1-3 よろしくね

 翌日の放課後。

 光田未来はカバンを肩にかけ、そそくさと教室をあとにしようとしていた。誰とも言葉を交わさず、自宅目指してまっしぐらという様子に慌てふためき、愛佳は一気に未来との距離を詰めた。

「あの光田さん、ちょいと良いかな」

「ん? あたしになんか用?」

 呼び止めると、いやに素直に足を止めてくれた。反面、対応はにべもなく業務的で、ミディアムロングの黒い巻き毛を翻しながら振り向き、初日に行った自己紹介同様、退屈そうな表情で薄唇を開くだけだった。

 学校が始まって半月が経ったというのに、未来が同級生と雑談を行っている姿は一度も見なかった。理由は取りつく島もない態度である。

「いきなりでごめんね。光田さん、同好会に興味ある?」

 愛佳が抱く、清楚なギャルのイメージそのものの未来には、ひどく切り出しにくかった。乾いた口内にわずかに残った唾を呑み込み本題に入ったが、

「同好会? うーん、あたし入るつもりないけど」

 予想していたとおりの真っ当な反応に、困惑するどころか共感さえ覚えてしまった。愛佳が苦笑いを浮かべると、隣の富士彦がコンビ芸のごとく藁半紙を取り出してくれた。

「普通そうなるか。素直に伝えた方が良さそうだな。実は昨日――」

 クッションのあとに軽く顛末を伝える富士彦は、詳細が書かれたA4紙を未来に手渡した。反応を待つ間、愛佳は挙動不審にきょろきょろと目線を動かした。

「こんなわけのわからない呼び出し、キミたち本当に行く気?」

 存外、未来の理解は早かった。真顔で見据えられ、戒めのようにきつい口調で迫られると、心がぐらついた。第三者に言及され、初めて見出す恐怖だった。

「どゆこと?」

 目的も定かではない誘いを初対面の先輩から受けたのだ。未知の領域へ足を踏み入れてしまうのは、決して望ましい判断ではない。では未来は、事件性を危惧しているのだろうか。愛佳は自分の無理解さに苛立ちながら、発言の意図を探った。

「どゆことって……怪しいと思わないの? それと鮎川さん、どうして同好会の誘いだってわかったの? この紙、そんなこと一言も書いてないからね」

「あー、えと、同好会を探してたところに舞い込んできた話だったからさ」

 初めて会話するというのに鋭い着眼点である。垂れ目のくせに、見据えてくる眼力に圧迫感があった。クラスに馴染めない理由も頷ける。

「そういや光田さん結構しゃべるねえ。ほら、普段は大人しいじゃん?」

「キミたちが宗教勧誘のごとく囲んで、示唆しさしてくるからでしょ」

 口数が少なく、取っつきにくい未来のマイナスイメージは、会話してみると不思議とクールな性格に置き換えられた。

 美食会に囚われすぎている愛佳は本音を漏らせず、本題そっちのけで未来との雑談に惹かれつつあった。

「ところで二人は都心から通ってるんだっけ? 珍しい」と、不意に話の腰を折った未来は、自ら話題を持ちかけてきた。

「うん、よく言われるよ」

「じゃあ、この町のことは知らないってわけ」

 だのに、愛佳と富士彦の関係性を掘り下げるわけではなく、言葉に不思議な陰影をちらつかせてきたのだ。他所から通う者に、アメニティや、インフラの知識がないことくらい未来だって認識しているはずだ。

 富士彦が、「どういう意味?」と聞き返すと、未来は深く語らず、「二人は危なっかしい」と後ろ髪を触りながら答えた。

 炭酸水のような人物である。味がないかと思えば、実質的な刺激を与えてくる。接し方に戸惑っていると、口元をわずかに緩めた未来が、ようやく本題に踏み込んできた。それもだいぶ前向きに、「さっきの話だけど、やっぱりあたしも行く」と。

「でも、そこでなにがあっても自己責任ね。オーケー?」

 すぐに未来が続けた。受け手は眉を曲げて首を傾げた。

「急にどうして?」

「二人が心配だから」

 肯定のように清々しく掌を返し、否定のような脅しも垣間見せる未来は、とても冗談を言っているようには聞こえない。眼光が鋭かったのだ。

「そ、そっか。ありがとね光田さん」

 お礼を挟めた愛佳とは異なり、納得がいかない様子の富士彦だったが、しばらくして多数派に従う意向を見せていた。

「どういたしまして。じゃ土曜日よろしく」

 半数以上の生徒が帰路につく中、教室の隅で簡潔に別れを述べながら未来は再び廊下へ爪先を向けた。窓の外ではケヤキが南風で揺れている。まだ騒がしい教室では、誰かの心が揺れていた。

 ――愛佳には煮えきらない心情を保ち、第四土曜まで空腹状態を持ち越す生殺しが耐えられなかった。だから、帰宅を見据えた未来を引き止めたいがために、彼女の腕を握り締めてしまったのだ。

 行動に深い理由なんてなかった。いかなる興味にも変えがたく、反面で種々の興味を集結した心の有り様だった。

 ただひとつ、クラスメイトと交流を深めたい、すんなり帰宅させたくない、というわがままが働いてしまったのだ。

「あの。えっと、そう言わず明日からよろしく……なんて。ねえ、良かったらこれからは一緒にお弁当食べない? いや昼食だけと言わず、その他もろもろ、さ」

 釣り目と垂れ目の、対照的な二人。前者は引き止めた者の目も見られず、後者はすべてを悟ったかのように手を握り返してくれた。

「まったく物好きなんだから」

 間がなかったと言えば嘘になる。未来も戸惑いを見せていたからだろう。それでも、語尾に発生した一笑は紛れもないYesを物語っていた。

「理由はどうあれ、これからよろしく」

「う、うん! よろしくね!」

 こうして三人の交友関係は始まった。富士彦は普段、男友達と売店に行ってしまうが、愛佳と未来は昼食を通じて交流を深めていった。

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