四食目 安藤家

4-1 キミはイレギュラーだな

 発展を続ける満喫町には、由緒のある家系が多く存在している。安藤家もそのひとつで、昔から高い地位を築いていた。

 安藤家は昨今、一姫二太郎に恵まれた。二つ違いの姉弟は、小さな頃から睦まやかな関係だった。

 が、弟は幼い頃に不幸な事故で片足を失ってしまった。

 姉は、自分のせいだと自責の念に駆られた。

 弟は、姉に悪気はなかったと庇い続けた。

 傍から見ればとても仲の良い姉弟だが、禊のように姉は弟を甘やかし、あからさまな気遣いを必死に受けとめようとする弟との関係性は一向に良くならなかった。

 弟の目が笑っていないのは知っていた。旧怨の目遣いで、瞳の奥には姉の首根っこばかりが映っていると。それらを承知し、一つ屋根の下で暮らしているのだと。

「――お疲れさま。みんな気をつけて帰ってね」

 何度か過去にトリップした十二月二十二日。

 美食会も無事に終え、杏は会長としてほっと一息吐いた。昨日が終業式で、本日は冬休みに入ったばかりの活動だった。

 目先のビッグイベントは、クリスマスパーティと称した美食会である。先月の終わり頃から、十二月二十五日に開催する旨を伝えていた。

 恋人や家族と過ごす場合も留意し、パーティは任意参加にしたが、出欠を窺ったところ全会員が参加すると言ってくれた。聖夜にちなんで特別に郷土料理も用意すると謳ったのが、皆の参加につながったのだろう。

 杏は退室前、室内をぐるりと見回しチェックを済ませると、残っていた後輩と軽い談笑を交え、調理室の鍵を閉めた。

 後輩とは下駄箱が違い、廊下の途中で別れた。キーホルダーのついた鍵を制服の内ポケットに放り込み、冷え込んだ足を引きずりながら下駄箱へ向かう。普段、一人の登下校に寂しさを感じたことはなかったが、冷気は心の隙間に入り込んでくる。上履きからローファーに履き替えると、インソールの冷たさが足裏に広がった。

 校舎を出るとすぐ、カバンを右肩にかけた生徒と目が合った。両手の親指、小指が完全に隠れたベージュのカーディガンを着た生徒は、片足に体重を乗せながら、「お疲れ様です会長」と、愛想なく言い放ってきた。

 だるそうな普段の目つきをもって、自ら近寄ってきた女子は、ついさっきまで同じ教室で料理を作っていた光田未来だった。いつもの二人は一緒ではないようだ。美食会が終わってから別れたのだろう。

「今から時間あります?」と、二言目も未来が握った。察するところ、ペースをつかみたいようだ。

「光田さんか。出待ちかい?」

「ええ。パーティをやると言っていたので、ちょっと尋ねたいことがあって」

「ああ、郷土料理の件かな? なあに、楽しみにしててよ」

「郷土料理か。資格者はあなた?」

 未来のトーンが変わった。

 杏はいくつかのやり取りのあとに事情を呑みこんだ。この後輩は、パーティ自体には興味がないのだと。

 おおよそ、探りを入れてきたのだろう。今まで鳴りをひそめていた問題児が息吹を上げ、人に食ってかかるような鋭い眼光を向けている。

 いよいよ、美食会も安らかなままでは居られなくなってきたか。あと数ヶ月で学校生活が終わるというのに、出し抜けに不安を覚えた。

「まあね。で、なにを詮索したいんだい?」

 尖った寒風でなびいたマフラーを巻き直した杏は、両手を手袋ごとコートのポケットに突っ込み、前置きを抜いて尋ねた。

「材料の出所です。あたしは友人を守りたいから」

 表情を隠すかのように、マフラーに顔を埋めた未来は単刀直入だった。美食会の核心に迫りたくて仕方がない様子は、充分に伝わってきた。

「だったら光田さんが分けてくれる?」

 杏の切り返しに、未来は無言で敵意を向けてきた。一年生だというのに勇ましい。ここで一戦交えても良いが、学校では壁に耳だ。

「冗談さ、場所を変えよう。そうだ、うちに寄ってくれないかな」

「ではお言葉に甘えます」

 未来の反応に、杏は表情を変えずに驚いた。敵と見なしているだろう上級生の牙城へ出向くとは、よほどの覚悟があるか、単にちゃらんぽらんかの二択だからだ。

 ――光田未来。今思えば、イレギュラーな存在だった。美食会に誘うべきか否か最後まで迷っていた人材である。今まで進んで関わろうとはしなかったが、こうして交わってしまった以上、ターニングポイントは避けられないだろう。

 彼女は自転車を押しながら、杏から少し離れた位置をついてきた。向こうからの会話はなかったが、五分も無言なんて時間の無駄使い、暇の超過である。

「そうだ。以前、富士彦くんがうちに来たよ」

 杏はさりげなく、一度自宅に訪れた富士彦の話を持ちかけ、唇を開いてかすかに薄笑いを浮かべると、未来の目尻が長い睫毛と共にぴくりと動いた。

「いつから富士彦を名前で呼ぶように?」

「さあ。いつだったかな」

 殊更にはぐらかすと、彼女は怪訝そうに睨みを利かせてきた。わかりやすい女の嫉妬に、今度は隠さずににんまり笑った。同好会での言動を見ているだけでも、未来が富士彦に好意を抱いている様は明瞭としていた。

 そのくせ、愛佳を含めた三人でばかりつるんでいるのはどういう腹積もりだろうか。煮えきらない性格か、優柔不断なだけか、人には言えない事情を抱えているのか。

 多くを語らない人間の心を詮索するのは、非常に愉悦を感じる。会話そっちのけで思い見ているうち、自宅に着いた。

 未来からは旧家に対しての感想はなく、愛車を停めたあと一言、「おじゃまします」という道理だけが口にされた。

 広縁で滑りかけた未来をさっと客間に通し、簡素な茶菓子を出し、暖房の風が部屋に行き届く前にやり取りを始めた。座卓を挟んで、互いに正座し、肩をすくめて、足をこすり合わせていた。

「さて、どこから話そうか。質疑応答の形にするかい?」

「では改めてお聞きします。美食会で出された郷土料理とやらの材料は、一体どこから調達しているんですか? そうそう手に入るものではないでしょう」

「残念だけど、それは言えないね。わかるだろ? あんなもの普通は学校で出せるものじゃあない。資格も要るし、それなりの根回しも必要なんだ」

 未来は執拗に、美食会で出された郷土料理に迫ってくる。誰もが喜んで口にするあの料理を、黙って素直に食す気はないのだろうか。

「あたしなりの憶測があります」

「憶測か。まあ、頭で繰り広げるのは自由だよ。思い思いの推理を見せびらかすのも自由だ。だけど、その自由には責任が伴う」

「わかってます」

「自由とワガママの違いとはなにか? 人に迷惑をかけるか、かけないかの違いと、昔の異人が説いていたよ。もし、キミの推理がデマカセだった時の責任はどう取るのかな。高校生だって、言ってみれば大人さ。それだけの代償を払ってもらうかもしれないよ? わかるかい?」

 聞き分けの悪い後輩は、こうして強めの口調で詰め寄ってしまえば良い。そのうち目を潤ませ、口をつぐんで、顔を逸らし、小さな声で謝罪してくるのだ。

「構わない、証拠も確証もなくても言うまではタダだから。わかる?」

 が、彼女に備わっていたのは、ただ眠そうなだけの眼だけではなかった。自得の境地に立つかのような、確信に溢れた目力である。杏は無言のまま、話を続けるよう、手を仰いでサインを送った。

「キーポイントは多々ありました。まず、由緒あるこの家系。二つ目は《五大の罪》の存在と、その罰則」

 未来は一息吐いたが、すぐにあとを続けてきた。

「三つ目はどうして美食の二、三年生が終始浮かない顔をしているのか。四つ目は調理室を取り巻く無数の学生の怨霊。五つ目は美食に勧誘された生徒たちの名前」

 思った以上に要所を押さえていた。杏は眉を釣り上げながら、口元を緩めた。上級生としての余裕、旧家の娘であるという誇りからだ。

「やっぱりキミはイレギュラーだな。自称オカルト娘だったら平和だったのにな」

「あたしがイレギュラーなのは名前ですか? 美食に勧誘された生徒の共通点から察すると、そんな気がしますけど」

 目線を逸らし、未来はカバンからふたつ折りのA4紙を澄まし顔で取り出し、座卓に広げた。紙の上に連なっていたのは人名で、二十人すべての名は見覚えがあった。


  会 長 安藤杏

  副会長 伊豆伊織


  三年

    海老原笑理寿えりす 菊池きさら

    菊地希星きらら   栗原玖璃珠くりす


  二年

    鯨井久遠くおん   酒井聡 さとる  酒巻咲

    三宅水菜   湯川柚子  竜泉寺李香りか


  一年

    鮎川愛佳   大貝おさむ   川島花梨かりん

    木梨恭介 きょうすけ  麩谷富士彦 光田未来

    桃井もえ   森久保桃子ももこ


「どうです?」

 答えを述べさせようとする圧迫感があったが、更々答える気はなかった。この娘が、どこまでを認知し、何をしたいのかを明らかにするまでは。

「キミの言いたいことが、ポンカンとデコポンの違いくらいわからないね」

「その例えがよくわからない……。美食会に在籍している者たち全員の共通点は、食材の名前が入っていること。ついでに言うと、三年生にキラキラネームが多い」

「ちょっとちょっと、私はキラキラしてないぞ。けど、よく見つけたな」

 未来は相槌を打たず、淡々と己の意見を述べてくる。反面、口が利けるうちに吐き出してしまう魂胆にも見えた。

「あたし暇人ですから。それでずっと考えてたんです、食材の出所を」

「ほう?」

「憶測か偶然か。調理室を覆う数々の霊は、どう見ても学校の生徒なんですよ」

 未来がついに核心に迫ってきた。他所者が秘密を暴こうとするならば納得もできたが、同郷が敵に回るなんて、相当の覚悟がなければ行動に移せない。

 杏は一度、大きく肩を上下させ心の姿勢を入れ替えた。

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