1-1 痩せの大食いクイーンの称号

 満喫町まんきつちょうという大きな町がある。

 近郊に位置しており、治安は良く町全体はとても潤っている。食文化を尊重し、糧に対して感謝し、昔から食の大切さを伝えてきたのが特徴である。


 本日、蒼天に映えるあちらこちらの桜色は、満喫町で行われている入学式を称えているかのようだった。十代の若さで『懐かしい』と感じる風もまた桜色である。数ある入学式の中、今年から満喫町の高等学校に入学した少女が居た。名は鮎川愛佳あゆかわあいかという。

「ご入学おめでとうございます」なんてありふれた祝辞が、体育館で整列する一年生たちの頭上を通りすぎてゆく。

 緊張、平常、悠然と様々の見てくれに囲まれ、ごわつく制服に新鮮味を覚える愛佳は、教員の長話そっちのけで、かねての望みを描いていた。

 愛佳は都心に住みながらも、その都心へ通勤、通学するラッシュの波を逆流し、わざわざ三十分も電車に揺られ、この私立校への入学を決めた風変わりな女の子だ。

 成績の問題ではないし、友好関係に支障をきたしていたわけでもない。両親に強く反対されながらも、ここに入学したのには大きな理由があったのだ。

 校風が好きとか、制服が可愛いとか、良い大学に進学したいとか、それぞれ人には入学する理由と意思がある。

 愛佳の場合は噂だった。この学校では常に十名以上の会員が在籍する『美食会』と呼ばれる、食通も唸る同好会が水面下で活動しているという噂である。

 食事は三度の飯より好き、つまり三度の飯も好き。また、摂取した分だけ体外へ出してしまう体質で、肥満知らずの愛佳にとっては存在自体が喜ばしい同好会だった。安易ではあるが、まだ見ぬ同好会を求めてこの学校に入学したのだ。ところが噂の入手元がひどく曖昧で、遠い記憶に置き去りにされたまま、入学に至ってしまった。


 式はつつがなく進行され、慣れぬクラスで顔合わせを兼ねた自己紹介も終わった。翌日からは、ちょっとずつ学校にも溶け込んだが、友人作りには出遅れていた。

 その間、部活や同好会募集の掲示板に『美食会』なんてチラシは貼り出されなかったし、美食の『び』の字を口にする者も居なかった。非公式で行われているという情報は正しかったようで、こうなってくると入会はおろかアポイントメントの取りつけすら難題となってくる。

 入学式から一週間が経った。放課後、同好会の拠点となりそうな調理室を覗こうとしたが第一、第二、どちらの調理室にも鍵が掛かっていた。出端をくじかれ、情報が得られないまま、とうとう焦燥に耐えられなくなり、存在の有無を確かめに走った。

「先生。お尋ねしたいんですが」

「どうした鮎川」

「同好会についてなんですけど、美食会って知ってますか?」

 職員室の一角、愛佳の投げかけに担任は眉を曇らせた。暗黙にでも囚われているかのように、返答に移るまでに間があった。

「どうだったかな。同好会の名前まで覚えてないからな」

 首を傾げ、肩をすくめ、明瞭な空笑いで誤魔化す担任の表情に苛立ちながら、愛佳は内情に追及した。

「そうですか。では、どこに聞けば情報をもらえます?」

「待っていればそのうち向こうから来るんじゃないか?」

 愛佳は担任に礼を述べると職員室をあとにし、その足で掲示板の前へと向かった。

 入学したばかりの学校では、情報収集だけでも骨が折れる。望んでいた高校生活の一部が、牛刀でごっそり削ぎ取られた気分だった。部活動や同好会に入ろうとする世の学生は、もはや少数派である。

 放課後の活動場所は、ファストフード店や、ゲームセンターや、カラオケボックスの方が若者らしくて健全なのかもしれない。

「調理同好会? もしかしてこれ」

 どれほど現代っ子の放課後事情に目を向けていたか。愛佳の視線は、片隅の『調理同好会』というチラシに奪われ、暗闇の中の光明にも見える単語に釘づけとなった。

 昨日までは貼り出されていなかったし、名称は違っていても、料理を謳った同好会である。愛佳が求める情報に繋がる一歩になりうる気がしたのだ。あるいは噂が独り歩きし、同好会の名まで変えてしまった可能性も捨てきれない。


  調理同好会 会員募集中

  活動場所 第一調理室

  活動日時 第一、第三土曜日

  総会員数 十二名


  料理、調理に興味のある方はもちろん、

  食べるのが大好きという方にもお薦めの同好会です。

  お菓子を作ったり、創作料理を作ったり、

  文化祭では同好会が作ったスイーツの販売も行ったりします。

  料理初心者の子にも優しく教えるから、安心してね。

  詳しく知りたい方は、三年三組の森、または顧問の清水までヨロシク!


 目を通してみたが、求めている活動内容ではないと感じ取った。ここに接触しても、添え物のようなわずかな情報しか得られないだろう。愛佳はがっくりし、思考を帰宅にシフトさせた。

 右足を踏み出すと、吐き捨てた溜息を聞かれるような距離から「鮎川さん」と出し抜けに声をかけられ、目を見開いた。振り向いてすぐ認識したのは、「部活でも入るの?」と会話を続けてきた、クラスメイトの麩谷富士彦ふたにふじひこだった。彼は数少ない同郷の一人で、茶色く髪を染めた愛佳とは違い、黒髪の真面目な風貌の少年である。

 こうして面と向かって会話するのは初めてで、緊張も懐旧もなかったが、愛佳はどうにも安心感を覚えてしまった。普通の生徒でありながらも、食べ慣れた白米のような存在であると。

「えっと麩谷くん? 同じ中学だったよね、一度もクラス一緒にならなかったけど」

「俺は知ってた。だって全クラスに轟いていてたし、痩せの大食いクイーンの称号」

 富士彦は、過去の栄光を掘り返しながら微笑んできた。本人の知らないところで恥ずかしい呼称が出回っているなんて、日常ではよくある。苦笑いで誤魔化した愛佳は、体を向けながら会話を続行した。

「なんちゅー呼称だ。いや、わたしはちょっと同好会を探しててね。麩谷くんは?」

「俺はスポーツがめっきりでね。家に帰っても暇だし、高校にも入ったことだし、俺にもできそうな文化系の活動はないかと思ってさ」

 立ち話は十分ほど続いた。思いの外、会話が弾んだのだ。中学時代の友人、この学校での出来事、どの辺りに住んでいるのか、エトセトラ。入学して初めて学生らしい談笑をした愛佳だったが、そのうち会話の切れ目を富士彦が提示してきた。 

「話しすぎたかな。引き止めて悪かったね」

「いいや、わたしも暇だったから。どうしようか迷っててさ」

「同好会か。入る予定でもあったんだ?」

「いやね、噂を聞いたのさ。美味しい物を食べられるとかなんとか。まあ良いや、駄弁りに付き合ってくれてセンキューね。これからはクラスでもよろしく」

 顔の横に掌を置き、数回ひらひらと振った右手。愛佳の意向は、そのうち帰宅という二文字に囚われていた。一歩、二歩と後ずさり、背を向けようとした。富士彦も同等の行動を取った。手を振り、また明日。

 別れの最中、愛佳の背中に軽い衝撃が走った。どうやら他人に衝突したらしい。後ろ歩きで人にぶつかるなど、後方不注意に他ならない。何者が見ても愛佳が十で相手がゼロ、そんな事故責任の割合だった。

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