第3話「かぐや」

かぐや姫に会えるかもしれない。

突然、僕の心にピンとくるものがあったのは、庭の竹林が風に揺れて、ざわざわ騒いでいるのをボンヤリ眺めている時だった。


「その人は違うぞ。芳一はここにいる」

僕の舌が今にも引っこ抜かれようかというギリギリのところで、芳一が叫んだ。

僕は怨霊に手を掛けられたところで気を失ってしまったので、あとのことは芳一から聞いて知ったのだが。

芳一はそう叫ぶと、自分の体に書き込まれていた経文を手ぬぐいで拭き取って突然、姿を現したので、あっけにとられた怨霊は、僕の舌を抜くことも忘れ、立ち尽したと言う。

「全ては自分の不徳が招いたこと、他人様に迷惑をかける訳にはいきません」

 芳一はきっぱりとそう言って怨霊の腕から僕を引き離した。

突然の出来事に怨霊は訳が分からなくなり、怒りも冷めてしまったらしい。それから芳一は順々に怨霊にわけを話した。もともとは平家琵琶を愛聴する風流の武者霊だったので、芳一の言葉に自らの身勝手を深く恥じて「耳を僕に返してくれた」と言う。そこで、芳一は弔いの琵琶を毎月、墓の前で吟じることを約束したのだ。

これより芳一は「耳とり芳一」と呼ばれるようになり、琵琶の技の冴えと共にますますその名を高めたのだ。

もちろん、僕はまた稼がせてもらったよ。芳一もこちらの世界で手術を受けて目に光を取り戻し、平家の怨霊達も成仏でき、全てが丸く収まったという訳だ。

ただ残念ながら、全くの代償なしと言うわけにもいかなかった。ちぎられた耳は手術で元通りになったが、時々ひどくうずくので、そんな時は自分の別荘で療養せざるを得なかったからだ。


別荘の竹林がまたひとしきり泣いて僕は現実の世界に戻った。

ついこの間、そんなひどい目にあいながら、性懲りもなく今度は伝説の美女かぐや姫とよろしくやろうとは。しかし一度そんな考えが浮かぶと頭を離れない。美人には何としても会ってみたいというのは男の性か。

過去に遡るにはそれなりの条件が必要だったが、この山荘の竹林が偶然、それを満たしたのかも知れない。考えて見れば、かぐや姫の伝説はこの辺りに残るものなのだ。

本当に彼女は月に帰ってしまったのか知ることも興味をそそったが、なにより伝説の美人に会いたい。好みのタイプであれば、その時は僕の舌の絶好の餌食となるはずだった。

僕は無心になって「我が耳」に心をゆだねようとした。

すると聞えてきたのは雅楽の調べだった。そう、かぐや姫には、月光の下で静かに奏でる琴がピッタリだ。たぶん、これはかぐや姫の琴に違いない。僕はそのまま、音色を追って裏庭に降り、竹林の中に踏みこんでいった。音楽は段々強くなる。いいぞ、いつもの転移のパターンだ。

竹林を抜けるとそこは眼下に大きな屋敷を見下ろす空き地で、頭上には煌煌と月が輝いており、目を凝らすと屋敷の縁側に女性が座っていた。胸が踊った。かぐや姫だ。

しかし、雅楽の旋律は屋敷のほうから聞えてくるのではなくて、頭上から聞えていたのだ。おっかなびっくり見上げた僕の目に映ったのは、何と宙に浮かんだ輿のような乗り物とその周りを取り囲んで付き従う武者や女官達の姿であった。

遅かった。もう迎えが来たのだ。かぐや姫は月に連れ去られてしまう。しかし、僕にはどうすることも出来なかった。体がまったく動かないのだ。よく見ると屋敷の周囲にも弓矢をつがえる者達の姿があったが、僕と同じように凍り付いているようだった。

彼らがかぐや姫を連れ去るのをただ見ているしかないのか。ここまでやってきたのが、全くの無駄足になってしまう。

その時突然、後ろから全く別の音楽が聞えてきた。

チュンチュン。ピーヒャラ、ピーヒャラ。

その音楽と同時に僕の金縛りは解けたようだった。僕は新しい音のほうを振り向いたが、小鳥の鳴声のようなものと笛や太鼓の賑やかな音楽が混ざってとても楽しそうだった。耳がその音のほうに引き寄せられているのが分った。

身体を引き裂かれるような不思議な感覚を感じて、顔をかぐや姫の屋敷の方に戻したが、全ては消えていた。


やむなく僕は、新しく聞えている楽しい音楽のほうに向かって竹藪の中に入っていった。

こっそり覗いてみると、スズメ達が何やら喋っている。驚いたことに彼らの話が理解できるのだ。

「みんな、間違えるなよ。おじいさんには宝物を、意地悪ばばあにはお化けの入ったつづらを渡すんだぞ」

 どうやら「スズメのお宿」に来てしまったようだ。これからおじいさん達を迎えるところらしい。お化け入りの葛篭を貰って帰ったらいい商売になるかもしれないな、などとボンヤリ考えた。勿論、宝物のほうが貰えれば言うことはないが。

その時、周りの音楽がまた変わった。スズメたちの歌よりももっと愉快な、鉦や太鼓に手拍子も加わった、思わず踊り出したくなるような音楽だった。気付くとスズメ達の声は消えていた。

そのまま僕は陽気な太鼓に導かれて、竹藪を抜けて山の中の空き地に踊りながら出ていった。そこには巨大な赤鬼や青鬼やらが車座になって楽しそうに飲んだり、歌ったり、踊ったりしていた。滑稽な踊りと音楽に恐ろしいという気持ちは全く湧かなかった。

僕が輪の中にフラフラと入っていくと鬼達は大喜びで、

「やあ、じいさんやって来たな。なかなかうまいぞ。もっと踊れ、もっと飲め」

と囃し立てて酒や料理を奨めてきた。彼らには人間の区別はあまりつかないらしい。

散々ご馳走になって、そろそろ逃げ出そうかと考えていたら、

「やっぱりじいさんの踊りは最高だな。また来いよ、約束だぞ」

 と言いながら、子鬼が大きなこぶを持ってやって来た。しまった、もう踊りの上手なじいさんは帰ったあとらしい。

こぶをくっつけられては堪らないので、とっさに雄鶏のまねをして大きく鳴声を上げた。「コケコッコー!朝だ、朝だ、早く山に引上げろ」

車座は大騒ぎになった。慌てた子鬼は僕のお尻にコブをくっつけて、そのまま逃げていってしまった。「僕は違うんだ!」と叫んだが、遅かった。

参ったなあ。宝物の代わりにこぶを貰ってしまうなんて。どうしよう。

その時、また別の歌が聞えてきた。

「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたキビダンゴ、一つ私にくださいな」

気付くと野原の中の一本道に立っていた。真昼間に変わっている。僕に向かって声を掛けてきたのは、大きな犬だった。僕が驚いて突っ立ったままでいると、犬は僕の腰のこぶに噛みついて千切りとってしまった。キビダンゴと間違えたらしい。

これは助かったぞ。僕が一本道を逃げるように走り出すと犬はお供のようについて来た。今度は桃太郎の世界なのかな。

道は当然のように海まで続いていた。浜辺にやってくると、ちょうどそこには一艘の船が浮かんでいた。まさか、この犬と一緒に鬼が島に鬼退治に行けというのか。

僕は逃げ出そうとしたが、犬がしっかり見張っている。やむなく船に乗りこむと、帆がひとりでに上がり、風をはらんで船は沖に向かって走り始めた。

しばらく波間を進むと前方に、見るからに奇怪な形をした島が現れた。鬼が島に違いない。切羽詰った僕は何か逃げ出す手段はないかとあたりを見回すが、ここは海の真ん中で逃げるところなどあるはずがなかった……のだが……。

また不思議な音楽が聞えてきた。

音楽は海の底から聞えてくるようだった。そして、何と目の前に巨大な亀が浮かんでいるではないか。すると今度は浦島太郎の世界か。僕は迷わず海に飛び込むと亀につかまった。亀は僕が背にまたがったのを見ると、一気に海中に潜った。僕が後ろを振り返った時にはもう、船も犬も消えていた。

竜宮城に着くとさっそくタイやヒラメの歓迎の踊りが始まった。かぐや姫との逢瀬は実現しなかったが、乙姫様もかなりの美人で期待は持てそうだった。ところが、乙姫様は僕に土産だけ渡すと、早く地上に戻るように言うのだ。そんな馬鹿な。しかし無理強いすると何が起こるか怖いので、土産の玉手箱だけで諦めて亀に乗るしかなかった。

気付くと玉手箱を抱えて、浜辺に立っていた。

考えて見ると不思議を通り越して異常な世界の連続だ。でも今は、僕もこのおかしな旅を楽しむ余裕が出てきて、次はどんな昔話の主人公が現れるのか楽しみになり始めていた。

その時、突然、じいさんが現れて僕の手から玉手箱を取り上げた。

「これはオレがもらった土産だ」

僕は玉手箱を取られたことよりこの後、じいさんのすることに興味があってそのまま見ていたら、じいさんはいきなり、箱を開いてしまったのだ。大変!

中から予想の通り、真っ白な煙が噴出してきたので、僕は大慌てで風上側にかわしたが、

じいさんは気持ち良さそうにその煙の中に入っていった。そして、煙が晴れるとそこに立っていたのは若者だった。

「あなたは誰ですか」

正体は聞く前から分っていたが、その若者は嬉しそうに、

「オレは浦島の太郎だ。ありがとうよ。やっと元に戻れたよ。もう、オレは2度と馬鹿なことは考えないで、乙姫さんと楽しく暮らすよ」

そう言うと男は海にざぶんと飛びこんで、沖に泳いでいってしまった。

僕はあっけに取られて、見送っているとまたいきなり、後ろから声が響いた。

「見事だぞ、枯れ木に花を咲かす技は!」

驚いて後ろを振り返るとそこには侍の一行が立っていて、彼らの視線の先には見事に花をつけた満開の桜が並んでいたのだ。玉手箱から流れでた煙が枯れ木に花を咲かせたらしい。箱を覗くとまだ灰が少し残っていた。

するとここは花咲じじいの世界だな。やっと御褒美にありつけるかと喜んだ途端、今度は憎たらしそうな顔をしたじいさんが現れた。

「これはわしの灰じゃ」

いじわるじいさんに違いない。じいさんはいきなり箱ごとひったくると、手に一杯灰を掴んで空に投げ上げた。やめろと叫んだがもう遅い。目に入ると痛いのなんのって、とっくの昔にただの灰に戻っていたのだ。

「こいつら、インチキ爺たちか。ひっとらえろ」

殿様の命令で家来達が一斉に追いかけてきた。参ったな。僕は必死で逃げた。

少し侍たちを引き離したと安心しかけたら追跡者の一群の中から一匹の真っ白な犬が飛び出してきた。灰を返せと吠えている。あれはシロ?でも既に意地悪爺さんに殴られて、死んでいるはずだが。

さらに前方にもう一匹の大きな犬が現れた。あれは桃太郎のお供の犬だ。

「よくも、キビダンゴと騙して、こぶを食わせたな」

もうめちゃくちゃだった。

僕は堪らず海に飛び込んだ。すると海の中から突然、武者姿の怨霊が現れたのだ。

まさか!

「やはり貴様の耳をむしり取らないと気が済まない。覚悟!」

 そう叫ぶと逃げようとする僕を後ろから羽交い絞めした。その途端、耳に激痛が走った。怨霊の指が耳たぶを潰すかのように掴んでグリグリ引っ張り始めたのだ。

「助けてくれ、助けてくれ」


はっと気付くと、僕は別荘の縁側でうなっていた。

耳には怨霊の指がまだ張り付いているような感触と痛みがある。庭を眺めているうちに、うたた寝をしてしまったようだ。そして耳の傷が痛んでおかしな夢を見たに違いない。

夢で良かった。


 その時、竹林の方からどこかで聴いたような気がする、妙なる調べが響いてきた。


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天使の耳と悪魔の舌 @gourikihayatomo

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