1章(フリージアを廻る夏)
ペタルA
「結局誰がやったかは重要ではない。こんな能力が世の中にはあるということさ」
なにかしら、これは夢?
「誰一人として、もう目を覚ますこともないだろう。完全にやられちまってる」
「君は多分真相を知っていただろう。だが、君は残念なことに精神を深く病んでいて、暫くは闇のままだ」
「まぁ、とはいってもあくまで証拠がないというだけの話で、私は既に誰がやったか見当はついているんだがね」
とある一日のボス、ルイドフューネとの会話。
ただ、一体どこで何の事を話していたかサクラコの記憶は非常にぼんやりとしていた。
現実だったか夢だったかも曖昧だった。
――思えばあれから私は。私の人生は夢と現実の境界線がずっと不確かだった。
「おーい、朝だよぉ」
急に胸のあたりがくすぐったく感じる。
五感による感覚を頼りにするにしても、他者の夢に入る時は、夢の中でさえ五感がはっきりしているのだから、キリがなかった。ただ一つ今が現実だと言える根拠はボタニカルのメンバーがそこにいるからだった。
「うぅ……」
何かくすぐったいどころか、もっと具体的に胸のあたりを触られているような感じがする。
触られている!?
「ちょっと!」
「うわっ!」
サクラコが飛び起きたために、小柄なアベリアはベッドの場外へ吹き飛ばされた。
「いったーい! サクラコってベッドの上だと乱暴なのね」
「な、なにを言うんですか、私が寝ている隙にいきなり胸を触ってきておいてっ!」
「触ってっていうより割としっかり揉んでたけど……?」
「なっ……!」
サクラコは朝っぱらから顔を真っ赤にした。
「最低です、破廉恥です! なんでそんなことするんですかっ」
「えー、だって、全然起きなかったんだもん。良いじゃん、ただの朝揉みだよぉ」
「『朝揉み』なんて言う日課の様な言葉を造り上げないでください!」
「良いじゃない、女同士なんだし。お陰で気持ち良く目が覚めたでしょ?」
「なっ、こんなの最低の寝起きランキング上位です!」
「あはは、やっぱりサクラコって面白い」
サクラコからすれば、アベリアの方がよっぽど良い性格をしていると思った。
こんな冗談が生き甲斐のような性格をしていながら、サクラコよりも七歳ほど年上である。
短く切られた茶色い髪。顔に少しそばかすは見られるけれど、肌は白く鼻筋は良く通っていて、何より愛嬌たっぷりの笑顔を絶やさないため、とても男性に人気があった。
普段から露出の多い服装ばかりしているが、今日はリクルートスーツ、いわば正装だった。
「そろそろ気合い入れなよ、サクラコ。モミジのことはわかるけれど、ペタルCのことで心を痛めているのはサクラコだけじゃないんだからね」
「い、言われなくてもわかっています!」
サクラコはアベリアに茶化されながらも、掛け時計を見ると既に正午へと近づいている事実に気づき、急いで寝間着をスーツ姿に着替えることとした。
応接室に到着すると、小太りで独身の中年男性オダマキが、いやらしい目つき声色で注意してきた。
「困るよぉぉぉ、サクラコ君。一応ここは一般的には中小建設会社のビルということになっているんだからねえええ。受付に綺麗なお姉さんが居ないのは不自然だろうぅ?」
「一部の言動にセクシャルハラスメントを感じますが、仰る通りです、大変失礼いたしました」
サクラコは一階のエントランスで受付を担当している。ボタニカルは自分達の組織を匿うことに関しては手を抜いていない。
本当に存在するのと同等レベルで建設会社としての職務を、各自遂行しているのだ。
ただ、とはいっても、実際に職務の大部分を行っているのは、ボタニカルの息がかかっている外注である。
このペタルAが属するAビルにはオダマキやサクラコを含めても10人、いや恒常的には9人しかいない。まさにハリボテである。たまに地下の研究員が加勢に入ることもあるが、当然本格的に建設会社を運営するにはそれだけで人手が足りるわけがない。
あくまで業務は仮初のものであった。
定時になり、即座にビルのシャッターが降りる。
サクラコの、建設会社『アイバナ建設』としての業務は終了した。
寝坊で大遅刻をかましたサクラコにはもっとお灸が据えられても良さそうなものだったが、実際のところ、取引先の企業が来て受付が応対することなど稀である。経営方針そのものが『なるべく目立たない』に尽きるのだから、年間通して多少赤字でも『中小企業』っぽさが出ていれば問題がないのだった。それゆえに、わざわざこの会社にこぞって営業に来るのは幾社かの地元部品会社等に限られていた。
また、ここ最近、サクラコの調子が不調であることは、一応はアイバナ建設社長扱いになっているオダマキ自身良く理解しており、彼女に無理をさせる気など毛頭ないのだった。
ビルは地上4階建てで、3階は共同の食事処があった。ちなみに4階は各自の個室である。
基本的には、メンバーはここで食事をとるよう義務付けられているが、守るものは少ない。
皆勤賞と言えば、カモミールをのぞけば、それこそサクラコぐらいなものだった。
カモミールは毎日ここで料理を作っているが、別に組織からそう命ぜられた訳ではない。
料理は元々得意であったことに加えて、メンバーの中で料理を作れる者が極端に少なかったということもあり、いつの間にか彼が調理人のようなポジションに収まっていた。『カモミール亭』などと皮肉を言うものもいる。暗に料理はお前がやれと言っているようなものである。しかし、彼の料理スキルはその皮肉を塗りつぶすほど高く、他チームからわざわざ夕飯を食べにくるものもたまにいるぐらいだった。
サクラコがやってくると、栗色の短い髪をサラリと揺らしてどこかまだ年齢不相応な中性的顔立ちをしたカモミールはいつものにっこりとした表情を見せた。
「お疲れ様、サクラコ、今日は栄養抜群のかぼちゃスープを作ったよ」
変わらない爽やかな彼の笑顔、そしていつものグリーン色のエプロン姿を纏った長身ですらっとした佇まい、そのどれもがサクラコの心を落ち着かせた。
「あら、美味しそうね」
サクラコも笑顔で返した。
「ははは、そんな優しい言葉を返してくれるのはサクラコぐらいだよ。アロエなんて昼間『毎日馬鹿のために馬鹿みたいに料理し続けてお前馬鹿なんじゃないか?』なんて言ってくる始末さ……」
サクラコはまるで自分に言われたかのようムッとした。
「はっ、あんな男の言うことなんて気にしなくて良いわ。カモミールが毎日献身的に料理してくれてるのに、そんな努力も知らないなんて、馬鹿はどっちよ」
洗い場の前でそんなやり取りをしていると、アベリアの声が聞こえてきた。
「相変わらずサクラコはアロエにはアツアツだよねー」
一応は十人分の椅子が並べられているテーブルの方を見ると、既に着座しているアベリアがニヤニヤしていた。
アベリアの出席率はだいたいサクラコの目算で半々ぐらいである。面白い話題がありそうな時は出席しているが、そうでないときは、サクラコの知らない男とどこかへ飲みに行っていることが多い。
「アツアツとはまた、含みのある言い方ですね、アベリア」
「いやぁ、だってさぁ、ツンデレにしか見えないようねー、ねぇアズアズぅ」
突如。
ビクッと、サクラコの肩は震えて、眼球が飛び出る様にそのアベリアの隣に座る者を凝視した。
その場に居た一同は、ただの下らない笑い話から急にサクラコがただならぬ様子となったことに心配の表情を浮かべた。
「どうしたんだい、サクラコ」
カモミールは真っ先にサクラコへ優しく声をかけた。サクラコは咄嗟に頭を抱え、少し崩れる様になったが、すぐカモミールが支える。
「え、ええ、大丈夫よ……。ちょっと、立ち眩みがしただけ……」
そうは言うものの、あまり調子の良いように見えないサクラコ。
「アロエのこと考え過ぎて、失神しそうなの?」
「そんなわけないでしょっ……!」
アベリアの冗談のお陰で少し場が和んだ。
サクラコ自体、体調の変化は一瞬で、すぐに良くなりつつあるようだったが、しかし鋭い者は気付かないわけにはいかなかった。
アベリアの隣にいる黒髪で端正な顔立ちの美女は不安の表情を浮かべた。
「サクラコ、まるで私を見た途端、酷くなったようだけれど、大丈夫? 今夜は席を外しても良いわよ?」
「い、いえ、そんな。大丈夫よ……アズ……」
アズ?
……。
「だって、アズサ、スープの時は何時も必ずここに来るじゃない」
?
サクラコは、自分で発言しておいてその言葉に違和感があった。
しかし、何がどう違和感があるのか、自分でもわからなかった。
「べ、別に私スープ好きじゃないし……」
「あれぇ、アズアズもツンデレー?」
「なっ、私がツンデレな訳ない。私は心身を日々鍛錬して、自分に自信を持っている。ツンデレなんて程度の低い真似したりしない!」
アズサは自慢の長く艶やかな黒髪をファサッとかきあげた。
「ほんとかなー?」
「あっ、ちょっと、なにするんだ、いやっ、やめてアベリア変態っ!」
「意外と大きいよねー、それに可愛い声出せるじゃないかきみぃ」
「あ、ちょっと、あっ、やんっ!」
「はぁ。相変わらずうるさいなぁ、君たちは」
珍しくメンバーで最も身長の低いギボウシも、ハードカバーを片手に食堂へやって来た。短く整えられた黒髪、薄い黒縁フレームの眼鏡のセットは、まるでどこそこのお坊ちゃまのようだ。
「低くない! あくまで低身長は男性メンバーの中では、だから。とりわけ高身長な男が多いんだから相対的な問題だよ。それに言っとくけど僕はね、君達みたいなお気楽集団と違って……」
「ははは、まぁまぁ。取り敢えず、サクラコも大丈夫そうだし、スープも冷めてしまうから食事にしようか」
カモミールの合図でいつもの食事は開始された。
テーブルには、カモミール、アズサ、アベリア、ギボウシ、そしてサクラコ。
不在は、アロエ、ガーベラ、フリージア、そして一度も食事にさえ来ないシャクヤク。
ペタルA。計九名。組織の中でも際立って異能の能力を持つメンバーによって構成されている。
何も間違ってはいないはずだった。
しかし、サクラコは何か落ち着かず、奇妙な焦燥感がずっと全身を駆け巡るようだった。
それでも、メンバーを心配させるのは気が引けたため、サクラコは口上手のアベリアが繰り出す笑い話を集中して聞きながら、深くは考えないことにした。
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