シャクヤク

 仄かに香る。

 その匂いはとても良い匂いだった。

 しかし、サクラコはそれが何の匂いなのか釈然としなかった。


 シャクヤク。


 身長は2mを越えるかという巨体の男。


 チームAはおろか、夢園師という集団の中でボスよりも、最も奇特な能力を持つといわれる存在。


 ただし、メンバーの中で誰一人、現実世界で彼を視認した者はいない。

 そう、サクラコを含め、メンバーは夢の中でしか彼に出会ったことがないのだった。


「何しに来たの?」


 サクラコは、晴天の昼下がり。誰もいない公園のベンチでゆったりと読書をするという夢のない夢を見ていた。

 しかしそれは彼女にとってどういうわけかとても心安らぐ時だった。


 気づいたら目の前にいた漆黒のコートに漆黒ロングブーツに漆黒グローブに漆黒の瞳に漆黒の靴下を履いた男は答える様子もなさそうだった。


「苦しみはどこから生じるのだろうな」

「脳だと思うわ」


 サクラコは即答した。


「夢だって、脳によるものよ。私達の世界とは、即ち脳が見ている幻よ」


 夢の中だからか、あるいはシャクヤクの前だからか。サクラコは妙に口が滑るのだった。 


「つまり、脳が死んでしまえば、結局私達はおしまいなのよ」


「どっちだって一緒なのよ」


「夢にしろ、現実にしろ。脳が悪いのだわ」


 漆黒のコートの男はサクラコが何を言おうと口を開く様子もなく。

 ただ眼前に、案山子のように直立不動であった。


 しかし、サクラコが言いたいことを言い終えると、彼は、少しだけ唇を離した。


「サクラコ。お前はやはり胸がでかいな」


 はぁ……。



「なんで貴方までそれを言うのかしら……、私あなたはそういうことには興味がないのだと思っていたわ」


 しかしサクラコが呆れる様子もまるで意に介していない調子でシャクヤクは続けた。


「それだけで良い。深く考えるな」


「サクラコ。誰も死なせるな」


「俺は後、一山ある」


 しかしサクラコもまた彼のつぶやきなど興味がないような調子で続けた。


「シャクヤク。一つ良いかしら」

「私、あなたからはとても良い匂いがするわ。異性として興味があるのかもしれない」



 少し静寂があった後、シャクヤクは伽藍洞の瞳をサクラコに向けて言った。



「俺はアズアズが好みだ」

「はは。あなたってやっぱり面白いのね」



 そうして、また、雲をつかむような話だけで、結局シャクヤクは霧のように消えてしまった。

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