他者
サクラコは、その後何度か智美にあの日の夢のことについて尋ねた。
だが、良いようにはぐらかされ、結局彼女はとうとう一度もあの日の夢について教えてくれなかった。
しかしあの日の智美の異様な眼差しは、はっきりとサクラコの脳内にこびりついていた。
どう考えても、智美はあの夢について知っている。
そしてそれを自分に見られたことを知っている。
あの夢の内容が、何分セクシャルだったから、智美は恥ずかしくて言えなかったのだ。
サクラコはそう確信していたし、また、これ以上追求するのはかえって智美に悪いと感じていた。
だがそれが事実だとすれば、衝撃的なことであった。
智美とサクラコは同時的に同じ夢を見て、そしてサクラコが彼女に飛びついた時、智美はサクラコの存在に気付いたことになる。ある意味でそれは、夢の中でコミュニケーションをとったことに他ならないし、夢を共有したといってもいい。
それはもう現代科学を越えた超能力とさえいえた。
そして、サクラコはその体験を受けた日から、何かに取り憑かれるかのように、夢の実験へ埋没していった。
実験と言っても、所詮は中学生の浅知恵であり、学業に支障をきたさない範囲で、ただパターンを変えて虱潰しに行動を繰り返していったに過ぎない。
しかしサクラコは何度か、智美の夢と同じ現象に遭遇することに成功した。
結局のところ、サクラコは場所を変え、人を変え、智美の時と同じようなパターンを試行していっただけなのだが、彼女の根気強さが勝る形となった。
例えば図書館に行った時、例えば電車やバス等の交通機関に乗った時、智美と同じように居眠りしている人物を見かけて、また敢えて「良いなぁ、私も眠りたいなぁ」と念じた。
この念じ方が甘いと駄目らしかった。ただ単にサクラコが有触れた夢を見るだけで終わってしまった。
慌てて目を覚ますと、終着駅まで寝過ごしていたりしたことはザラだった。
だが、サクラコは諦めなかった。休日は必ずどこかへ出掛け続けた。
特に夏休みは、遂に勉強時間を最低限に抑え、貯金を切り崩して移動費を支払った。
そうして、智美に次いで成功したのは、夏休み中、とある映画館の中だった。
アルコールを摂取しながら中年男性がサクラコの隣シートに座っていた。
「おおう、姉ちゃん、可愛いしおっぱい大きいねえ」
と、セクハラまがいの台詞を受けたが、サクラコは気にしなかった。
――そもそも、姉ちゃんじゃなくて、私まだ中学生なのに。
思いつつ、何より彼が酒に酔って眠る可能性は高いと考えていたからその時まで我慢した。
映画の内容は純愛モノで、若い女性が好みそうな内容。この中年男性が映画内容に興味を持っているとはとても思えなかった。
恐らく彼は映画の内容はどうでも良くて、酒を煽りながら気持ち良く眠りたいのだろう。
あえて彼が寝場所として映画館を選定する理由はサクラコにはわからなかったが、映画館を訪れると必ず寝ている者が一定数いることを見越したうえでのことだった。
全ては計画通り。
ロビーで彼を見かけてから、サクラコは彼の購入したチケットを盗み見て自分の座席を選んでいたのだ。
男性が寝息を立て始めたのを確認すると、サクラコは念じた。
夢が見たい、この人の夢の中へ入りたい、私も眠りたい。
この日は前日から徹夜。
サクラコの身体は睡眠を欲していた。
そうして、サクラコは智美の時と同じような、突如ブワッと後方に身体が吹き飛ばされるような感覚と、にゅわんと右も左もわからなくなる感覚とを体感した。
目を開くと、訪れたことのない洋風のリビングだった。
そこには現実よりも更に皺が増え、白髪になった男がソファに腰掛けていた。だが彼は先程までの酒に酔った陽気な表情ではなく、深刻で暗い表情をしている。
そして、その男の前には、彼と同じくらいの年齢の女性が立っていた。
奥さんだろうか。サクラコは何となくそう思った。彼女もまた白髪で、深刻そうな表情をしている。
「おーい、聞こえますかー、やっほー」
サクラコはそんな彼らの雰囲気をぶち壊すぐらいに場違いな言葉を威勢よく発してみる。
しかし彼らはサクラコには見向きもしない。
予想通りだ。サクラコが発する音は、彼等には伝わらない。とすれば、やはり彼等に触れてみるしかない。
サクラコは早速彼らに近づこうと試みる。
だが、男が目から涙を落とし始めたのを見て、グッとその歩みにブレーキをかけた。
「清治は……あいつは本当は心の優しいやつなんだ……」
男は声帯から振り絞るような声を出している。
それに対して女性の方も淀んだ声を発する。
「そんなことはわかってるわよ……。でももう、清治に払ってあげられるお金は無い……。私達も定年なのよ……貯金ももう無いわ……」
しかし男は口調を強める。
「だから、この家を売ろう! 土地も売って、小さいアパートに住めば良い。それならまだ、何とか暮らしていける……」
しかし女性は男の悲痛な眼差しを享受しつつも、やんわりと首を振った。
「そんなことをすれば、いよいよ後が無くなってしまう……。それにきちんとした額貰えるかわからないわ。この不景気、売却しても満足に貰えないかもしれない……いや、そもそも買い手が見つかるのもいつになるか……」
「わかってる! わかってるんだ! だがもう時間がないんだ……清治は……もう、ただの……犯罪者に……」
映画館に居た時の男とはまるで別人のように、彼は白く染まる眉に克明に皺を寄せ、そして泣いていた。
サクラコは彼等の話の続きを聞きたいと思う気持ちと、私のような子どもが口を挟めるレベルの話じゃないという途方もない遣る瀬無さを感じた。
ふと、サクラコは男の奥さんと思しき彼女の背中越しにある棚の上に、ある一枚の写真が飾られているのを発見した。
彼らが沈黙するのをよそにこっそり近づいてみると、その写真はいわば家族写真だった。映画館に居る男は見違えるほど若く、至福のような顔を浮かべながら無邪気に笑う愛らしい男の子を抱き抱えていた。その隣には同じく若い奥さんがとても真面目そうな顔つきで、されど柔和な微笑みを浮かべて並んでいた。
映画館。
老若男女問わず、様々な人々が愉しい休日を過ごす傍らで、男はどんな思いでチケットを購入し、どんな思いで酒を煽っていたのだろう。
サクラコはわからなかった。
まだ十数年ほどしかこの世に生を受けていない身で、大人の方々の苦労というのをわかった気になるのは、おこがましい気もした。
だがサクラコは試しに、その写真を写真立てごと手に取ってみた。
幸いなことに、その写真の入った硝子製の写真立てをサクラコは物理的に手でつかむことが出来た。
そうしてそれを、男の奥さんと思しき彼女の手に、そっと添えてみた。
しかしその女性はまるで気付く様子がない。
そうか。彼女は男の夢の登場人物に過ぎないのだ。
どうやら夢の登場人物はあくまで登場人物であり、コミュニケーションをはかることは難しいようだ。
だが、その前方にいる映画館の男には効果てきめんだったようだ。
「うわっ!」
そんな驚嘆の声とともに、男は、サクラコとその写真立てのあるこちら側を、食い入るように見つめてきた。
恐らく突然サクラコがニュッと彼の視界に現れたように見えたのだろう。
そして間もなくしてサクラコは現実、即ち映画館へ戻って来た。
純愛モノの映画は丁度キスシーンだった。
すぐ隣に着座する男は、なぜかまだ目が覚めていないようだ。
サクラコは智美の時のような現象に遭遇することに成功したら、必ず当事者を問いただそうと決めていたが、男の寝顔を見ると、それ以上何も言わないことにし、上映途中だが、そっと館内を後にした。
その後サクラコは、まるで初めて自転車に乗ることが出来た時のようち、比較的楽に他人の夢へ入り込むことが出来るようになった。
時にはいきなり海中でサメとバトルを繰り広げる男の子だったり、時には、お墓の前ですすり泣き、道夫さん道夫さんと、か細く嘆くお婆さんであったり、千差万別の夢の中へと飛び込んだ。
そしてサクラコは確信した。
これはただの夢ではないと。
夢が明確な意志を持ち、サクラコへ訴えかけていると。
また、他者の夢を見た際、当事者が数年後あるいは十数年後と思しき出で立ちをしていることも共通していた。
ともすればそれは未来の形ではないかとさえ考えられた。
しかしこれ以上の追及実験は危険ではないかと、サクラコは何だか怖くなってきた。
なぜなら、夢というのは現代科学においてまだ解明されていない部分が多く、人々の漠然とした期待感は尽きない。
もし自分に、他人の夢を覗き見る能力があるのだと世間に知れたら、SF映画よろしく、国家機関に拉致され、恐ろしい科学者達の実験台にされる可能性だってあるかもしれない。
冗談でもなんでもなく、事実、智美やサクラコが実験で入り込んだ人達は、サクラコが自分の夢に入ってきたことに気付いたのだから。
サクラコに夢を観られた人達は、あくまでその前後、それこそ夢の中だったわけだから、高い確率で、ただの偶然、幻覚、妄想の範疇だと納得するだろうが、しかし、万が一という可能性もあった。
たまたま脳科学の研究者の夢に入り込んでしまったら、と考えが浮かばないでもなかった。
特に現在においては、人々はそのような突飛な発明を希求している。何か面白い事はないか、いやあるいは何か異常なことはないかと期待している。先の映画館でもそうだが、来場者は十数年前と比べると明らかに増加している。
人々は過酷で望みの薄い現実より、幻想にしがみつき始めている。精神的な不調で学校を休むのは生徒だけではない。大人である教師でさえザラになってしまっている。社会自体がどこか病み始めているというのをコラムで取り上げる記事も多い。
勿論、サクラコは他人の夢に入ることができたとしても、直接触れなければ、声も届かない。
だが逆を言えば、直接か、あるいは物などを使って間接的に接触すると、途端に相手はビクッと肩を震わせ、明確にサクラコの存在に気付いたとわかる。智美から最初の数回は、きまってすぐに夢から追い出されてしまっていたが、最近では次第に「追い出されなく」なり始めていた。下手をすれば、サクラコは何人もの人間に存在を認知されてしまっていた。だからこそ、嫌な予感がサクラコの頭を駆け巡っていた。
そんな時。
季節は既に夏を通り越し、紅葉は終わり秋から冬へ差し掛かる頃合い。
四季折々の日本。四季折々の人々の精神。
サクラコが夏以降、夢の件については距離を置き始めようとしていた時分、それはまた同じく、午後の天草先生による国語の授業時であった。
この日は珍しく智美は起きていた。
いや、サクラコが智美の夢に入り込んでからというもの、実は智美は一度もうたた寝をすることなく、授業を聞いていた、ので珍しいというのは最早死語だ。
旅館の利用客が増え新しい従業員を雇うことができたことも影響していたが、やはり智美は自分の事を警戒しているのではとサクラコは疑心暗鬼だった。
さて、しかしこの日はそんな智美ではなく、とある一人のクラスメイトが机に突っ伏していた。
有数の進学校であるサクラコの学校では、当然イレギュラーなことである。
彼の名は大森。
サクラコにとっては、この時点では大森という苗字すら曖昧な、面識の薄い男子だった。
黒縁眼鏡、中肉中背、少しだけ長めの髪。何をとっても特徴と思しき部分が彼には無かった。
そんな彼は先生から隠れたいかのように国語の教科書を直立させて机に突っ伏していた。
当然、サクラコは彼の事が気になって仕方がなかった。
だが、これ以上は辞めておいた方がという自制心も働く。
しかも、相手はクラスメイト。もし夢で自分の存在を認知されてしまったら、そう簡単には誤魔化せないだろう。
しかしサクラコはこの日も夏休みから続く癖を有してしまっていた。
それは、いわゆる「夜更かし」だった。
実験のため、前日はすぐ眠れるように常に寝不足状態を心がけていたため、その癖が二学期になってもなかなか抜けていなかった。
そしてこともあろうに、また午後という一日の疲れがどっと訪れ、眠気を誘いやすい時間帯。
淡々、淡々と物静かな声で授業を進める天草先生という二重の罠。
気づくと既にサクラコは机に顔を付けてしまっていた。
なんとも情けないことにサクラコの既に大人顔負けで大きくなっている両胸は机に接触しひしゃげていた。
そして、久々に感じるあの感触。
サクラコはすぐさま後方へ叩き付けられようというかのような後退感を感じ、にゅわんと周囲が無重力状態になったような感覚を受けたのも束の間、彼女は、大森の夢へ突入した。
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