大森3
「なに、どうしたの?」
「いえ、別に何でもないのだけど、大沢君の住所を教えてくれないかしら?」
「なんでもあるじゃん。ていうか大沢って誰?」
「ん? いや、だからクラスメイトの大林君よ」
「大林? ああ、もしかして大森のこと? なんでまた」
「別に大したことではないのよ。ただ住所が知りたいの」
「いや、大したことでしょ、サクラコが男子の住所知りたがるなんて。しかも大森。ああ、そういえばさっき美菜子とかそれっぽいこと言ってたような。やっぱあれ? サクラコもそういう趣味? 美女と野獣っていうか美女とモヤシっていうか」
「もう与太話は良いから、じゃあ智美の夢の話について」
「うわわ、わかったわかった、教えるからその代わり今度なんか奢ってよ」
「いつも奢ってるじゃない」
「今回のは特別」
「わかった、特別ね」
智美との通話を終えると、サクラコは早速教えてもらった大森の住所へと歩を進めた。
実際に赴いてみれば学校からさほど離れた場所でもなかった。思えばサクラコは彼が徒歩で通学しているのか自転車通学しているのかさえ認知していなかったのだと知った。
ピンポーン。身も蓋もなく。
特に何も考えず、サクラコは呼び鈴を鳴らした。
小奇麗な二階建ての一軒家から姿を現したのは、大森の母親と思しき人物だった。丸眼鏡を掛け、手厳しそうな顔をしている。
「どちら様?」
冷たく鋭い物言いにサクラコは緊張の度合いが増した。
「あ、私、お……」
思えば彼の名前さえロクに知りもしなかった。
「お子さんの同級生のサクラコと言います!」
「ああ、あなた授業参観でいつも美人がいるって評判の」
「いえいえ、滅相もない」
言いつつも、サクラコは話が上手い具合に逸れて安堵した。
クラスメイトなのに親御さんの前で名前を憶えていないなんて失礼極まりなかったし、もし大森に兄弟がいた場合、「どっちの子に用なの?」と返される危険があった。
全くもって、迂闊も良いところだった。
「ごめんね、梓はまだ帰ってないの」
梓? 男子にしては珍しい名だ、とサクラコは感じた。
「あ、あぁ、そうですか、それは大変失礼致しました。えー。恐縮ですが行き先にお心当たりはございますか?」
「そうね、本屋に寄っているのかもしれないわ。それ以外の道草は基本的に許可していないから」
「そ、そうなのですね」
うわー、厳しそうなご家庭だ、とサクラコは思う。
「有難うございます、ちょっと本屋さんに立ち寄ってみます」
「ええ、そうしてちょうだい。で、ちなみに何の用?」
「え、えーと、明日のグループ活動の件で本日までに話し合いたいことがありましたので……」
勿論、でっちあげである。
「そう、プリント類ならいただいておこうかと思ったけど、それなら梓と直接やり取りすべきね」
「はい、私もそれが最適だと考えています……」
「わかったわ、じゃあ、ついでに梓には早く帰って宿題をやるように伝えておいて」
「か、かしこまりました」
「じゃあ」
ガチャリ。
玄関の扉は会話が終わると、即座に閉じられた。しかし、そんな拒絶されたように扉を閉じられたことよりも、大森の母との会話が手短にしこりもなく終わって良かったという落ち着きの方が大きかった。
ふぅ。サクラコは一息吐く。
そして、気を取り直して、地元の本屋と言えば、あそこしか考えられないショッピングモールの大型書店へ向かった。
程なくして書店に着く。サクラコは運動もそこそこ出来るたちだったため、一日に多く歩くことは苦にならなかった。
しかしいざ店に到着すると、すれ違いになったらどうしようと不安が今更よぎる。そういえば、そもそも初めから智美には住所ではなく大森の電話番号の方を聞いておけば良かったんじゃないかとも後悔した。
何となくあった嫌な予感は的中し、店内では大森らしき人物を見かけることができない。
番号まで聞くとなると、いよいよ大森との仲を噂されそうだったが、ここは改めて智美に大森の連絡先を聞くしかないだろうか。
そう思った矢先、ふと参考書コーナーで、自分と同じ制服を纏った女子生徒を発見した。
上背はとても低いが、小顔で各パーツが均整であり、一目で可愛らしい子だなぁとサクラコは感じた。
そしてなぜだか先程どこかで彼女と同じような雰囲気を感じ取ったような気がした。
少し反芻してサクラコの脳裏をよぎったのは、なんと先程の大森のお母さんだった。
「え……もしかして……」
サクラコがそう呟くと、女子生徒はキッとこちらを睨んできた。
「なんですか?」
非常に警戒心を持っていることが手に取るようにわかったが、サクラコは思い切って尋ねた。
「あなた、もしかして大森梓さん?」
「はぁ、そうですけど、何か?」
「あぁ、私ったら……」
サクラコは先程の大森母の言葉を想起した。
――「ああ、あなた授業参観でいつも美人がいるって評判の」
――「いえいえ、滅相もない」
……はぁ。
これで、その美人というのが自分のことだと確信してしまったというのは、本当に恥ずかしいとサクラコは赤面した。
大森の母親も、息子と娘の授業参観に度々行くものだから、どちらのクラスに誰がいるのかごっちゃになってしまったのであろう。そう考えると、その美人というのはこの大森の妹である大森梓のクラスに居る人物のことを指しているのかもしれなかった。
いや、むしろその確率の方が高いだろう。
いきなり家に女子が訪ねに来たら、普通、妹の知り合いなのだと思うだろうし。第一、梓という名前からしてもっと疑問に感じるべきだったのだ。
それにしても大森に年子の妹がいるなどとは盲点だった。
だが、サクラコはとにかく彼女から情報を得るしかなかった。
「あの、私、あなたのお兄さんの同級生のサクラコというの」
「は? あんたが?」
サクラコは思わず背筋が凍った。突如大森梓が、くるりと丸い両目をギリリと細くして、まるでこちらを食い殺そうと言うかのように睨みつけてきたからだ。
「え、ええ、そうよ……」
「へぇ。あっそ。で?」
恐らくはサクラコが年上だとわかっただろうに、敬語を使う気も更々ないといった調子で途端に冷徹な態度を見せる梓。その雰囲気は母親に似ていたが、まだ母の方が柔らかかった。
「そ、そのあなたのお兄さんを探しているのよ今」
「はぁ?」
「ご、ごめんなさい」
今度こそ食いちぎってやるぞ、というような眼光になった梓を前に、サクラコは思わず条件反射で謝罪の言葉を述べた。
年下相手になぜこのような状況になっているのか。胸だって私の方が大きいのに。
「そんなこと思ってないわ!」
「は?」
「あ、いや、ごめんなさい……」
しかし、サクラコはモタモタしている場合ではないと自分を鼓舞した。
大森兄が正常とはいえず、家にも書店にも居ないとなると、一刻も早く彼の安否を確認したかった。
「しょ、初対面でいきなりこんなことを言っているのは迷惑だと思うわ。でも、もしかしたらあなたのお兄さんに危険が迫っているかもしれないの」
「危険?」
兄が「危険」というフレーズを耳にした途端、梓はケロリと表情を変えた。強い不安や心配が、ありありと顔に浮かんでいる。
「そうなの、だからお兄さんが今どこにいるか知らないかしら?」
「ちょっと待って」
そう制すと、梓はズカズカと歩き出した。
サクラコもそれに追従する。
梓は店内から出ると、真っ先に携帯電話を取り出した。
掛ける先は無論、兄だろう。
程なくして電話はあっさりつながった。
そして先程までとは比べもにならない可愛らしい声で梓は通話を始めた。
「もしもし、あ、お兄ちゃん? 今どこ? え、うん、私? 私は本屋。そう。え? もう家? あ、そう。ねえ今何か危険なことになってない? うん。え? 何ともない? 極上の幸せ? あ、そう、わかった、じゃあ気を付けてね……」
通話を終えた後、可愛らしい声も表情も一瞬でなりを潜め、梓はサクラコを当然のごとく睨んできた。
「特になんともなく、家に帰ってるらしいんだけど?」
「そ、そうみたいね、あはは……すれ違いってやつね……」
「じゃあ、もう私行くから」
「あ! その……ごめんなさい! でも、今日のお兄さん学校で何か調子が変だったから……」
しばし沈黙して梓は返答した。
「あっそ、まぁ確かにちょっと電話越しテンション高かったし、一応気を付けとく」
「そう、ありがとう、なんだかんだ優しいのね」
「はぁ?」
「いや、ごめんなさい……」
サクラコは異常な敵対心を見せてくる梓に困惑しながらも、取り敢えず大森のことは梓に任せると決めた。
全く、仮にも年下なのに大森家の人達の性格は良くわからないわ。胸だって私の方が数カップ大きいのに。
サクラコは自身の胸元を見ながら、梓の谷底のような胸へ敵意を剥き出しにし、石のように硬い握りこぶしを作った。
「作ってません!」
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