1-6 未来さんストップ

 表情の浮かない二、三年生が各席に配ってくれたのは、水菜、カイワレ大根、細切りにされた赤パプリカをローストビーフで巻いた、お洒落なオードブルだった。

 朝食を牛乳一杯で済ませた愛佳にとって垂涎の一品は、高校の同好会では到底目にする品物ではなかった。さすがは『美食』というところか。また、コストの問題で同好会が潰れ、非公式に落ちぶれたという憶測にもつながる。

 食を愛する者だけに許された非公式の同好会、素晴らしいではないか。

「おかわりなら用意してあるから。みんな、じっくり堪能してくれ」

 配膳は慣れた手際だった。集まった一年生たちの眼下に料理が並ぶと、皆がバラバラに『いただきます』と唱えた。


 肉が巻かれた円柱状のフォルム、両側の端から野菜が顔を見せ、飴色のソースが食欲を挑発する。白い皿の上、まるでフォークでの捕食を望んでいるかのようだった。

 黙々と利き腕と口と、そして喉を動かす室内の生徒たち。愛佳も倣おうとした。

「シャレオツな料理だねえ」

「お化け怖い……」

「ねえ、二人とも。本当に食べるの?」

 二人に聞こえるように感想を一言添え、右手にフォークを握ると、未来がいつもより格段に低いトーンで、しかも小さな声量で、眉を曇らせながら詰め寄ってきた。

 食事を目前におあずけを食らうのはあまりにも酷だったが、未来の顔つきは少し険しく、あらぬ心配が愛佳の右手を止めた。

「えぇ? 食べちゃダメなの?」

「俺さっきのアレで食欲がないっす」

「富士彦はそのままで居なさい。言いにくいんだけど、愛佳の口に合わないかも。食べてみなくちゃわからないって顔してるけど、無理に食べない方が良いと思う」

 付近の生徒は無言で、それも貪るかのように肉を頬張っている。おかわりを欲し席を立った者まで居る。愛佳の体内では空腹がデモを起こし始めていた。とはいえ皆のがっつき具合は耽溺者たんできしゃのようで、歓談こそないものの行儀の悪さが目に余った。

「――やあ鮎川さん。どうだい、うちの料理は」

 視線を戻した時、隣に立っていたのは杏だった。会長としての軽い発声が即効性の圧力となり、未来へ向けていた疑問よりも、無性に窮屈な、急いた思いが誘発した。

 右手を無意識に動かした愛佳は、野菜巻きを口へ運んだ。味つけはオニオン風味で、咀嚼してわかったのは、牛肉ではなく――はっきりと表現できないが、小さい頃に食べたイノシシに似た味だった。反面、これといって臭みはないし、食感も柔らかい。新種の豚肉と断言されれば、まったく違和感はなかった。

「あまり食べ慣れない味ですけど、お肉柔らかいですね。筋っぽいような気もするけど、すごく新鮮な味でわたしこれ好きかも」

「口に合って良かった。麩谷君はどう?」

「あの、富士彦はさっきの怪奇現象で食欲が失せたみたいで」

 会長の威圧を受け止めるかのように、割って入ったのは未来だった。ホラー嫌いを自負しているだけあって、富士彦の顔は青ざめていた。

「おやおや。大丈夫かい?」

「富士彦の分はあたしが食べるんで、気になさらず」

「ふうん。そう言えば二人は都心から来ているんだよね。まあ緩い感じの同好会だからさ、気に入ったら入会してちょうだいね」

 優しく微笑む会長がその場を離れると、どこか浮かない顔で未来も同じ料理を食べ始めた。彼女の『無理に食べない方が良い』とは、果たしてどういった意味だったのだろうか。

 気に留めながらも食を進めると、続いて登場したのは大きな鍋に野菜や肉が豪快にぶち込まれた汁物だった。豚汁のような見た目で、食欲をそそる生姜やごま油の香りによって、口内には唾液がじわりと広がった。

 こちらも、調理実習で作るようなチープなものではなく、定食屋のセットで出てきそうな味つけで、相応の美味と表すのは過言ではなかった。

 野菜と共に肉を頬張る。白米が欲しくなるのはワガママではなく反射である。塩気を抑えながらもダシの味が舌の上で活きる、どこまでも飽きの来ない汁を飲み干し、二杯目をよそいに席を立った。

 お椀の八分目で揺れる内容、席に戻り再び箸をつけると、横から未来の視線を感じた。じっと見据えられると食欲も落ちるが、何よりも十数分前の苦言が、まだ脳裏に残っていたのだ。

 友人の視線ばかりが気になり、大食いの一面を抑え続けた約二時間。美食会の交流もたけなわだったが、惜しくもお開きの時間が訪れた。

 小姑のような視線に耐えられず満足に食事はできなかったが、それでも愛佳にとっては有意義な時間だった。

「この町の郷土料理はいつでも食べられるわけじゃあないけど、年に一度は必ず食べられる。まあ基本、調理してワイワイする同好会さ。入会したい子は、来週の土曜ここに来てくれ。改めて、正式な歓迎会をするよ」

 最後に会長が、来週の予定を詳らかにした藁半紙を人数分配ったところで、一年生は解散した。


 日は落ちきらない帰りがてら、街をふらつく三人は喫茶店に立ち寄り、ついさっきまで行われていた勧誘について考えを巡らせた。

「わたしたちならやってけるって!」

「お化けとか無理。入会とか無理」

「『たち』って、あたしがすでに入ってるのはいかがなものか」

 富士彦の意見も一理ある。愛佳はあやかしを信じる質ではなかったが、あそこまではっきり表れてしまうと、静かに認めた方が楽だと思った。

 発展したこのご時世、科学の力やトリックを用いれば、ポルターガイストは幾らでも作り出せるが、ああいったパフォーマンスを行ったところで美食会にはメリットがない。

 また、現象自体を否定し続けるのは、まるで一人だけ同好会の波に乗れていないようで怖かった。それでなくとも地元の人間ではないのだから付和雷同――あるいは、郷に入ってはなんとやら、が妥当なのだ。

 人ならざる力を信じるしかなかった。

「そういや、みぃちゃんが最初に言ってた『なにが起きても知らない』ってやつ、あの怪奇現象だったのかい?」

「それは違うけど。そういや二人は見えてなかった?」

 未来のセリフに富士彦の肩が跳ね上がり、視線が明後日を向いた。恐ろしい言葉を口走られる虞で、表情が強張っていた。

「さっき激しく窓が揺れたでしょ。あの時なんだけど、外に何十人もの若い男女がびっしり並んで、魔物のような形相で外から窓をドンドン叩いて――」

「未来さんストップ。それ以上はやめて……マジで今夜寝れんくなる」

 語りの途中、彼の顔色が悪くなった。案の定というか、さぞかし未来は楽しんでいるのではないか。

「でも誰の霊かは想像つくけど」

 未来いわくあれは心霊現象だったようだが、本当にそんなものが存在するのだろうか。怖くないと言えば嘘になるから畏怖は認めるが、目に見えない存在を受け入れるのには抵抗があった。

 会長に真意を尋ねたとしても、仮初に振る舞い、本心をはぐらかされるに決まっている。どうせ、あの性格は食えないのだ。

 愛佳はまるで、杏を見知ったように溜息を吐いた。

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