第15話 黒髪のエラ

 アーロンの言葉はセスの頭を何度も巡った。

『セスという名には任命されし者という意味がある。名は体を表す。セスという名には何かを任命されそれを全うする使命がある。』

 任命されたことを全うする…。

「そんなの知るか。」

「知らずとも…図らずもそうなってるではないか。」

 意味深に口の端を上げるアーロンが何を指してそう言っているのかセスには理解できなかった。ただ気味の悪い居心地の悪さを感じて、まるでリアン先生と一緒にいるような気分だった。

「アーロンってリアン先生を知ってるのか?」

 目を見開いたアーロンに心臓がドクドクと音を立て騒ぎ始めた。

 この人も信用できない気はしていたけど、本当に得体の知れないリアン先生の知り合いなのか?

 しかしセスの思考はアーロンの一言で止められることになった。

「なんだそのリアンって奴は先生で私はアーロン呼ばわりか。ここではアーロン先生で通っているが?」

 どうやら馴れ馴れしい態度が気に入らなかっただけらしかった。

 ほっと胸を撫で下ろすと不服そうなアーロンと目があった。


 ふいにガチャッとドアが開いて肝を冷やしながらそちらを向くとそちらに居た人物も怯えた顔をしていた。

 黒髪が腰の辺りまであり、しっとりと艶のある髪は神秘的な雰囲気を醸し出している。思えばこの「ゼロ」に来てから初めて見る肌の白さが黒髪と綺麗なコントラストを見せて美しさを際立たせていた。どこまでも深く黒い瞳と長いまつ毛を伏せ、それが小刻みに震えていた。

「なんだ。エラ。こいつが恐ろしいのか。こんな子どもだ。何もしやしない。それにこいつはテロメアから来たんだ。」

「…テロメア?」

 発せられた声はか細いけれど期待を含んだ声だった。その期待に居たたまれなくなりセスは口を開く。

「みんな…テロメア、テロメアって言うけど…。そんなにいい場所だったのか正直よく分からないんだ。」

 セスの苦しそうに発した言葉にアーロンは眉をひそめた。

「ずっとそこにいて恩恵を受けていればそれが当たり前になってしまったのだろう。贅沢な話だ。」

 そうなのだろうか。テロメアにいた方が幸せだったのだろうか。

 幸せ。それはあやふやで、確かに見えていて掴んでいたはずなのに開いた手の平からはいつの間にか消えてなくなっていた。

「まぁいいさ。せっかく来てもらったが、今日は実験で忙しい。エラにもやってもらうことはないからセス送ってやってくれ。」

 来て早々に帰されて、その上、自分に怯えているエラという女性を送れと言う。アーロンの身勝手極まりない行動に文句を言ってやりたかったが、教えを請う身のセスは立場をわきまえて従うことにした。


 薄暗い部屋から外に出ると燦々と降り注ぐ陽の光に一瞬目が眩みそうになる。テロメアではこんなに強い光だっただろうか。

 遠く微かに見えるテロメアは巨大な建造物で、住んでいた場所に大きな屋根がついていたとは想像すらしていなかった。

 それはテロメアでは普通に朝もあれば夜もあり、雨も降れば風も吹いたからだ。もちろん上を見上げれば空があり、雲もあり、太陽さえもあった。

 テロメアという場所にいたのは夢だったのではないか…。そんな思いに傾きそうになる気持ちを必死に止めるのはクレアの存在だった。クレアといた時間。それは紛れもない真実だ。今思えば夢のように大切な時間だったが夢ではない。そしてその時間を取り戻りたい。

「あの…。すみません。お待たせして。」

 遅れて出てきたエラは頭から大袈裟な布を被っていた。昔の文献で布を被って肌を見せない人たちもいたと読んだことはあったのだが、ゼロに来てからそのような人は初めてだった。

 まだ微かに震えているエラに声をかけるのをためらって先に歩き出したエラの後を追う形でセスも歩き出した。

 何を話せばいいのか。思えばよく知りもしない女性と二人になるのは初めてだった。ライリーを女性の分類に入れていいのか甚だ疑問だが、同年代の女性という意味では初めてだ。

 不思議な感覚で、ぼやっと後を歩くと何やら飛んできた。それはエラの纏っている布に当たる。

「お前なんかが歩くと不吉がうつるんだ!さっさとあっち行けよ!」

 投げたのは子ども。でも大人も見て見ぬふりだ。中にはクスクス笑っている人までいる。コソコソと噂話まで聞こえた。

「本当やーね。あの色」「カラスか黒猫みたいじゃないか。真っ黒ってどういうことだい?」「アーロン先生もよく雇ってやってるよ」「そりゃあの先生は変わり者だもの」

 酷い言われようだがセスは何も出来ずにただエラの後をついていった。

 時折投げられる木の実か何かで布に染みを作ってもエラは振り返ることも立ち止まることもなく進んでいく。周りの人たちはそれさえも気味が悪そうに冷たい視線を向けるだけだった。


 街外れの森の手前に一軒の小さな小屋があった。そこで立ち止まるところを見るとここがエラの家らしい。

「そのための布だったのか…。」

「え?あ、あの…。外で話すのもなんですから、よろしければ中へ。」

 怯えていたはずのエラは家に招待してくれるらしい。セスは言われるがままエラの後に続いた。

 家に入るとエラは汚い布を取った。汚い布の中からは綺麗な漆黒の髪と陶磁器のような白い肌が現れる。そのあまりの違いに余計に美しさを際立たせて目を奪われる。

 エラは慣れた様子で布を玄関先に掛けた。その布には様々な染みがついていて、今日のように子どもに投げられたのであろう。

「そのための…というのは…。私は日に当たると肌が火傷のようになってしまうので被っているのです。…その姿が気味悪いみたいですね。」

 自虐気味に笑って「それだけではないでしょうが」とますます卑屈に顔を歪ませた。

「どうして言い返したり…。」

 セスは言い返したりしないのか?と最後まで言えなかった。辛そうな寂しげな瞳と目が合って、そのような簡単なことではないんだと気づくと何も言えなくなり続きの言葉を飲み込んだ。

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