3-4 人を食う性格だよな

 翌日、美食会の活動が終わると、安藤家での出来事をいつもの二人に伝えた。コーヒーショップに入り浸り、かれこれ一時間弱が経過していた。

「フジさんや、先輩との甘いひと時はどうだったのかね?」

「スパイスの方が強かったです」

「冗談は置いといて、確かに富士彦が聞いたっていう《五大の罪》は、あたしも含めて誰もが知ってる。この町の住人ならばね」

 ここには日常があり、また予想したとおりの反応が返ってくる。富士彦は本拠地に戻れた安心から、溜息を吐いた。できればこのまま、宵まで話していたい依存もあった。

「なあ未来さん。安藤さんが言ってたんだけど、この町の秘密ってなんなの?」

 富士彦は我慢できず、地元の娘に真剣な目を向けた。あの場で聞く勇気はなかったが、HOMEのような安心感があれば心持も変化してくる。

 未来はしばらく目を落としていた。彼女のキャラメルマキアートが入っていた容器は、中で氷が解けきっている。

「聞かない方が良い。高校なんて通過点でしょ。進むべき道は進学か、就職か。どちらにせよ、この町に住む可能性の方が低い。富士彦は満喫町を知ってどうするの?」

 一拍置いて、容器の水分をストローで吸った未来は不味そうに顔をしかめ、あくまで自分のペースを保ちながら質問に応じてくれた。

 が、ここまで確とした答えと、ピンポイントな質問を返されては、秘密を聞き出すのは難渋してしまう。

「真相を確かめたいだけだ。それとも余所者には話せない?」

「あたしは富士彦のために口をつぐむ」

「どうして」

「キミを守りたいから」

 面と向かって言いきった未来に、我知らず口を閉ざした。この場合、『二人を守りたい』ならまだ理解できたが、迷わずに富士彦と断定してくる姿への狼狽を禁じ得なかったのだ。

 これ以上、町の秘密とやらに深入りさせないためのブラフなのだろうか。愛佳も驚きを隠せなかったようで、目を丸くしている。

 時は一向に動かず、今まで一度も訪れたことのない不穏な空気を入れ替えようと、

「でもさあ、会長さんが食えないのはわたしも同意するよ」

 左右に目を配り、愛佳は馬の尻尾を振りながら気の利いた一声をかけてくれた。

「ははっ。つーか人を食う性格だよな」

 差し出してくれた善意に便乗した富士彦は、冗談を笑い合い、先輩に対するちょっとした悪態を楽しんだ。

 反して、元から白い顔をより蒼白く変化させた未来は、前屈みでテーブルと睨めっこするばかりだった。手探りで相手の私意を詮索している様は、箸で大豆を摘まむもどかしさに似ており、どうも調子が狂ってしまう。

「みぃちゃん? どしたの?」

「な、なんでもない。美食会に入った以上あたしも正直に話さなくちゃいけない責任ってものがあるか。ああ、えっと町の秘密だっけ」

 そうかと思えば、今度は意見を翻し、目線を真一文字に豹変させるのだ。どういった作為があり、どのような感情の風向き加減だったのだろう。

「二人は、なんとなく気づいてるみたいだし」

 渋った様子の未来は、会話の流れを掴むかのような遠慮がちの問いかけをしてきた。あるいは問いではなく、例えと推測は彼女の自問だったのか。

「気づいてる? 愛佳?」

「ん? えっと……知らん」

 余所者の富士彦は同士と目を合わせてみたが、同様の反応を取られてしまった。

 推理はおろか、憶測なんてものも組み立てていない。そもそも未来に対し、上手な相槌すら打てない不安があったのに、当の本人は自分本位に会話を進展させてしまうのだ。置いてきぼりを食らっている自覚はあったが、場違いの発言はシリアスな雰囲気をぶち壊してしまう。

 女子としてではなく一人の人間として、穏やかな目つきを改める未来の風貌に辟易した。その目は杏が昨日、《五大の罪》を語った時とそっくりだった。

「この町は昔から、上等な肉を食べる習慣があるの。それはこの国だけではなく、世界各国で食べられてきた物だから」

 未来があとを続けた。

「それが、あの時に食べた郷土料理なんだね」

 格別とは大層な言い様である。愛佳の問いに軽く頷いた未来が、大風呂敷を広げているとも思えない。おおよそ仔牛とか、猪の睾丸とか。奇をてらってツルとかラクダとか、人がまず口にしないものだろう。

 どういう料理にせよ、至るところで口にできない名産品と推測できるし、《五大の罪》が存在する以上、法外な料理が出るとも思えない。

「でも調理には資格が要る。それも、選ばれた者だけが付与される資格。例えば、この町で古くから地位を築いている旧家の人間」

「で? あの料理なんなの? みぃちゃん、そろそろ教えてくれても良いんじゃないかな。わたしのしたいことなら協力してくれるんだよね? 含ませてばかりじゃわかんないよ?」

 まるで青天の霹靂だった。普段どおりあっけらかんとしていた愛佳が、珍しく高圧的な態度を取ったのだ。未来の、渋柿を食べたかのような顔つきに感化されるかのように。

 虫の居所が悪かったとしても、まるで瞬間湯沸かし器だ。静かに沸点を迎えている様子が、富士彦には恐ろしかった。

 未来は普段の調子で、ウェーブヘアを曖昧に振った。あからさまに流し目をするのにはわけがあるのだ。

「昨日だって、わたしの言葉をちゃんと受け取ってくれなかったし。言っとくけどわたしは本気で……あっ、ごめん。やっぱなんでもない。もう良いや、今日は聞かないよ。でも返事は待つからね?」

 まとまらない会話の中心点に、愛佳が一文を被せてきた。何かを言いかけ、富士彦を一瞥したと思うと、痺れを切らしたように帰り支度を始めてしまった。

 一度くつろいだ愛佳が重い腰を上げるのは、誰よりも遅い。過去と照らし合わせられない、本日のコーヒーショップ。一挙一動に、怪訝と不安をいっぺんに感じた。

「今日は買い物しなきゃいけないから先に帰るよ。バイバイ」

 言い残すと愛佳はあからさまに作った一笑に合わせ、席を立ってしまった。別れは随分と雑で、一席に二人だけが残された。店内の雑音がなければ、友人同士が向かい合っているとはとても思えない、重々しいサイレント席である。


 富士彦は未来の挙動を探りながら、飲みかけになっていた二杯目のカフェモカを口にした。いつもの味が不快だったのは、心情の問題である。そのうち未来が話の口火を切った。

「ねえ富士彦?」

 正面から迫ってきたのは、薄いキャラメルの匂いが混じった、甘くもない発声だった。掴まえどころのない未来が、すぐそこに居る。二人きりで向かい合うのは、不思議とこれが初めてで、軽いめまいを覚えた。間をつなぐために、富士彦は「どうした?」と軽く受け止めた。

「安藤杏の家に行って、なにしたの?」

「茶菓子食べて会話して終わりだよ」

「本当?」

「いやに食いつくなあ。どうした未来さん? なんか変だよ」

 未来はわかりやすく苛立っていた。矛先が自分ではないと知っていたからこそ、富士彦は冷静に対応できたのだ。

「変? ねえ、富士彦は優柔不断な女って嫌い?」

「あまり好きではないかな」

 いつも以上に未来の真意が掴めない。なるたけ面倒臭そうな顔は抑えつつ、あえて顔をしかめるフリをした。

「肝に銘じる。話せる時が来るように」

 店を出ても未来の意図は理解できなかったが、夕刻になり暑さが和らぐ昨今は心地良く、不快感はちゃらになった。未来を嫌っているわけではない。ただ、コミュニケーションが取りにくい人物は、割と苦手だった。

 言い換えれば、『こんにちは』と挨拶をしても『こんにちは』と返してこない人間と、無理に付き合う必要はないと思っているのだ。美食会を通して交流を深めていなければ、未来は確実に『関わらない人種』に分類されていた。いくら容姿が良くても、中身に問題があっては話にならない。

 そういう意味では、愛佳は付き合いやすく、好意も抱きやすい。大食いというステータスも、言い換えれば個性なのだ。食費はかかるかもしれないが、料理を食べる姿なんて、何物にも代えがたい笑顔を見せてくれる。

 愛佳に初めて声をかけたのは、今思えばやはり興味があったからだ。あの娘は富士彦にとって、かけがえのない存在になりつつあった。

 中学の頃、たまに廊下ですれ違ったり、全校集会の体育館で目撃したり、名前と容姿を知りながら、一度も会話しなかった少女。

 今では、約束しているわけでもないのに通学の電車でよく落ち合う。教室ではノートを見せてくれとせがんでくる。調理室では、あっけらかんと笑いかけてくれる。オールマイティで優秀な未来とはまったく別次元の行動を取るのだ。

 店を出てからは発展する会話もなく、別れ道にさしかかった。

「未来さん、あの……」

「なに?」

「あの、そんじゃあまた月曜ね」

 二人は、それぞれ歩む道の前で足を止め、ろくに顔も見ずに声だけを交えた。

「――あの、富士彦? 今から暇? どっか行かない?」

「え? えと、気持ちは嬉しいんだけど……でも、今日は家で用事があってさ」

「あ、ごめん。いつも暇みたいな言い方して」

「いや、ごめん……俺も。えっと――」

「違うの富士彦……じゃあ明日――あ、いや……なんでもない。またね、また月曜」

 友人とは思えないくらい会話は弾まず、富士彦は体を逸らしてしまった。こうなってしまうと駅と自宅、それぞれの道に足を向けるほかなかった。

 虚しく手を振り「またね」と言った。今日も明日も予定なんてないのに、毎日が暇人だというのに。

 未来のことは決して嫌いではない――何度も言うと、言い訳に聞こえる。

「はあ」

 残暑は続くが二、三ヶ月もすれば運ばれてくる風は冬の匂いを帯び、心身ともに耐え忍ぶ時季へと移ってゆく。冬はつとめてと昔の人が説いたけれど、布団から出ずに一日を過ごしていたいと思うのは時代の差だろうか。

 こうして高校生活初めての冬が訪れる。

 どこか胸騒ぎのする冬だった。富士彦の、至って普通に過ごしたいという願いが、いとも容易く呑み込まれるかのような――

「俺は……どうなりたいんだ」

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