五食目 五大の罪
5-1 明日があるかどうか
未来は、前輪と後輪のブレーキを忘れ去っていた。あまりの難事に全身から汗が噴き出し、本来の目的を忘却してしまったからだ。
ずっこけて頭部を強打し、スクールタイツを破きながら足を擦りむくことで夢から覚める気がしたが、血まみれになっている痛々しい姿を想像した途端、ブレーキを握り、今日も無事に帰宅した。
安藤家で一体何を掴んだというのだ。美食会を探ろうとした結果、余計な真実を掴まされた。心痛の種は、杏の『弟』の存在である。
あの時、未来が安藤家で見た『弟』という存在は、幼い男児だった。杏の目にどう映っていたのか定かではないが、あの男児は人間ではなかった。安藤歩蕪は、信じがたいが既に亡くなっている者だったのだ。
姿形もはっきりと見えたが、紛れもない地縛霊である。杏の様子から察すると、弟が生きているものと思い込んでいるのだろう。
到底、ありうるとは思っていない。が、未来は確証を得たかった。その日の夜、食事が終わった二十時過ぎ、家族へ問い詰めてみた。この町の、安藤という旧家を知っているかと。そこに住んでいる歩蕪という長男は今どうしているのかと。
すると、わかりやすく顔色を変えた両親に「その話はするな」と一喝された。未来は折れずに、安藤家の長女に招待され、そこで片足のない児童をはっきり見たと言いきり、悶着を一から十まで暴露した。次第に両親は観念したように開口した。何年も前に安藤歩蕪という子は事故で亡くなったのだと。
やはり、ある程度の齢を重ねた者の間では周知の出来事らしい。裏づけは取れたが、杏に真実を語ったところで、美食会を取り巻く環境が変わるとは思えなかった。
『あなたの弟は既に死んでいます』と神経を逆撫でしに行くほど、悪趣味ではない。思いあぐねて自室のベッドに転がっていると、スマートフォンの着信音が鳴った。
画面に表示される美食会会長の名前。彼女は役職柄、全会員の番号を所持している。未来は、悩みながら通話に触れた。
「もしもし?」
『やあ、こんな時間にすまないね』
弟の足を食いちぎり、挙句死なせた女――そういう見方になると、ぶっきらぼうな対応になってしまう。未来は「なに?」と先輩に対する丁寧語も端折り、用件だけを述べさせようとした。
『良ければ明日、調理室に来てくれないかな。時間は昼の十二時』
「なんで? 行きたくない」
『残念。鮎川さんと富士彦くんは来るって言ってくれたんだけどな。美食会のメンバーとして、満喫町に通う生徒として、パーティ前に真実を知るべきだと思うんだ』
舌打ちを躊躇した未来は、唾を呑み込み激情をやり過ごした。あらゆる切り込みを浮かべたが、どうにも攻撃としてはいまひとつのものばかりで、無言に徹してしまったのだ。いかなる企みか知らないが、従う以外の選択が見当たらなかった。
『じゃあね、それだけさ。来る、来ないはキミの自由だよ』
一方的な電話を終えてすぐ、会話と同じ内容のメールが届いた。もはやサイバーテロである。電話をベッドに放り捨て、明日の行動に窮した。
あの女が言う真実とは、この町に伝わる食人の暴露だ。そうなれば、必然的に未来の秘密だって露呈する。人肉を平然と食した過去が二人の耳に入れば最後、友好関係の維持は不可能だ。未来は真実の隠蔽を念頭に置いた。
――何かの拍子に、杏を上手い具合に始末できないものか。
「って、あたしは馬鹿か」
殺人を行う価値を見出す前に、非人道的な発想をしてしまった自分を責めた。
この場合の非人道的とは、常識のように行ってきた食人を否定し、満喫町の人間である自分をかなぐり捨て、町に背き、余所者と付き合うことを指す。
古くからの刷込が根底にあり、いざとなると未来の思考は満喫町特有の、少し偏った普遍的な常識に囚われる。
聖夜の宴会で、七面鳥の代わりに人間が出るのは構わないが、友人のどちらかに危害が及ぶ最悪のシナリオだけは避けたかったのだ。杏が正体なく罪をこじつける可能性が恐ろしくてたまらなかった。
「ふぁあ……」
可能性――杏のこじつけ――もあるが、果たして、どういった手法で――明日、杏の作意がある、かもしれないものと――
――対峙は、避けられない、が、二人が危険に晒されたら――二人が危険、に、調理室は寒く――
「……あれ?」
瞬きしている間に、まぶたは重く閉じていたようだ。
カーテンの隙間から差し込む朝日によって、眠りに落ちてしまった昨晩を知った。眠ったつもりはないが、夢を見ていた記憶がある。夢見が悪く、寝起きも悪かった。
「やばい……眠い」
あくびに合わせ体を起こし、スマートフォンを手にし、布団から這い出た。かすむ目で確認したのは、昨日の日付で着信していたメールだった。
『ちーっす! 明後日なんだけど、パーティー終わったら二次会どうかね? フジさんも誘ってあるから三人で! もし良かったらみぃちゃん家でさ。ダメ?』
愛佳が送ってきた絵文字だらけの言葉が、重かった。
「明日があるかどうか」
返信はせず、氷の板のような廊下を素足で歩き、一階へ下りた。家から物音はしない。家族は誰も彼も出払っているようだ。朝風呂に入り着替えを済ませた十二月二十三日。
焦げがあちこちにこびりついたオーブントースターにレーズンパンを放り込み、つまみを右に回す。いつも通り適当な目盛りに合わせ三分弱、きつね色に変わった頃合いを見計らいパンを取り出し皿に乗せると、つまみを左に回し『チン』を自ら鳴らした。
ぼうっとリビングをうろつき、朝食をテーブルに運び着席した。糧に手を伸ばし、無言のまま口に運ぶ。飲み物を忘れ冷蔵庫に歩み、飲み残しのペットボトルを掴むと、キャップを回しながら再び椅子に腰を下した。ミルクティーがやけに胃に沁みる。
平生、人目がある手前『いただきます』と言うが、誰も存在しないリビングでは、人に聞かせる呪文は吐かれない。優雅な朝をたった一人で、つつがなく展開しようなんて満喫町の誰が思うだろうか。
だらりと背中を預け、椅子の上で立てた片膝をテーブルの縁に乗せている未来には、毛頭そんな気はなかった。他人から言わせれば、これもまた罪だ。この町には、体裁ばかり懸念している愚か者が何人も居る。
普段からは想像もできないくらい行儀の悪い未来は、己の愚かさも交えて頭を起床させようとしていた。
「アホらしい。あたしは普通だし」
今のところ、《五大の罪》に引っかかりそうな友人は過食症の愛佳くらいだが、それもまた露呈しなければ罪にはならないだろう。
外様とか病気とか、免罪符がどこまで通用するかは定かではない。どうあっても、やはり友人を守るのは自分以外に居ない――と、未来は奮起するように早食いし、余った時間は必要以上に家をうろうろした。
呼び出してきた相手が敵だというのに、指定された時刻に間に合うよう、早めに自宅の戸締りをした未来は典型的なA型である。
庭に停めてある愛車にまたがると、攻撃的な寒風を浴びながら、五分ないし十分ペダルを漕いだ。学校に到着し目にふれたのは、部活動を行う者ばかりだった。
見慣れた青色の上履きに足を通し、わざとらしくかかとを潰すと、無言で足音を聞きながらひんやりする第二調理室へと辿り着いた。
ノックもせずに扉を開けると、役者の三人が座っていた。誰も彼も、まだ生のある表情を浮かべている。未来は「おはよう」と切り込んだ。
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