グラジオラスの視点1
最も最初に思い付いた短絡的な案を率直に説明してしまうとするならば、彼はアロエを殺すつもりだった。
彼にとっては、アロエのガサツな態度も時折見せる男らしい部分もすべてが憎悪の対象であり、同時に妬み嫉む対象でもあった。しかしながら、アロエの殺害を彼女が望まないことはわかっていたし、そんな彼女の気質を見透かしているからこそ、逆にグツグツと噴火山のマグマの如く脳天に湧き上がる「怒」の感情が収まることを知らなかった。
そうして彼はグルグルと、不吉に絡まる螺旋階段を上がったり下がったりするような鬱々とした思考輪廻の中で、折衷的な考え方を見出すに至った。
簡単に言語化するならば、殺人未遂だった。
アロエを殺さずに、殺した充足感を得られるぐらい屠り、身体的にも精神的にも、圧倒的な屈辱を残すこと。それならば彼女の手を汚すこともなく、牢に幽閉されることもないという自信があった。ボタニカルの事情について、核心的な部分まで触っているのは自分だという自負が彼、フリージアのもう一つの人格、グラジオラスにはあったからだ。主人格であり彼が溺愛するフリージアの存在が、ボタニカルにとって必要不可欠な存在であるということは彼には見え透いていた。既にボタニカルの足元を見るだけのゆとりがあったのである。
したがって、当然のことながら、グラジオラスはフリージアに嘘を吐いた。
「アロエと少し話したいことがある。明日車の編成を調整するようアベリアに頼んでほしい」
そうして迎えた当日。
無論のことグラジオラスは、アロエの車両に相席して早々暴れ出すことなどやろうはずもなかった。
特段何をするでもなくフリージアの深部に潜み、機会を伺った。
アロエは取り立ててフリージアに言を発することなく、ただ黙々と後部座席に鎮座する天体望遠鏡を傷つけぬよう安全運転に徹していた。
フリージアはフリージアで、時折、今日の天候や今から行く先の山のことなど、当たり障りのない話題をぽつぽつと断続的に話すのみで、三号車車内は酷く物静かだった。それは一般的に他者が見解を示すとすればまるでお互いに冷え切ってしまった恋人同士のような「気不味い空気」に他ならなかった。
暫くして、三号車は二号車と同じく買い出しのためスーパーに到着した。
と、そこでフリージアが手洗いに寄った際、グラジオラスはフリージアに進言した。
「俺は今日とても酒が飲みたい気分なんだ。アベリアもかなりイケる口だ。誘っておいてくれないか」
さて、それを聞いたフリージアはあっさり快諾した。
フリージアはとても単純に「私も今日はいくらかお酒を嗜みたいです」とメンバーに言った。
それが普通の者から発せられた台詞ならば誰も気に留めはしなかっただろう。
しかし、普段そんな粋な発言など絶対にしないフリージアがそんなことを言ったとあれば、アベリアのテンションが向上しない訳がなかった。
結果として二号車はアベリアの一件を引き起こし、三号車はまんまと行方をくらますことに成功したわけだが、実際のところ、グラジオラスは既に一号車に対しても幾らか布石は打っていたし、不自然さを際立たせずに三号車だけ離脱する案など、幾らでも保持していた。
こうして、いよいよ一同の目を離れ、真にアロエと二人きりとなったグラジオラスはフリージアに「代わってくれ」と一言述べた。
さて、多重人格障害。
ここにおけるグラジオラスとは、フリージアが生み出したフリージアのもう一つの人格である。
グラジオラスという別人格が生み出された要因は、簡単に言えば、他ならぬフリージアが、無意識化に抱えきれなくなった途方もないストレスを肩代わりさせるためであった。
これは、ヒトが多重人格障害を引き起こす原因としてはポピュラーなものだ。
そして、グラジオラス側に人格が移った際、フリージアはこの間の記憶を共有しない。
グラジオラスは彼女のストレスを軽減するため、時には暴力的な思考思想に基づいて行動を行う。
だからこそ、その間の記憶がフリージアの人格に戻った際引き継がれてしまってはそれがまたストレスとなりかねないため意味がない、というわけである。
ここまでは良い。
だがここからがグラジオラスとフリージアの特殊な事情であった。
フリージアの脳が別人格を無意識に作成した理由は、ストレス軽減だけではなかった。
要するにフリージアは、相談相手とも言うべき頼れる存在が欲しかったのだった。
自分の全てをわかってくれる相棒が欲しかったのだった。
だからこそ、彼女はグラジオラスという存在を、まるで本当に自分の中に存在する別人として昇華させることを願った。
それは、フリージア自身が既に父母、兄姉も失い、絶望的な孤独感に苛まれていたことからくる欲求から生じるものであった。
ゆえにフリージアはグラジオラスを無意識下ではあるが『育て上げた』。
そしてグラジオラスは最早、フリージアのストレス軽減を行う人格としてではなく、独立した一つの存在として君臨することに成功した。
そうして彼は、フリージアのただ一人の絶対的な相談役として、フリージア側の人格が生じている際も、脳内でコミュニケーションを取ることが出来るという極めて特異的な状態を会得した。
そして月日は巡り、何時の間にか主人格と副人格は、フリージアの預かり知らぬうちに同列となっていた。
されど、狡猾なグラジオラスはそのことを上手くフリージアに悟られないよう細心の注意を払っていた。
最も、グラジオラスは元々有利な立場にあった。
なぜなら先述の通り、グラジオラス側が人格表出した際、グラジオラスが何を行ったかということを、フリージアは人格が戻った際の彼の報告でしか知り得なかったからだ。
対し、フリージアの行動や思想は常にグラジオラスに筒抜けだった。
されど、グラジオラスはあくまで自分は裏の人格として彼女をサポートする、ということを示すために、自分の表出時間は限りなく抑えた。
それでも彼は既に、フリージアの理解を越え、また、フリージアの思想をも飛び越えていた。
グラジオラスは、フリージア自身でさえ抱えていない次元の憎悪や危険思想を勝手に膨らませ、更にはフリージアに恋をするという狂気的な思考を飛躍させていった。
そして彼は、この世界の男という男を潰し、いつの日か実体を手に入れ、フリージアと結ばれることを強く欲していたのである。
さて。三号車車内。
かくしてグラジオラスは、フリージアの精巧な西洋人形の如き美しい身体を、あちこちコキコキと鳴らしてウォーミングアップを行うと、車が赤信号で停止したのを見計らってアロエへ襲い掛かった。
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