テロメアー生命の回数券ー
嵩戸はゆ
理想郷ーテロメアー
第1話 まだ10歳
必死に…死に物狂いで逃げて来た。
そこで目にしたものは、かつて遠い昔。自分の祖先がそうであったと信じて疑わなかった滅びたはずの光景。
それは…野蛮人の姿そのもの。そして何より幸せそうな…。
「嘘…だろ…。」
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時は何日も前に遡り…。
季節は春。小学校では新学期が始まり、新しいクラスに浮き足立っていた気持ちが幾分落ち着いて来た頃。
桜は新緑が眩しい葉桜になり、春から初夏に変わる前の気持ちのいい風がふいていた。
「何千年もの昔。人々はケダモノと同じ行為によってのみの生殖しかできませんでした。その時は女性の腹部に子が宿されました。」
リアン先生が教室の一番前にある大きな画面を指し示しながら説明している。
今は保健体育と歴史を織り交ぜた授業。学年が上がると授業数が増やされる必須科目。
教室の子ども達は小学4年生だ。先ほどのリアン先生の説明に子ども達はざわざわしている。
「え〜。なんか野蛮!」
「気持ち悪い〜。」
「女の人だけがお腹に子ども?不公平じゃない?」
ひそひそ声はリアン先生の耳にも届いたらしい。画面から目を離して子ども達の方へと振り返った。
「ほらほら。無駄話をしない。これは昔の話なんだ。まだ我々のご先祖が…そうだね。野蛮人だった頃の話。それからもう少し医学が進歩すると今度は男女関係なく妊娠できるようになるんだよ。」
リアン先生は前を向いて大きな画面をタップした。説明画面が表示されると子ども達が各自持っているタブレットにも表示される。そこには男の人の腹部に子どもが宿っている図式と解説が載っていた。
「げー!気持ちわりー!男までニンシンするのかよ!」
つい声を上げたのはセス。クラスのムードメーカー的存在の彼はキャラメル色の髪が白い肌によく似合う。大きな目がクリクリと動いて思ったことがすぐ顔に出てしまうのは彼の魅力でもあった。
「セス。これはあくまでも昔の話。今は医療技術の進歩によって妊娠は必要なくなっているよ。」
温和なリアン先生は優しくセスを諭すように説明する。ムードメーカーのセスを上手くなだめることがクラス全体の雰囲気をよくすることを理解していた。
リアン先生はグレーというよりもシルバーに近い長い髪を後ろで結んでいる。顔にかかる長い前髪を持ち上げて、ついでに眼鏡も押し上げた。そして温和な目尻を更に下げてセスを見つめている。その視線に居たたまれなくなったセスは降参のポーズを取った。
「分かってるよ〜。リアン先生。俺らには必要な時にクローン生殖ができるし、なんなら今の俺より優秀な子も生殖させられるんでしょ?しかも俺の髪の毛一本からでも。」
セスの答えに満足した様子のリアン先生は微笑むと手をパンパンとたたいた。
「さぁ。正解が出た所で今日の授業はお終い。家で復習してくるのが宿題だよ。」
「はーい。ありがとうございました。さよなら〜。」
「はい。さよなら。」
みんなそれぞれ自分のタブレットのボタンを押して小型化させるとポケットにしまって帰る準備をする。
注意されてしょんぼりしているセスのところにリアン先生がさりげなく近寄ってきた。
「セス。しょげることはないよ。セスがみんなの疑問を口にしてくれるから、みんなの理解も早いんだ。君には感謝しているんだよ。」
リアン先生のフォローに顔をぱぁーっと明るくさせたセスだったが、リアン先生はもう一言付け加える。
「ま、もう少し静かに話が聞けると、もっといいんだけどね。」
フフフッと笑ってリアン先生は去っていった。
「なんだよ〜。やっぱり黙ってろってことじゃん。」
セスは頬を膨れさせ机にうなだれた。その頬は笑いながら誰かにつつかれた。
「…クレア!なんで笑ってんだよー。慰めてくれないのかよ!」
クレアの肌は白いセスにも増して白く透き通るほどだ。綺麗なブロンドの髪を揺らして
クスクス笑っている。
「だってリアン先生が言ってることって、いつも正しいんだもん。」
セスは目を見開くと信じられないと首を振る。
「リアン先生のあの風貌。だらっとした白衣をいつも着ててさ。髪も目の色もシルバー。オオカミか!ってくらい胡散臭い!」
「あら。オオカミはセスのアンバーな瞳と同じ色って言われてるのよ。琥珀色。セスの瞳の色、私は好きよ。」
クラスイチの美少女と言われるクレアに褒められれば悪い気はしない。
「俺だってクレアの目…グリーンなの好きだぜ。」
言って恥ずかしくなったセスは席を立って教室を出る。頬をほんのりと染めたクレアもセスの後を追った。
淡い恋心。しかしこの世界ではそれさえも不必要とされていた。
「もう私たちも10歳になるわね。」
並んで歩く帰り道。規則正しく生え揃う木々は青々とした葉をつけていた。この世界に無駄な物は何もなかった。
節目になる10歳が近づく小学4年生。嫌でもそのことを考えてしまう。
「昔はさぁ。1/2成人式って言ってさ。大人になったら何になりたいかって決意表明したりするのが流行った時代もあったってよ。」
「またセスの歴史バカが始まった〜。」
憎まれ口をたたくクレアの顔はどこか嬉しそうだ。何より昔の歴史を話すセスはいい顔をしていた。
「昔のいい風習から学ぶことだって多いと思うけどな。ほら俺たち大人になったらどうするか考えてみようぜ。」
セスは悪戯っぽい笑みを浮かべる。クレアもつられて笑う。
「私は再生医療の研究者か、あとはそうね…心の勉強もしてみたいわ。」
「再生医療かぁ…。クレアは賢いからなぁ。俺は…。」
「歴史博士でしょ?」
クレアに先に言われて、ヘヘヘッと鼻をこする。
「バカの一つ覚えだからよ。」
笑い合う二人の間には穏やかな時間が流れていた。しかしこれも今だけ許される時間。
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