内には、大量に散らばったポテトとコーラ、そして無残に崩壊した天体望遠鏡、未だに意識を回復せず助手席で横たわるアロエの姿があった。
グラジオラスは車内から降りると、鬱蒼とした山の不気味さなどどこ吹く風で、むしろ粘りつくような暑さから急激に不快感が増すのを感じながら、いきり立っていた。
そして、フリージアの伸ばしていた後ろ髪、金色の艶めく髪、今まで美しく神々しい、はたまた嘗め回したいとさえ感じていたそれが、途端鬱陶しいように思った。
フリージアに料理用という理由で用意させていた包丁を取り出してきて、グラジオラスは縫い合わせる様に刃先と髪を重ね合わせ、そのフリージアの後ろ髪を削ぎ落としていった。
元々、前髪は短く切り揃えられていたフリージアの髪型は、遂に前も後ろも短髪となり、正真正銘ショートヘアとなった。
だが、特に後ろ髪は、非常に雑でガサガサな状態で、最早それを髪型と呼ぶにはおこがましく、ただ頭から自毛が伸びているに過ぎないといえる次元であった。
しかし、グラジオラスは特段気にも留めなかった。
もとい、気に留める余裕が彼にはもう無かった。
さぁ、ここからだ!
グラジオラスは邪魔な後ろ髪が消え、幾分か快適になったと無理矢理自分を納得させると、ニタリと、わざとらしく頬を歪めた。
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