5-2 苦しいなら出しちゃいなよ

「あれ? みぃちゃん?」

「はよっす。未来さんも呼ばれてたの?」

「あたしはその女に用があるから」

 未来の物言いから、二人の同級生は不穏な空気を感じ取ったようで、しかめっ面を見せた。喧嘩腰のパフォーマンスを即座に拾ってくれたのは、教壇の上に椅子を移動させ、足を組んで座る杏本人だった。

「穏やかじゃあないね。ウチで話し合った昨日の今日だろう」

「それが原因なんだけど。ところで弟さん元気?」

 杏はくすりとしてみせ、「お陰さまで」と、小振りの果物さながらの芳しい一声を見せつけてきた。今のところ悶着を起こすムードは窺えない。未来が二人の側に落ち着くと、立ち代わるように杏が立ち上がった。

「そういや、ヒマだからクッキー作ったんだけど食べるかい?」

 鞄の中から紙袋、紙袋の中からビニールに入った幾数のクッキーを取り出した杏は、【会長】として二人に言い寄った。

「良いんですか? せっかくだし、わたし頂いちゃおうかな」

「んじゃあ俺も――」

「そんなの良いから! そういう話をしにきたんじゃない!」

 感情を目尻に走らせた未来は、無邪気な二人を遮り、あえて平穏を崩した。勢いをつけて立ち上がると、椅子が後方に倒れた。愛佳と富士彦は第三者になり代わるかのように、泳いだ目を見合わせていた。

「まあ良い。今日は来てくれてありがとう」

 杏はクッキーの入った袋を開け、自ら口に運ぶと本題に触れた。愛佳と富士彦は首を縦に振り、主催者に同調しようとしている。

「鮎川さんと富士彦くんに真実を伝えようと思って呼んだんだよ。で、そこのウェーブかけた子は――」

「そう、あたしはそれを妨害しにきた」

「おやおや。本当に穏やかじゃあないな」

 交渉で解決したかったが、叶わぬ妄想になりそうだ。ゆとりを失った自身へ苛立っている未来は、冷静な判断ができずに奥歯を噛んだ。

 かといって力で勝ち取ろうにも、くんずほぐれつ、一線を越えれば血を見る可能性はマジョリティ。体格的に勝っていても、人間の底力を侮った者は最後に痛い目を見るのだ。

 静かな睨み合いの途中、「待って!」と割り込んできたのは愛佳だった。女子らしい声が、余韻として漂う。それも普段よりも何十倍も真面目な口調だった。

「ちょっと待ってよ。みぃちゃんはどうして隠すの? そんなに隠し事するのは、やっぱりわたしたちが余所者だから? ねえフジさん」

「ああ。俺もできれば言ってほしいかな……未来さんと友達で居たいし」

 煽られた富士彦が尻馬に乗った。柔らかい口調だが、いつもよりも意思がはっきりしている。余計にそれが癪に障った。

「……るさい。それとこれとはベクトルが違う」

 愛佳と富士彦、両者と会話しても綱引きにしかならない。便宜を図ったところで二人はもう納得しないだろう。そこに隙を見計らった杏が入り込んでいるのだから、現況で味方につけるのは厳しい。

「どうする気だい、みーちゃん? 二人の友達は望んでるみたいだよ?」

 友人を続けたい。友人を続けるにはどうすれば良いか。愛佳には嘘を吐き、富士彦だけを逃がす。ではどうやって。杏を突き飛ばして二人の手を引く。上手くいったところで、のちほど杏に直接聞かれればおしまいだ。美食会を退会できる保証もない。

 そもそも、嘘を吐き続けて友好関係が続けられるだろうか。

 真実を語ったとして、友好関係が途切れるのだろうか。

 諦観が心から滲み出た。本人たちが真実に触れたいのならば、口出しは蛇足だ。未来は『好きにしろ』という意思で無言を貫いた。数秒したあと杏は悟ったように、学校ではまず見せない、活き活きとした表情をもって口を開いた。

「にわかには信じられないだろうけど、はっきりと言うよ。この町は、昔から人間の肉を食べる習慣があったんだ。そこに居る光田さんも同じさ。満喫町で育ち、人知れず人肉を食べてきた人物の一人。だから暴露されることを拒んでいたのさ」

 言いきった杏だったが、『真実』というやつを所望していた二人は、口の解錠を忘れたように、何も反応しなかった。杏が口にした『真実』の意味に、ついていけていないのだ。

 そのうち北風が窓を叩いた。デジタル時計の表示が変化したことを、わざわざ告げにきたのだ。そう思うと、なんだか素敵である。

 そう思わないと、未来は理性を保っていられなかった。

「え? なにそれ?」

「なにかと思えば、そんな話かよ……それって満喫町の都市伝説か?」

 日常で非日常を感じると、人間は無意識に否定する。まさに人間らしい日常の行動である。普段より汚い口調で富士彦が否定にかかったが、杏の笑顔と、未来の当惑顔が場の不穏を増していった。時間が経てば、事柄を認める要因は増えてゆく。

「え、なんで黙るの? やだよ本当に……」

「ありえねえよ、どうせドッキリだろ。なあ未来さん」

「え? いや、えっと……」

 どもる未来が、『都市伝説』を『事実』へと導いてゆく。

 来るべき時が訪れた際の、愛佳や富士彦が見せる反応なんて半年も前から予想していたが、目前で衝撃を受けている一挙手一投足は想像以上に大きかった。肩をすくませたり、身をよじったり、上ってきてはならないものを嚥下したり、うねるヘビを模すかのような言いがたい怯え方だったのだ。

「無論、一般人はなかなかお目にかかれないのさ。昔は誕生日だったり、合格祝だったり、結婚記念日だったり、お祝いの席に出ていたんだけど今ではめっきりね」

 杏は二人の心情をまるきり無視し、それとなく会話を続けた。

「美食会に来てくれた生徒に振る舞う料理もまたしかり、さ」

「え、それって、わたし……」

「そうさ。要するに鮎川さん、キミも――」

「やめろ杏! それ以上は!」

 叫声なんて、取り立てて抑止力にならない。未来が本気で怒りを露にしなかった理由でもある。

「ふふっ、ここで止められてもな。知る権利はあるだろ? つまり鮎川さんも食べたんだよ? ほら、富士彦くんがお化け怖くて食べなかった時だよ。覚えてるよね?」

 呪文のごとく真実が実体化し、遠い現実がたちまち愛佳の体に入り込んでしまったのだ。何かの予兆のように、愛佳が目を見開いた。

 人間とは脆いものである。排泄されてしまった、何ヶ月も前の料理だというのに、それが同族だと知らされた瞬間に我を失ってしまうのだ。

 富士彦に与していた愛佳だったが、口に手を当て催し、椅子を転がすように前のめりで立ち上がり、ふらふらと室内を歩み始めた。ほどなく膝から冷たい床に崩れ、今にも『放出』させそうな態勢を取った。

 いびつに歪む細い眉、小さな山脈を作った眉間、鳴嚢めいのうのように頬を膨らませる様子は、マニアが見たらたまらない光景なのだろう。

 数ヶ月前、知らずに食したと言い訳しても、彼女は確実に共食いしたのだ。一般人として悪心を覚えるのは当然の反応である。

「愛佳、しっかりしろ! どうせ悪い冗談だ! こいつらの言うこと信じるな!」

 立ち上がった富士彦が、愛佳の背中を何度もさすった。年頃の女子と手をつないだこともないピュアボーイが、未来の目には生意気に映った。

「富士彦くん? 私たちのことを『こいつら』だなんて、酷い言い種だなあ。キミは自分だけ食べてないから、他人事のように鮎川さんを慰めているのかい? でも実際、あの料理は確かに君の前にあったんだよ。いくら口から取り込まなかったとはいえ、目からも鼻からも感じただろう? あの美味しそうな料理を」

 事実を否定しながら愛佳を案じようとしていた富士彦も、そのうち周りに呑まれ、リバース寸前の表情に豹変していった。また、『もらった』わけではないが、初めて富士彦に悪態を吐かれたショックで、未来まで嘔吐しかけていた。

「さあ。苦しいなら出しちゃいなよ」

 余興のように愛佳の悪心を楽しむ杏が、教壇に乗りながら調理台に両肘を突いた。途端、堪えきれなくなった愛佳が、ついに魂を吐き出す声を上げた。表情は前髪で見えないが、びちゃびちゃと音を立てて撒き散らした吐瀉物の中に、朝食の一部が溺れているのははっきりと見えた。

 制御は試みていた愛佳だったが、人の意思でどうこうできる範囲を超えてしまったのだ。加えて彼女は、元から吐き癖がある。杏に真実を告げられた時点で、床にファンタシーが広がるのは目に見えていた。

「おやおや、派手にやったね」

 杏は、愛佳の苦悶をおかずにクッキーを頬張り続けている。

「あんた悪趣味すぎ。嫌がらせしたいの?」

 反吐の臭気に耐性があるわけではないが、未来は平然として対峙した。大事な友人の粗相であると言い聞かせ、自制を保っていたのだ。

「端からキミが伝えないのが悪いんだろ?」

 至って悠長な杏が愛佳を覗きこんだあと、突いていた両手の肘に体重をかけて直立した。嫌悪を覚えた未来は目を逸らし、富士彦に目を移した。彼が覚える精神的な苦痛を慮ったのだ。メンタルの脆さは自他共に認知している、そう思った矢先、彼は思いもよらぬ行動を取った。

「愛佳、大丈夫か? トイレ行くか?」

「フジさん、ありがと。でもね、吐くのは慣れてるから大丈夫……ははっ」

 躊躇いながらも、沿うようにして愛佳の手を握ったのだ。未来は二人を眺めるのをやめた。見ていて気持ちの良いものではなかったからだ。

「いざって時は男らしいね。やっぱり好きな人が相手だから?」

 杏が畳みこむように冷やかしを入れてきた。途端、「はあ?」という肉声が三つ重なった。疑問と威圧を持ち合わせたシンクロナイズには未来も参加していた。

「おっと。違ったかな?」

 執拗に続く囃し立ては、構わなければ実害なんてない。未来は誰とも目を合わせず、無視に徹しようとした。愛佳も発声しないのを見ると、同じ気持ちだったのだ。

 が、男子という生き物は、不必要な勇気をもって、実直に立ち向かってしまうものである。

「そうですよ? 好きな人を気遣っちゃいけないんですか?」

 出し抜けに富士彦の告白を聞き、未来は胸の締めつけを感じながら、ちっこい上級生の狙いが、見え透いた精神攻撃だと悟った。

 三人を普段から観察していれば、不穏な三角関係だって見えてくる。好きとか嫌いとか、思春期らしい感情をちらつかせ、仲間割れの原因でも作るつもりなのだろう。

「フジさん、ごめん。気持ちは嬉しいの。でもわたし……みぃちゃんが好きだから」

 色恋の赤裸な暴露に、口をあんぐり開けていたのは富士彦だけではない。「おやおや」と肉声を発したあと、教壇で焼き菓子を頬張っていた会長の手もぴたりと止まっていた。

「以前から返事もらえず、ずっと先延ばしにされてたんだよ。もう良いじゃん、この際答えてよ。わたしじゃダメなの?」

 責め立てる矛先が未来に向けられた。恋愛の形は自由だが、同性が同性を好きになるのはやはり異常だ。公で告白した愛佳の覚悟を見た以上、未来に逃げ道はなかった。嫌われたくない、というワガママはもう通用しない。

「はあ。あたしもわかったことがある」

「え? どゆこと?」

「三人の恋は同時に潰えたってこと。いや、富士彦の気持ちには気づいてたけどさ」

「そういう断り方するかなあ……。まあ、わたしも『薄々フラれるのは感づいてた』って言えば、少しは恰好つくかな?」

 未来は、改めて救いがたい三角関係なのだと思い知った。

 過ちを一度でも口にしてしまうと、同じ関係は二度と築けなくなる。イヴ前日に、最高のサプライズが訪れた。切に願うのは、来年はバラバラのクラスに配置され、美食会をひっそりと退会する近未来である。

「キミたちは本当に仲が良い、さながら食のアンサンブルだな。鮎川さんが食材だとすると、富士彦くんは食という安心感、光田さんは不可欠な調味料ってところか」

 からからと笑う杏なんて、怒りに任せて三人が共闘すれば、物の数分で虫の息にまで追い詰められる。それをしないのは、まだ三人にセーフティがかかっていたからだ。

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