第2話 されど10歳
「歴史好きなのに今日の授業のことは知らなかったのね。」
小首を傾げてセスを覗き込むクレアの髪がかけていた耳からこぼれ落ちサラサラと風にそよぐ。ふわっと香ったいい匂いとその可愛らしい姿にドキッとして目を逸らした。
「得意分野と不得意分野があるんだよ!俺が好きな歴史は社会的なこと。今日のは生物学だろ?俺、血とか苦手だし。」
フフッとそよ風のように笑うクレアはこぼれ落ちた髪を耳にかけた。
「女の人の方が血は大丈夫だったりするのよね。それは昔に出産をするのが女性だったから血に強くなったって言われているわ。」
出産と血…どう繋がるのかセスには分からなかったが、質問してスプラッターな想像をしたくない。
「そ、そんなことよりさ。エリックが俺は明日、大人になる!って豪語してたぜ。」
スプラッターな想像をしたくなかったのに自ら発言した言葉にげんなりした。
大人になる。それはこの世界では生殖器の摘出手術を意味していた。
二次性徴を迎える10歳前後に摘出手術を行うことが成人とされていた。その手術痕は成人の証として早くに手術した者が自慢するほどの名誉だった。
「セスは怖くないの?私は怖いわ。」
真面目なクレアでも怖いと思っているようだった。顔を曇らせて眉を寄せる。
通過儀礼とされる当たり前の行為でもやはり手術は手術。怖くないわけがなかった。
「まだすぐに決意しなくてもいいんじゃねーの。俺もまだいつにするかなんて決めてないし。」
10歳と決められているわけではなかった。10歳前後。
だからこそのセスの言葉なのだが、セスの言葉を聞いてもクレアの顔が晴れることはなかった。
「ねぇ。どうして必要ないのなら生殖機能が退化していかないのかしら。無理矢理に取り除くなんて変じゃないのかしら。」
クレアの発言にセスは胸をギクッとさせた。それはテロメアの思想に反していた。
テロメア…。それはこの国の名前。医療も工業技術も最先端を行くこの世界で生きていくには、テロメアの思想に賛同しなければならなかった。
何もかもが揃う国。そして何もかも無駄のない国。
「俺…生物学、苦手だってば…。」
ボソッとつぶやくセスを置き去りにクレアは疑問点を次から次へと口にする。
「生殖器を取り除けば、ホルモンバランスが崩れて体調や心のバランスを崩す人もいるそうよ。」
ホルモン…。バランス…。体調と心…。どれもセスにはよく分からないことだった。それでもクレアは話し続けている。
「手術した後はバランスを整えるためにビタミン剤が増えるらしいの。それなら摘出手術なんて…。」
興奮したクレアの口元を思わず手で覆った。グリーンの瞳は宝石の翡翠のように綺麗で、その瞳が丸く見開かれてセスを真っ直ぐ見ていた。綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。
ふと我に返ったセスは慌ててクレアの口元から手を離した。
「わりー。つい…。」
バツが悪そうに俯くセスの横でクレアも頬を染めた。
「ううん。私こそゴメン。こんな話しちゃダメよね。」
首を力なく横に振る。そのくらいしかセスにできることはなかった。クレアはセスの横で明るい声を出した。
「でもね。私そのおかげで体だけじゃなくて、心も大切なんだって思って。心のお医者さんになるのもいいかなぁって思ったのよ。」
「クレアならなれるよ。」
心からの言葉だった。クレアはまたそよ風のように笑うと「ありがと」と可愛らしくお礼を口にした。
クルクル回りながら歩くクレアのスカートがフワフワと揺れる。紺色の濃淡でチェック柄になっている制服のスカート。上は白いブラウスに首元はスカートと同じ柄のリボン。
この制服がこんなに似合うのもクレアだからだよなぁ。
楽しそうに歩くクレアをぼんやり見つめながらセスは隣を歩いていた。
「じゃまた明日ね。」
「うん。また明日。」
それぞれのマンションに帰るとセスはネクタイを緩めてカゴに投げ入れた。クレアとお揃いの制服。小学生はみんな同じ制服だ。
そのままテーブルに出されたビスケットとビタミン剤を口に入れて水で押し流す。
使用したコップはいつものところに置けば自動で洗われる。先ほどのビスケットやビタミン剤も個人の体調に合わせて帰宅と同時に自動で出された。
何よりマンションに入る時はドアに腕をかざすだけだ。
「あ〜宿題やらなきゃなぁ。」
座り心地のいい椅子にもたれかかって伸びをする。部屋にはセス1人。洗面台兼キッチンのような小さな一角と、あとはベッドの横に今座っている椅子とテーブルがあるだけ。ネクタイを投げ入れた所はシャワールームと洗濯場。洗濯ももちろん自動だ。
何もかもが揃っていて、何もかもが無駄がなかった。
小学生になった時から1人暮らしするマンションが与えられる。何もかもが自動で特に不便はない。
窓から外を覗けば、街路樹がやはり規則正しく生えていた。ただそれだけ。
セスからしたら普通の光景だが、何か足りなかった。そこには木々と人以外は何もなかった。何も。
木にとまりさえずる鳥も、暖かくなって活動し始める虫も。そして草花さえも。そこには存在しない。ただ街路樹があるだけ。それも規則正しく生え揃った。あとあるのは歩いている人々。
それらになんの疑問も持たずにセスはぼんやりとつぶやいた。
「クレアみたいに賢いってのも、なかなか大変だな。」
他人事のようにのんきに思うセスが今後どうなっていくのか、まだ知る由もなかった。
セス…任命されし者。名前の意味をまだセスは知らなかった。
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