6-3 そりゃ、器物破損で起訴だね
休憩の一悶着も終わり、愛佳と未来は再び箸を動かした。
定期的な間食のように、食べては休む。体を動かし消化を促すと、食べては休む。食べなくては未来が辛くなる。嘔吐というスキルを制限された今、愛佳が持つフルスロットルの食らいつきも役には立たない。
やめたいなんて言えない。未来も同様の思考であれば、共闘の末に共倒れという愉快な結果にもなりうる。
――例えば一緒に入部した部活。あるいは一緒に始めたアルバイト。どちらかが先に『やめる』と言い出させば、友好関係に支障をきたすかもしれない。
どちらかが率先して頑張れば、どちらかがあとから怠ける。どちらかが先に怠け始めると、どちらかがあとから頑張る。絆という束縛である。
いっそ二人で、咀嚼する口を止めてしまえば、見兼ねた富士彦が援軍として参戦してくれる可能性は――なきにしもあらず。
フリーで動ける富士彦が重い腰を上げれば万事解決なのだ。一番腹を空かしているし、炊きつければ一口、二口、そして数十キロを平らげてくれるはずである。心移りしているようだし、今なら『未来様』の甘い言葉での実働は請け合いだ。
現実問題、杏のルックスから予測した質量、三十八キログラムないし四十二キログラムという塊を、二人の女子がたった四十八時間で平らげるミッションなんてインポッシブルなのだ。
実際に食する部分は小さく見積もれるが、それでも処理しなくてはならないのは何十キログラム。愛佳は片手に手錠をかけられた心境で、人間のタブーを行っていた。
『食べることが大好きです』なんて自己紹介していた数ヶ月前の自分をぶん殴りたいくらいに、水も口にしたくなかった。
愛佳は富士彦を食人に誘い込むという本題を口にはせず、十九時を過ぎた頃、和やかな話題の口火を切った。
「てか三人でお泊りって初めてだね。なんかドキドキするねえ」
「暖房もないし、俺ら凍え死ぬかもな」
「大袈裟。でも寝る際は固まって暖を取るから。当然富士彦も」
あからさまに怪訝の眼差しを向けた、思春期真っただ中の男子高校生。普通、顔を真っ赤にして照れる場面も、美食会メンバーにかかればホラーの対象に早変わりである。
「なんでフジさん嫌そうなのかなあ。両手に花だよ?」
「自分で言うな」
「あたし寒いのは御免だから」
もう少しスカートを長くしろ――という富士彦の心の声が聞こえた。愛佳はしばらく考え、教室のロッカーからジャージを持ち出し、スカートの下に穿くか否かを、未来に相談した。
「マジ? 田舎の女子高生みたいな恰好とか無理なんだけど」
未来は想像どおりの反応を示したが、再び「……だけど」と、背に腹は代えられぬ思いも見え隠れさせていた。年頃の女子二人にとっては、苦肉の策だったのだ。
学校の作りは古く、教室の扉に鍵はついていない。愛佳は未来の心を汲み取り、富士彦に視線を寄せた。
「ってわけでフジさん」
「パシリ担当かよ」
「富士彦、お願いっ!」
両手の掌を合わせ、いやに女の子っぽい上目遣いと声音を使う様は、さすが未来先生といったところだ。クールからキュートに属性を変化させるあざとさが、男子を討伐する武器だと存じているのだ。富士彦相手にそれが通じないと知りながら全力でやりきる姿も、もはや勇ましい。
「あたしらの靴とか服とか頼んでるけど、途中で変なことしてないか心配」
富士彦を送り出し普段の表情に戻ったところで、未来はとんでもない杞憂を口走った。彼に限って変態思考はないと思いたいが、年頃の男子なんて何をしでかすかわかったものではない。
「嗅いだり舐めたり? そりゃ、器物破損で起訴だね」
顔を見合せながら愛佳が発した笑いは、自分自身への立派な皮肉である。
夜の学校が不気味とは、どの時代の、どこの国の、どいつが言い出したものか。むしろ寂しげで心地良い。怖がりの富士彦ですら、四の五の言わずに夜の学校を歩み、数分でブツを抱え戻ってきた。
温もりが残るジャージを穿き、悦に浸っていると、次第にうとうとし始めた。今日は限界だろう。会話も減り一人が船を漕いだところで、皆が一斉に寝床の確保に移った。
杏の遺留品のコートやカーディガンを寝具の代わりにし、自前の手袋やマフラーを身につけ、できるだけ暖を取る。サバイバルのようで無性にわくわくした。一人だったら孤独死しかねない一室、いつもの二人が居るだけで気分はお泊まり会だった。
疲弊した体を横にした二十三時半。
就寝前の定番と言えば好きな人の話だが、その『定番』を話題にすると、皆が葬式に出席する親族のような表情をするので、愛佳の就寝前の憧れは消え去った。
「おやすみなさい」
「……ああ」
「寝られると良いけど」
蛍光灯はつけたまま、それぞれ良い塩梅の寝相を見つけるのに苦戦していた。そのうち、意外と神経が図太い富士彦が寝息を立て始め、約一時間もぞもぞしていた未来も静かになった。
最も寝つきが悪いのは愛佳だった。皆がうなされている頃合いに、一人だけ悪夢の国へ出遅れてしまったのだ。寝ようと気張るのが逆効果で目を開ける、目を瞑る、不眠のローテーションである。
疲れを取るために寝る。寝れば一〇〇パーセントうなされる。どちらが幸せなのだろうか。
しばらく目を瞑っていると、愛佳の耳元で金属音が響いた。まぶたを開くと、服を着たまま調理台に寝ていた。周りには一糸まとわぬ姿で、頭に被り物をしている人間が二人立っていた。被っているのは牛の頭だろうか、アメリカバイソンを模す、リアルな代物だった。
愛佳は拘束されて身動きが取れず、文句を垂れる前に、良く研がれた包丁で片腕を切断された。流れるような作業で、もう片腕、そして両足が切り落される。
要は食材になっているのだと、驚くほど客観的に明断した。声が出せず、痛みがないのは夢を見ている証拠だった。
牛人間(牛男?)に胸を貫かれると、こそばゆい感触と共になぜか拘束具が外れ、愛佳は床に転がった。耳の奥では音楽が流れていた。聞き覚えのある、コアなファンの多い歌手の代表曲だった。
近くをゴキブリが横切り、体にひっついた。必死にもがき引き剥がそうとするが、がさがさと暴れる虫は体内に居座ってしまった。その間、無様な姿を見下ろすように未来と富士彦は、シンク付近でいちゃついているのだ。
何糞と叫ぶように飛び起きた、深夜三時。友人たちは寝息を立てている。同じような夢を見ているのだろう。愛佳は反射的に体中を触ったが、六本足の
胸を撫で下ろした愛佳の耳には、軽快でくぐもったリズムが聞こえ続けていた。耳を澄ますと、音源は着衣する服の中だった。
あちこち探っているうち、ポップスがかすかに漏れ出している、携帯音楽プレイヤーにつながったイヤホンを発見した。
寝ている拍子に再生されたようだ。右手の操作によって、再び無音になった室内。ふと蘇ったのは、包丁を握っていた感触だった。
『あれは食材だった』と詭弁を弄しても――未来の重荷を軽減するためだったと弁護しても――人間の首を切断した行為は、死ぬまでつきまとうトラウマだ。
後ろ指を指され精神異常者と罵られてもおかしくない行動に至った答えはもう出ている。いかれたキャラクターを作らなくては、ここでは精神を保てないと自負していたから。
床の上、寄り添った三人は『川の字』とは表現できなかった。
友人の体温に挟まれる愛佳は想起した。出会った頃の唐突すぎる友人宣言を経て、秘密を露呈しないまま三人が一晩を過ごせれば、どれだけ楽しい学生生活になっていたか。咽びはしなかったが、涙が溢れてきた。
どっぷりと闇に浸かった深夜では、感情の捌け口も見つからない。こっそり起きて、平らげねばならない料理を減らそうかと思ったが、両隣の温もりがその場に体を縛りつけた。
「はあ」
吐いた溜息が白くならないだけ、室内は平和である。なるようにしかならない大食いレースの成りゆきも、陽が昇ればまた変わってくるだろう。
涙も出なくなった頃、愛佳は本格的な眠りに落ちていった。
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