第13話 回数券
午後からは無理しないほうがいいとセスは部屋に寝かされていた。近所にいるという医者の端くれの人が様子を見に来てくれた。
アーロンと名乗ったその人はどこか冷たい印象の人だった。一通り診察してくれて疲れているだけだと言われた。寝ていれば元気になるそうだ。
「テロメアから来たんだって?」
冷たい視線を向けられてギクリとするが隠しても無駄だと気づいて頷いてみせた。
「ではテロメアの意味を知っているかい?」
またか…。正直、辟易していたが仕方なく覚えたてのことを口にした。
「DNAのキャップだろ?」
「そうさ。短くなれば死を意味する。だから生命の回数券とも呼ばれている。」
「かいすうけん…。」
初めての単語に言われたまま反芻した。
「おや。このことは知らなかったようだね。バスや電車なんかに乗る時に出す乗車券が何枚か連なったものが回数券。それを乗る度に出して無くなればもう乗れない。」
それ授業や文献で見たことがある。回数券…そうか、そのことか。
「テロメアも使う度に小さくなって無くなれば生きられない。つまりテロメアという回数券が無くなると生きていくというバスから降ろされるってことさ。」
また胸がザワザワと騒ぎ始めた。バスから降ろされる。そのバスは「生きる」という名のバス…。
「私はすぐ近くで再生医療の研究をしている。ここゼロではやれることは僅かだが、それでも日々研究をしなければな。しかしテロメアはなぁ…。」
アーロンは意味深に口の端を上げると部屋を出て行った。
しばらくして眠ってしまったセスは夢を見た。バスに乗る夢だった。
乗り口でバスの運転手から声をかけられる。
「乗車券を出してください。」
乗車券…。あぁ。そうだ…。確かポケットに入れっぱなしだった。
ポケットをまさぐると紙切れらしきものが手に当たる。それをギュッと握りしめ突き出した。
「ん?お客さん。こりゃ回数券がついていた端っこだ。言わばただの紙。これじゃ乗れないね。回数券を使い切ったんじゃ無理だな。悪いね。」
運転席から、ぬうっと太い腕が出てきてセスの体を押した。セスは押された勢いでよろめいてバスから転がり落ちた。
ブォーンと大きな音を立ててバスは行ってしまう。
「待って!待ってくれよ!それに乗らなくちゃ俺は…。」
声は虚しく響くだけで無情にもバスは行ってしまった。
乗らなければ…しかしバスに乗った先に何があるのか思い出せない。でも漠然と乗らなければクレアに会えないんだと心は焦る。クレアに…。クレアに会わなくちゃ。
辺りは一気に薄気味悪い黒い闇が音も立てずに近づいてくるのが分かる。
闇に慄きながら思い出すのは気味の悪いリアン先生の顔。それにコナーに見せられた気持ち悪い動画…。男と女がこの世のものとは思えない顔と声を出して…。
「う、うわぁあ!!!」
目が覚めると体中に汗をべっとりとかいていた。
「なんだい。悪い夢にうなされたかい?」
ライリーが何かを持って様子を見に来てくれたようだった。
夢で良かったと素直に思えなかった。今もまだ悪い夢の中にいるような気さえしていた。
「ほら。全部吐いちまっただろ?少しは食べないと体力がもたないよ。」
「でも…。」
躊躇するセスの瞳にライリーの心配そうな顔が映る。
「テロメアではなにを食べてたんだい?」
「…ビスケットとビタミン剤。」
「それだけかい!そいつはここの食事に驚いただろうね。」
ライリーは眉を怪訝そうに寄せて驚いている。セスがこちらの習慣に驚くようにライリーもテロメアのことに驚いたようだ。
「だから鶏肉にビックリしたんだね。」
ライリーは少し悲しそうな顔をした。それはそうだ。せっかく作ってくれた物を吐かれたら誰でも悲しくなるだろう。ブライアンに怒鳴られて余計に身に染みている。
「…ごめんなさい。」
「いいんだよ。何もかもが違うみたいだしね。でもね。肉が気持ち悪いみたいだったけど、何も食べれないで死ぬのとどっちがいいんだい?ここじゃベジタリアンは金持ちにしかできやしないよ。」
肉が気持ち悪いとは言ってなかったが、セスの様子で察したようだ。ベジタリアンも昔の文献で知っていた。
生きるか死ぬか。そこに、肉は気持ち悪いから食べたくない。なんて生半可な選択肢はないのだろう。
自分はなんて浅はかで、そしてライリーを、ここに生きる人を馬鹿にするような行動をしてしまったんだろう。
自責の念にかられるセスにライリーは湯気が出ている器を差し出した。
「これはお粥って言うんだよ。お米だけで作るんだ。肉は入ってない。今日はこれを食べて元気になったらどうするか考えるんだね。ずっとここでは暮らさないかもしれないが…郷に入れば郷に従えってね。」
それだけ言うとライリーは行ってしまった。
ごうにはいれば?
ライリーの言っている意味はよく分からないまま、お粥を口に運ぶ。
温かくて優しい味のお粥にまた涙がこぼれた。止めどなく流れる涙のせいでお粥はしょっぱい味に変わってしまった。それでもセスは涙を止められないままお粥を食べ続けた。
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