リナリアの話したいこと2

「研究室は理路整然としていて、塵一つなかった。噂だとゴミ屋敷のようなところだと聞いていたけど、そんなことはなく、仄かにアロマの匂いがして、装飾も空気も程良い清潔感があった。ガベちゃんは、そんな空間の最奥部にあるデスクのイスに猫背で腰掛け、ヘッドフォンを耳に装着しながら窓の外を眺めていた。そして私の方を振り向かないままハローと卒のない挨拶をしてきた。まるで私が誰で、何者で、そして今この瞬間に入ってくることが既にわかっていたかのように。総じて私が感じたのは、噂との乖離だった。ガベちゃんは噂だと破天荒で独創的で奇天烈。正にデビルブレインとかいう異名に相応しい人格だということだったけど、その時はなんていうか。血液型で言えばA型って感じ。どこか神経質な印象を受けた。それが私のファーストインプレッション。さて、だけれど、その印象は本当にその、一瞬だけ。まるで隙なんか見せないとばかりに。すぐさまガベちゃんはいつもの調子で言ったの」


――「ここにくるとは、貴様、さては暗黒邪神オルティミシアの手先じゃな?」


「当然私は『そうだけど、死ねば?』って返した。え、死ねばっていう返しはおかしい? だから友達ができない? いや、全然そんなことないよ。私は至極真っ当な人間だったから。一般的なコミュニケーション能力は当時から洗練されていたし。第一勇者を導く魔法使いの老師設定とか初対面でついていけるわけないじゃん。え? でも合わせられたんでしょ、って? まぁそうだけどさ。リナリアも変わってる? 違う違う、とにかく最後まで聞いてよ……」


 はぁ、と溜息を吐きつももリナリアは続けた。


 サクラコは流石にこの外灯の当たらない暗い茂みに、女子二人で居続けるのは、良からぬ軟派な輩にとって格好の的なのではで警戒を抱かざるを得なかったが、リナリアがこのように自分語りをすることは大変珍しく、またガーベラの過去にも興味はあったので、「いざというときは、この胸筋で!」という思いで彼女の語りへ耳を寄せることとした。

「思ってません!」

「ん?」

「あ、いえ、ちょっと魔がして……続けて……」

「サクラコってたまに独り言言うよね。まぁ良いか」


「とにかく、まぁ後は仲良くなりましたってだけの話なんだけどね。私は文系でガベちゃんは理系だったから特に学術的意味合いで協力した覚えもないし。本当にただの遊興的な付き合い。友達ってやつだね。でもね、私はね。すごく充足感があった。不思議だね。血が通ったような、そんな日々だった。まぁ最初の頃はガベちゃんがふざけたことばかりやるし、フライパンで頭叩いたり、死なない程度に首を絞めたりした記憶ばかりだけど。え? これもおかしい? もう、おかしいはとりあえず禁止で。ああ、でもほら。夢の研究はしてたしそれには加担したよ。ここ興味あるでしょ? そうそう、勿論趣味の範囲内でね。というか私の能力の発現ってガベちゃんのせい。チームD以下の夢園師には必須のヴァインあるじゃん。頭につけるやつ。あれ作ったのガベちゃんで、ヴァインの初めての実験者が私。結果は成功。したんだけど、ガベちゃんの夢の中がカオス過ぎて私は十秒後には目が覚めて数度ほど嘔吐した。だってさ。人体模型みたいなさ。全身の皮膚が捲れあがり、そこかしこの筋組織が剥き出しになって赤く染まる百人ぐらいの人達、及び得体のしれない動物達が、一斉にギョロリとこちらを凝視してきて、聞いたこともない言語で叫びながらこっちへ走ってくるんだよ。うら若い乙女にはちょっと荷が重かったね」

 サクラコはそれを聞くと、顎をさすって考える仕草を見せた。

「そう、それは災難だったわね……。でもつまり、ヴァインを制作したのはガーベラだったのね。ということは、彼女はやはりボタニカルへ技術提供を行っていたということよね。そして、ヴァインが製造されたのは割と最近という事実。これはボタニカルという組織自体日が浅いということを裏付けるには至らないけれど、大きい材料になるわね。同時に私達の能力は、そう長い世紀を跨いで存在してきた能力ではない。むしろここ百年以内のものだと推測しても無価値ではない。やっぱりこの能力って人工的なものだという気がする……」

 殆ど独り言のようにそう述べたサクラコへガーベラは返事を返した。

「察しが良いね。サクラコは。うん。そうだろうね」

 リナリアは興味なさげにあっけからんと述べた。昼間は車内であんなに敵対心を抱いていたのに。

 恐らく彼女が伝えたい焦点はそこではなかったのだろう。そして続けた。

「まぁ、そこでめげずに挑戦を繰り返したんだけどさ。そしてその過程で生まれたのがあのピクルス君だね」

「あぁ、あの子ね……」

 ピクルス君とはリナリアが持つ固有の能力と言っても良いだろう。

 彼女は自身の夢にせよ、他者の夢にせよ、必ずこのピクルス君を登場させる。

「そうそう。私昔からピクルス大っ嫌いなんだよね。苦いし、不味いし。だから、妄想に妄想を重ねて、夢で具現化してピクルスを叩き潰してやろうと念じたら、ある時遂に、ガベちゃんそっくり顔の男の子で、しかも超ミニマムサイズの緑色をした妖精が生まれちゃった」

 正確には薄黄緑色の肌をして、いつもなぜだか黒縁眼鏡を掛けリクルートスーツ姿で、背中からはその同じく薄黄緑色の綺麗な二枚羽が生えている。

「まぁ、せっかく編み出した夢の中での幻だからね。最初は叩き潰してやろうと思って、実際まぁ叩き潰そうとしたんだけど、土下座して許しを請うてくるからさ。なんか顔もガベちゃんそっくりだし愛着湧いちゃって。私はもう手塩にかけて毎夜毎夜夢を見るたびに彼を育成したよ」

「育成……ね……」

「育成だよ育成。何まるで奴隷にしたみたいに受け取ってるの。違うね、憤慨だよ。ちゃんと厳しい就職氷河期にも耐えられるよう、ほんのちょっとだけ古今東西あらゆる資格の勉強をさせただけだよ」

「夢の中で、夢の無いことをするのねあなたも……」

「うん。でもまぁ、とにかく彼はとても優秀に育ったね。今や弁護士にも公認会計士にも医師にだってなれるよ。すごいね、やったね。履歴書の枠からもはみ出すぐらいの国家資格所有者で本当に隙がない! まあ、夢では何の役にも立たない能力だけど」

「現実も非情だけれど、夢だって非情よね……」

 リナリアはそうして冗談を言い終えると真面目な顔つきになった。

「まあでもそんな能力でも、優秀な部類だったらしく、私は夢園師に組み込まれちゃったんだけどさ」

 そして一呼吸置くと、彼女は続けた。

「でもね。私はこのボタニカルがたとえ悪の組織だったとしてもさ。きっとここに来るのは星の巡りだったんだと思う。避けられないものだったんだと思う。だからね、決して恨んだりしていないし、むしろ感謝してる。ここはホント私以外変なの多いからさ。同じ穴のムジナ? 違うか。なんていうか、空気が吸いやすいんだよね。息苦しくないんだ。多分、夢に介入できる能力を持てるのって変人だけなんだよ、私以外。だから。サクラコにはこれだけは伝えておきたい」

「ガベちゃんを……。最後まで信じてあげてね……」

 突如リナリアがその甲高く可愛らしい声でそう懇願してきたのでサクラコはたじろいだ。

「そ、そんな、いきなり……。私は別にガーベラに敵対意識なんて持ってないわよ……。確かに少し思うところはあるけれど……」

 リナリアはフッと笑んだ。

「良い。それで良い。ありがとう。サクラコのことは元々全面的に信頼してるから、これってただの念押し。全く問題ない百パーセントの状態を百二十パーセントにしたかっただけだから。あまり気にしないで」

 どこまでも、一縷幼さが垣間見える可愛らしい笑顔だった。

 しかし同時に。


 もう悔いはない。


 そう決意めいた表情にもサクラコには見え、途端異様な緊張感がサクラコを襲った。

 言葉に詰まりながらもサクラコは口を継いだ。

「な、なんていうのかしら……。リナリア、もしかしてハスの言っていた次のチームCの任務、あなた何か知っているの? 私は現時点、正直に言ってそこまで深刻には見ていないし、貴方も同じような認識だと考えているけど……」

 しかしサクラコがそう詰めてきても、リナリアは相変わらず達観した笑みを崩さなかった。

「別に。私だってサクラコと同じ。だけどね。人生というのは数字でははかれない嫌らしさがある。例えば。『今日は十パーセントの確率で一万札を拾います』。これはまず有り得ないって思うでしょ? そんな上手い話がある訳ないってさ。でもね。もしこうだっらどう?『今日は十パーセントの確率で交通事故に遭います』だったら。ね? すごく怖いでしょ。横断歩道に近づいたらびくびくしちゃうでしょ? そんなところ。ただ、私が今思ってるのはそれだけなんだよ」

 サクラコは眉をひそめながら語気を荒げた。

「わからないわね。その発言から察するに貴方はやっぱり何か身の危険を感じているような胸騒ぎがするわ。ここに呼び出したことも、そんな遺言めいた事を述べるためだったとするならば、私は怒るわよ? 何か少しでもあるのなら、今ここで解決すべきよ。力になるわ。悪いことは言わないから教えて頂戴」

 だがリナリアは話は終わりとばかりに舌を出した。

「残念。もうタイムアップ。これ以上はガベちゃんに勘付かれてしまう。サクラコ。深く考えなくて良いよ。私だって、あの世界的に有名でスーパーな大学の卒業生なんだから。それにさっきも言ったでしょ、私はここの空気が好きだから。はやまるようなことするはずない」

 サクラコはリナリアがそう述べると、はやる気持ちを強引に心中に閉じ込めて、追求を辞した。

 無論全く釈然としないが、リナリアが非常に焦った顔をしているのが手に取るようにわかったからだ。

 何か自分の預り知らぬ範囲でリナリアが綱渡りをしている。

 昼間見たあのガーベラの思わず背筋が凍り付くような悪魔めいた表情。ヴァインの生みの親。

 ――駄目よ、焦っては行けない。チームCの任務までには猶予がある。帰ったら、すぐキスツスに話を聞く必要がある。彼なら解決の糸口を知っているはず。

 だがサクラコにとってはそれが油断であり、抜かりだった。

 不幸にして、チームCのメンバーとサクラコは親交が深く、特にキスツスはサクラコを高く買っていた。

 後日、情報は仕入れることができるという慢心がサクラコの中に生じてしまったのだ。


 かくしてサクラコは、リナリアとの、二度と訪れることのない二人きりの時間を終了させた。

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