第5話 夢と現実

 温かいふわふわと浮遊する場所でくぐもった声が聞こえる。

「…私の可愛いチビちゃん。」

 その声を聞くと不思議と安らかな気持ちになれた。温かくて心地いい、この場所にずっといたいと思った。

 それなのに急に苦しくなって息ができなくなる。

 早く!早く息をしなくちゃ。あれ。どうやって息ってしてたんだろう。

 焦れば焦るほど苦しくて意識が遠くなりかける。

 とにかく早く息を吸わなくちゃ…。早く!早く!早く!

 次の瞬間、血の混ざり合う生臭いニオイとともに急激に酸素が体に取り込まれた。

 気づけば誰かの声がかけられる。それはまた温かく心地よい場所。そして今度ははっきり聞こえた。

「可愛いマイベイビー…。」

 心落ち着ける場所に安堵していると辺りが急に暗くなる。いつの間にか冷たい場所に移っていた。

 さっきの温かくて気持ちのいい場所に戻りたい…。

 そう思って初めて目を開けた。滑り台のように滑り落とされたその先は、大きなゴミ箱………。


「う、うわぁあ!」

 ハァハァと肩で息をしてセスは辺りを見回す。そこはいつもと変わらない自分のマンション。何もかもが揃っていて、何もかもが無駄がない場所。

 近頃は見なくなっていた夢を、また頻繁に見るようになっていた。

 あれは…。いわゆるお母さんってやつ?俺の?でもそんなはずは…。

 セスはハンナの一件があってから自分の出生がどうであったのか知りたい欲求に駆られていた。その思いと比例するように再び夢を見始めた。

 命の誕生がどういうものか今までの授業でそれなりには知識がある。だからこそ夢の内容に違和感を覚えるのだった。

「何をバカな考え…。ただの夢…。ただの夢じゃないか。」

 自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。


「昔の人たちは今と違って出産すると主に母親が子育てをしていました。」

 リアン先生はいつものように画面をタップして解説と画像を表示させた。

「先生!一人の赤ちゃんに対して一人のお母さんが保育していたってことですか?」

「そうです。さぁ今日は皆さんの時代の子育てと昔がどう違うのか比較してみて下さい。それをタブレットに書き込んで。昔の子育ての方法の横に今の保育の仕方を書くんですよ。」

 タブレットには

「女性のお腹で妊娠。」

「出産後、主に母親が子育て。」

「大人になるまで一緒に暮らす。」

 と、書いてあった。その横にみんな書き足していく。

「保育カプセルで培養。」

「ある程度まで保育器で育て、大きくなれば一人の保育士が30人の赤ちゃんを保育。そのまま24時間集団保育。」

「小学生から一人暮らし。」

 そう。これがこの世の中の普通。母親や父親が誰かの情報は不必要で教えられる者はいない。それが普通のため誰も疑問に思う者はいなかった。

 何より個々でのクローン生殖をしていれば母親や父親という表現さえも正しいのか分からなくなってくる。


 リアン先生がみんなの席を回り、タブレットに正しい答えが書かれているかを確認した。だいたい見終わったところでまとめに入る。

「さぁ。この授業の感想を誰かに言ってもらおうか。」

「はい」と手を挙げた数名の中から一人が指名される。そのクラスメイトが感想を発表した。

「昔は今と比べて非効率的で、無駄だらけです。子育てを一対一でするなんてバカバカしいと思いました。今の時代に生まれることができて良かったです。」

 ハンナのことがあったのに何事もなかったようにそれに関連することを無駄でバカバカしいと明るく発言するクラスメイト。

 でもそれが普通。そのことに違和感を感じるセスの方が異常だという錯覚に陥りそうになる。

 発表が終わるとリアン先生はニッコリと笑った。

「はい。非常にいい感想でした。無駄のない世の中なったのは技術の進歩のおかげです。皆さんもたくさん勉強して、もっと発展していける世の中を作って下さいね。」

「はーい。」

 お手本のような返事をした子ども達にまた微笑みを向けるとリアン先生は時計を確認した。

「では、今から休憩時間にします。10分後に授業を再開します。」

 休憩時間はトイレに行く子、友達とお喋りする子と様々だ。

 セスはそれらをぼんやり眺める。セスにだって分かっていた。自分は保育カプセルで培養されたのだと。だからあの夢は遠いご先祖様の夢か何かなんだ。そう何度も結論づけていた。


 休憩後の授業は動物について。

「今は絶滅してしまった動物は草や花が絶滅した同じ頃。だいたい今から千年前には絶滅していました。」

 リアン先生が表示させた動物は図鑑でしか見たことのない象や熊、あとは牛や豚なんかだった。

「昔は家で犬や猫を飼っていた人もいたんですよ。」

「えー!犬に人間が食べられちゃわない?」

「ヤダー!怖い!」

 リアン先生はみんなの反応に微笑みを浮かべると画面をタップして人間と犬や猫が仲良くしている画像を表示させた。

「大丈夫です。このようにいい関係だったようですよ。」

「はい。先生!」

 凛とした声が響く。ここ最近は質問しなかったクレアが珍しく手を挙げた。リアン先生も珍しく驚いた表情をしてから「はい。クレア。なんですか?」と発言を促した。

「前の植物の時と同じです。私たちはお肉も食べてます。栄養バランスが考えられたビスケット。今日は牛肉味でした。」

 セスは野菜の時も思っていた。そんなの化学調味料で似せた味を作っているだけなんじゃないか。それなのにリアン先生はそうとは言わない。

 何故だろう。取って付けた理由はどれも怪しく思わせる内容なのに…。怪しませるのが本来の目的なのだろうか…。

 思わせぶりにリアン先生の口から転がり落ちるのは、やはり野菜と同じような答え。

「肉ももちろん材料になる牛や豚を絶滅から復元させて飼育しているのですよ。安全かつ効率的に飼育できる施設で。」

 リアン先生の解説に子ども達の反応は野菜の時とはひどく違っていた。

 顔を歪ませ青い顔をする子。口元に手を当て吐き気を催している子。「うわ…え…」と言ったまま固まってしまった子。

 どの子もショックを受けた顔だ。かろうじて答えを予想していたのかクレアだけは平静を保っていた。

「どうしました?皆さん。お肉はこの豚や牛、そして鶏なんかの肉をいただいているのですよ。」

 わざわざ豚、牛、鶏を改めて表示させたリアン先生の口の端が微かに上がっていたことをセスは見逃さなかった。

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