第8話 回った世界

「こんなところで何をしているんですか?」

 恐る恐る振り返り、その人の姿を確認して安堵した。その人は尚も言葉を重ねる。

「セス。この辺りは危険です。マンションまで同行しましょう。」

 セスに向けられていた眩いライトをマンションへの帰り道に向けたその人は保安局の制服を着た人。つまり保安局の人だ。パトロールでもしていたのだろう。

 冒険心を挫かれてしまったが、安堵したことも事実だ。しおれかけていた気持ちを奮起する元気も起きず素直に保安局の人の後を追いかけた。

「眠れなくて…。散歩してたら迷っちゃって…。」

 見え透いた嘘だった。それでも保安局の人は「夜中に出歩いてはダメですよ」とセスを優しくたしなめた。


 ベッドに潜り込むとドッと疲れが押し寄せた。自動的に降りてくるまぶたがくっつきそうになる頃にふと気づく。

 どうしてあの保安局の人は俺の名前を知ってたんだろう。

 疑問は疑問のままそのまま抗えない眠りへと落ちていった。


 朝起きるとポケットの違和感を感じて手を突っ込んでみた。そこに硬い物を確認した。セスの人肌で温まっているはずのそれは温度とは関係なく冷たく無機質だった。

 なぜナイフなど持ち帰ったのか。理由は自分でさえも明確にできない。ただ必要だと直感で思った防衛本能なのかもしれない。


 学校へ行く途中でクレアに会った。

「最果ての地にいつか行くなら…私も行きたいわ。」

 最果ての地。その単語に胸がドクンと音を立てた。荒れ果てた瓦礫がある光景が頭を巡る。

「う…昨日行ったんだ。」

 後ろめたくなったセスは最後は尻すぼみになりながら伝えた。クレアをチラッと盗み見れば驚いたように目を見開いて目から宝石のように綺麗な翡翠色がこぼれてしまいそうだ。

「どうして誘ってくれなかったの?」

「どうしてって…。」

 詰め寄るクレアにドギマギして視線をそらす。

 行きたかったなんて知らなかったんだ。なんて口に出せずに言葉に詰まる。

 顔を寄せたクレアの髪から香る匂いが鼻をくすぐって離れたいような離れたくないような複雑な気持ちにさせた。

「次に行く時は誘ってね!」

 風にそよぐブロンドの髪はセスを残して先へ行く。

「待ってよ!」

 声とともに地面に張り付いた足を引き剥がしてクレアの元に急いだ。


 セスは授業に身が入らずに今までのごちゃごちゃを整理していた。リアン先生の頭の上の点数が今日も92点なのを確認して小さくため息をつきながら。

 まず思い出すのはハンナとタイラーが連れて行かれ無理矢理に摘出手術をさせられたこと。それなのに連れていった張本人のリアン先生は手術していないこと。そして知らなかったテロメアの一面。それに…セスの名を知っていた保安局の人。

 あの人は…俺があそこにいるのを知っていた?

 逃げることのできない大きな力が見え隠れするようで嫌な気持ちになる。

 今まで何も疑問を持たなかった世界が嘘で塗り固められた世界に思えた。

 クレアの「違う世界に行けば…」と言った悲痛な顔が頭に浮かぶ。セスもこんな信じられない世界から抜け出したくなっていた。

 そして今のままのありのままの自分でいられる世界へクレアと逃げられたら…。その思いがセスをまた最果ての地へといざなうのだった。

 そこに何があるのかも分からないままに。


 クレアに最果ての地にもう一度行くことを告げると喜んだ。さすがにクレアと夜に行くのは危険な気がして学校帰りにそのまま昨日と同じ道を歩いた。

 昨日と同じ道なのに明るいおかげなのかクレアと一緒だからなのか不安な思いはあまり感じなかった。ただただあの荒れた世界の先には自由になれる場所があるのだと短絡的に楽観的に思い描いていた。


「クレアは最果て地のことは知ってるのに行ったことなかったんだね。」

 いくら二人で心強くても無言で歩くことははばかられた。何か話していないとさすがに不安だった。

「うん。話を聞いてただけ。話してくれる大人は口を揃えてあんなところへは行っちゃダメだって。」

 どうしてだろう。確かに荒れてはいるけれど、危険な目には遭っていない。返事をしないセスにクレアは付け加える。

「最果ての地にはテロメアのはみ出し者が住んでるからって。」

「はみ出し者…。」

 確かに昨日行った場所が最果ての地ならばまともな場所とは言い難い。では謎の人物ルイスははみ出し者ということになる。

 リアン先生はどうしてそんな人と…。いや…でもリアン先生もある意味でははみ出し者だ。

「キャッ。」

 悲鳴を上げたクレアが視界から消える。慌てて辺りを見回した。やはり危険な場所だったのだ。クレアを連れて来たことを急激に後悔した。

「痛ぁい!」

 声に気づいてそちらを見ると瓦礫につまずいて座りこんでいた。「まったくもう!」と瓦礫に対して怒っているクレアに過度な心配は無用だったようだ。セスは微笑んでクレアの隣にかがむ。

「案外ドジなんだね。」

「セスたらひどいわ。」

 セスはまた笑うと近くの壁にもたれかかった。迂闊だった。もろくなっていたことに気づかなかった。気づいた時には目の前の世界が回っていた。

「セス!」

 遠くでクレアの声が聞こえた。

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