1-2 某同好会の会長
「あ、ごめんなさい」
愛佳は、接触した相手も見ずに頭を下げた。すぐに目に入ったのは薄汚れた廊下と、愛佳が履いている物とは色が異なる上履き。ぶつかりに行ってしまった相手は上級生だと確信し、下手に出ながら穏便な性格を祈った。
「いや。こっちこそごめんね」
温和な女声が耳に入り愛佳が安堵を見せると、
「キミたち一年生? ぶつかったついでに聞いても良いかな」
上級生が続けてきた。断れる立場でもない。ゆっくりと顔を上げた愛佳は驚倒した。
発声を質問という形に変え、話を膨らませ始めたのは、年上の雰囲気を一切漂わせない、背の小さな女子生徒だったのだ。一四五センチ以下、自分よりも幼い顔つきはまるで中学生である。
見れば見るほど幼い容姿、語らずとも真意を伝えるかのような黒目がちの明眸――記憶の奥底でホコリを被っていそうな光景だった。一気に息を吹きかければ、忘れていたものが見えてきそうだったのだ。
もやもやして気分が悪かったが、上級生に目をつけられないよう、愛佳は精一杯の笑顔で取り持った。
内巻きの黒いボブカットを揺らす上級生は、眼鏡をかけた男子生徒を斜め後ろに連れていた。男子生徒は、一八〇センチを超える大きな体をしており、決して体格が良いわけではなく、例えるならば物差しのような体つきだった。
二人を指し、凸凹と言うには表現に欠けている気がするし、山と谷では言いすぎだ。5.56mm弾と9mm弾くらいの差があると言うと、もうわけがわからない。身近なところで、単三電池と単五電池が妥当な例えだろうか。
「なんでしょうか」と愛佳が受身の態勢に入ると、単五電池――女子生徒は襟を正し、一点を質してきた。
「キミたちのクラスに、
みつだみらい? 聞き覚えがあった。数日前の記憶を呼び起こしていると、
「ああ、光田さん。俺の近くの席です」
後方から少し前に出た富士彦が答えを提示してくれた。
「良かった、キミたちのクラスだったのか。あとそれから」
小さな上級生は、本題を接続するかのような間を置くと、愛佳と富士彦を見比べながら、
「鮎川愛佳さんと、麩谷富士彦くんって知らない?」
あたかも本人の顔を認知しているかのような、自信に満ち溢れた目を向けてきた。視線は相変わらず、右に左に二人を捉え続けてくる。咄嗟の名乗りを躊躇った。
返答しないまま富士彦の目を覗くと、彼も訝しげな瞳を泳がせていた。愛佳はアイコンタクトを取りながら、会話の展開に努めた。はぐらかしても、だんまりを決め込んでも、解決には導けないと気取っていたからだ。
「それ、わたし……ですね」
「あと、俺が麩谷ですけど」
真実の発信のあとに、小さな上級生は天真に目を細めた。「へえ、偶然だね」と、しれっと言いきる態度が、逆に怪しさを打ち消していた。
やんごとない偶然を装ったコンタクトに立たされ、先輩の出方を待つしかなかった。今から体育館裏に面を貸せ、というニュアンスではないのだ。
「あのね、良ければその子も誘って来週の放課後、第二調理室に来てくれないかな。本当は光田さんにも直接話したいんだけど、ちょっと今週はゴタゴタしててさ」
長身の上級生は、手に持ったクリアファイルから一枚の藁半紙を取り出し愛佳に差し出してきた。受け取りざま、人数分用意されていない藁半紙に目を通す。
内容は簡潔で、日時は一週間後の第四土曜日の十時、場所は第二調理室とだけ記されていた。極小の文字以外には、マージンが占領している。
「これってもしかして」
不意に頭をよぎったのは美食会である。
「もしかして? なにか知っているのかい? あ、ちなみに私は某同好会の会長をしている三年三組の
会長を名乗る杏という女子生徒は、愛佳たちを取り回すように、上目遣いで何度目かの笑顔を見せてきた。無言で頭を垂れる副会長を倣うように、愛佳と富士彦は一礼を返した。
ペースが掴めず間隔が生まれたところで、『もしかして』の続きを口にしようとした愛佳だったが、
「あ、でも約束してくれる? この件は他言しないって」
杏という上級生は問いを被せるように念を押してきた。イニシアチブを常に握られる感触は、ひどく居心地が悪い。
「それは非公式だからですか?」
「秘密だからかな」と軽く一笑し、杏は手を振ると背を向けてしまった。彼女の印象は『静かに降り注いだ土砂降り』だった。
「どうする? わたし光田さんと面識ないや」
二人の上級生が立ち去ったあと、茫然としながら愛佳は意見を求めた。
台風のような勧誘が愛佳単体に対してであれば、美食会に通ずる何かと想定し、怪しいと自覚しつつも第二調理室へほいほい向かえたが、クラスメイトが関わった以上、独り決めできなくなっていた。
「変に怪しまれたくないな。明日、正直に話してみようか」
「そだね」
順当な答えだと思った。愛佳は富士彦と意見を一致させ、日をまたぐことを決めた。
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