リナリアの話したいこと1

 夜の山と言えば、たちどころに周囲が暗闇に包まれるイメージが先行するが、サクラコらの訪れた山もといキャンプ場付近は、所々に外灯もあり、それほどの心配はなかった。それでもサクラコは念のため腰に小さめの懐中電灯を巻いていたし、また、人の往来も多かったため足場も見えないという事態は有り得なかった。 

 流石に羽虫は舞っていたし、ミミズの干からびた死骸などは真夏の風物詩とばかりに転がっていたが、石段も砂利道も手入れが行き届いていてとても歩きやすい。夜風も良い塩梅に身体を吹き抜け、暑すぎず寒過ぎず、非常に快適であった。

 成る程、人気スポットだというのも頷けるとサクラコは感心した。


 さて、しかしながらリナリアがサクラコを誘った場所は、明らかに人気のない暗い獣道を歩いて入って行った先の鬱蒼とした森の中だった。

 サクラコは連れてこられて早々、疑問を口にした。

「あら、リナリア。私をこんな人気のない所に連れ込んでおいて。もしかして、愛の告白でもするつもりかしら?」

 リナリアは呆れたような表情をした。

「なに言ってるの、サクラコ。私は百合っ子じゃないしそんな些末な話題に興味ない。それより、こんな人気のない所に連れ込んだらやることは一つじゃない」

 そして、リナリアは急に声色を変えて言った。

「そう。殺人だよっ!」

 突如リナリアは自身が首に巻いている青いスポーツタオルを手に取って、ビッビッと両サイドを引っ張った。そして、前歯をむき出しにして、いかにもな狂気じみた表情を作った。

 だが、サクラコは残念なことに全く恐怖感を感じなかったし、むしろ可愛らしいとさえ思ってしまった。

 サクラコは棒読みのような口調で応じた。

「あらあら、私、殺されてしまうのね。どうしましょう。まぁでも色々と未練はあるけれど、仕方ないわね。相手が知り合いだと油断してノコノコとついてきてしまった私が愚かなんだわ。それでリナリア、私は窒息死ということになるのかしら?」

 リナリアは既にやる気を失くしているのか投げやりに答えた。

「いや、違うよ、私は今からこのスポーツタオルを、サクラコの胸部にグイグイと巻きつける。すると、あら不思議、サクラコの余りに屈強な胸筋が自身の心臓を圧迫して破裂させてしまうって算段」

 今度はサクラコが呆れた表情を見せた。

「だから私そんなに胸筋は鍛えた憶えはないのだけど……」


 リナリアは一呼吸おいて、いつもの表情に回帰してから述べた。

「まぁ、そんな戯言は置いておいて。サクラコってさ、記憶ないんだっけ?」

 リナリアが唐突にそう尋ねてきたので、サクラコはその真意を測ろうと少しの間無音になったが、やがて口を開いた。

「ええ、成人するまでの記憶がとても覚束ないの。学友はおろか、家族の顔さえ一人も覚えていないのよ。全くの親不孝者よ、私は」

 リナリアはフムフムと顎をさすっている。

「でも、すごいよね、サクラコって。要するにそれ、ボタニカルでの生活がサクラコの記憶の全てなんでしょ。私がもしそんな状況に置かれたら、気が狂っちゃうと思う。でも、サクラコは全然そんなことは無くて、とても毅然とした態度でこのボタニカルでの変な日々を全うしている。どころか、夢園師内において随一の判断力、理解力、包容力を持ってる。平たく言えばリーダーとしての才覚が……んー、いや、違うかな、リーダーというより。もっとこう、核家族の役割でいうところの母親の存在と言っても良い感じかな」

 サクラコはそのフレーズが出ると首を横に振った。

「母親だなんてそんな、大それたものではないわ。たまたま私は色濃いメンバーの中では個性が薄いから、割合常識的な立場で物事を諫めているというだけ。誰もやらないから何時の間にかこんな風になっているだけよ。実際私は感情で動くことも多いし、カモミールやフリージアの方がよっぽど洗練されていると思うわ。リナリア、貴方だって、いつもガーベラと馬鹿をやっているように見えるけれど、その実、周囲には結構気を配っているじゃない」

 だがリナリアは指摘した。

「そういうところだよ、サクラコ。サクラコはね、他人の二面性や三面性を捉える力があるんだよ。私とガベちゃんなんて傍から見たらお馬鹿ブラザーズが何かやってるぐらいにしか思わない。それが他人と自分のパーソナルスペースってやつ。決して皆、それ以上を知る力が無いというわけじゃない。ただ、人ってやつは、それ以上を知りたいとも思わない。それ以上なんてどうでも良い。だって、所詮他人なんだから。そう思うのがノーマルなんだよ」

 サクラコはリナリアの見解を聞くと、肩をすくめた。

「買い被り過ぎよ。確かに私自身、他者の内面をより深く知りたいという本能のようなものを感じることがたまにあるわ。まぁ、そうやって、他者の事を考え過ぎてしまう癖が原因で過去の記憶が飛んでしまったような気もするのだけど。だけれど、所詮はその程度。私だって結局のところ、他人とどう接すれば良いのかなんてわからないし、日々悩み考えて、下した結論は結局大間違いでした、なんてのが日常茶飯事よ」

 だが、サクラコがそう言うとリナリアはキュートに微笑んだ。

 初めて聞くとても達観した物言いだった。

「それでいいんだよ、サクラコは」

 「ん?」とサクラコはリナリアのその発言にクエスチョンマークを浮かべたが、リナリアはとても満足げだった。

「サクラコ、これはね。姿勢の問題なの。向き合おうと思うか向き合おうと思わないかの思想の問題なの。だからサクラコはそれで良い。それがあるから、サクラコだし、私はサクラコが好き」

 サクラコはリナリアの抽象的な発言に意図を掴みかねる節もあったが、どうせ前置きの話だと踏んでいたので、流すことにした。

「あら、結局、私に対する愛の告白をしにきたのかしら?」

「もう、その冗談良いから……」


 リナリアはしかし、話が回りくどくなっていたことを自覚したのか本筋に入り始めた。

「私。私は、前言したような人物達にばかり出会って来た。仮にも世界的に有名なあの大学だよ? だけど、彼らはとても一元的だった。だから、私はガベちゃんとつるみ出した。あの、デビルブレインとか中二病みたいな名前で呼ばれる天才と。要するに私達は友達が居なかったの」

 サクラコはそれを聞くと意外だとばかりに目を丸くした。

「へぇ。でもガーベラはさておき、リナリア、貴方はとても可愛らしいじゃない。男の子に人気があって良さそうなものだわ」

 しかしリナリアはあっさり否定した。

「全然。私これっぽっちもモテなかったよ。それどころか小さい頃からずっと変人だって酷いいじめを受けてた」

 サクラコはそれを聞くと、俯き加減に詫びを入れた。

「それは失礼したわ。まさか貴方にそんな過去があったなんて……」

 だがリナリアはさして気にしている風でもなかった。

「別に。殴られたり蹴られたりとか、教科書を隠されたりとか、仲間はずれにされたりとか。そんなの一過性の事象じゃない。それにいじめを講じてきたのは彼らであって、私じゃない。問われるべきは彼らの品格。その矮小な人間性。だから私の品位には至ってダメージがない。確かに私は小さい頃から、すごく色々なことに興味を持って、色々なことに首を突っ込んだりした。だけど、ホントにそれだけ。たかだか一人の女児の興味関心が多感だからといって、それでいじめを講じるなんて研究対象にもならないレベルの脳でしょ? そう、そんな風に私は思ってた。だけどね、結局、成人に近しい年頃となり、世界的に有数な頭脳を持った生徒が集められたあの大学へ進学したから、品格の優れた人間ばかりに出会えたかというと答えはノーだった。だから、私は人間とはつまらないジャンクだと早期結論付けてしまったし、だからこそ、人間離れした、それこそ神か悪魔の様な存在へと視点を移行したかった。そんなときにガベちゃんに出会ったんだよ」


 そして、リナリアは語りを続けた。

 サクラコは静かに耳を傾けた。


「デビルブレインというフレーズは学内でも良く耳にした。それはプライドの高い学生が多いあの大学では当然と言えば当然のことだった。ガベちゃんは当時既に一学生ではなく、一教授と同等ぐらいの地位にいたらしい。文系の私からすれば良く分からない奇妙な実験に明け暮れているとのことだった。私はすごく興味を抱いた。噂には尾鰭がついているとは思っていたけど、色々なことに失望を抱いていた私には丁度良いゴシップだった。だから私はある日、ダイレクトにガベちゃんが根城にしていた研究室の戸を叩いた」

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