第2話「芳一」

周りの人間は僕を天使の耳と悪魔の舌をあわせ持つ男と言う。(もちろん、君もこの評判は聞いた事があるだろう)

世界中に埋もれている音楽を素直に聴いて、現代にフィットするものを発掘、甘い言葉でその音楽家を釣って日本に連れて来る。多くの場合、これらの音楽は原始社会に存在するので、連れてこられた人間のほとんどは自分の生まれ育った社会と現代社会のギャップに適応できず、精神的に不安定な状態に陥る。しかし、流行が廃ればそいつらはお払い箱、僕はさっさと次のお宝を探しに出て行き、落ち目になった奴らの事はほったらかし、そこが「悪魔の舌」と言われる所以だ。

僕はこれまでこの業界で数々のヒットを飛ばし、僕の耳と舌の力は既に伝説となっていたが、この僕の能力は遂に「本当の伝説」と相まみえる事になってしまった。

何と、僕の耳は時間の壁を飛び越えてあの「ハーメルンの笛吹き男」の時代に僕を運び、そして僕の舌は彼をこちらに連れてくる事に成功したのだ。そう、一年前に流行った、あの笛はつまり彼だったさ。

僕は彼との約束をきちんと守る事に神経を使ったよ。だから奴も満足し、今度は何の問題も起きなかったという訳さ。あいつはいつでもまた望みの時に、日本にやってきて一稼ぎできるが、それ以外は故郷でおとなしくしているだろうよ。

何しろ、ハーメルンの町で貰いそこなった謝礼の何倍もの金を稼いだんだから、可哀相な子供たちをこれ以上犠牲にする必要もない。僕も今回は珍しく人助けをしたというわけさ。しかし、実際のところは相当にヤバかったんだ。何しろ、危うく子供達もろとも河に引きずり込まれるところだったんだから。

情けない事に、あの時は僕自身が笛の魔力に捕らえられ,行動の自由をほとんど奪われてしまったのだ。僕は轟々と響く河の音を聞いて、本当にやばいぞと青くなった。それで、僕は力を振り絞って隣の男の子の足を引っかけて転ばした。お陰で、後ろから続く夢遊病状態の子供らも将棋倒しに折り重なって次々と倒れていって、笛吹きの行列はメチャメチャになったのだ。

直ぐに行進の異変に気付いた笛吹きがすっ飛んできたが、こうなればこっちのもの、僕の舌に抵抗できるものはいない。奴は復讐を中断する事に同意して、喜んで僕と日本にやってきた。そのあとのブームは君もよくご存知の通り。


その時、僕は考えた。やつのおかしな笛のメロディを捉えて過去に飛べるのだとしたら、他にも伝説でしか伝えられていない、魅力的な音楽をモノに出来るんじゃあないかという事をね。ギリシア神話の竪琴の天才オルフェウスとか、オデッセイを惑わしたセイレーンとか……。

そしてこれも見事に当たったんだ。大ヒットに続く大ヒット、もちろん彼らを直接、大衆の目に触れ指す事は出来なかったので、こっそりレコーディングしてそれを売るという方法を取らざるを得なかったけどね。

生を聴いた僕にとってCDでは魅力半減だが、それでも聴衆は熱狂したね。彼らも満足、演奏者も満足、そして僕もお金をがっぽり稼いで、これ以上お金のために仕事する必要は無くなった。

だからしばらくのんびりしていた。

そんな優雅な日々の中、ふと、思いついた事があった。この僕の力を使って、もう少し別の種類のアーティストを探し出せないかという事だった。日本の歴史の中から日本人の心の琴線に触れる天才を探して連れてきてみたい。

その時,僕の頭の中に浮かんだのは「耳なし芳一」の話だった。彼は僕の故郷、下関に住んでいた。もちろん、君達は「あれはただのお話だよ」と言うだろう。しかし、ハーメルンの笛吹き男はどうだった?グリム童話の中からちゃんと連れて来る事が出来たじゃないか。どうして、芳一は無理なんだ。

僕は何度かの「時を越える」経験で、彼らのもとにたどり着くためにはいくつかの条件を整える事が必要だと分かった。まずは、彼らがいたと言われる場所に行かなければならない。そして、全てが静まり返った真夜中、心を空にして僕の「天使の耳」が捉えるものを待つのだ。全ての条件が合致した瞬間、僕は妙なる調べを聴き、彼らの世界にいる事に気付く。

僕は実際のところ、芳一と会う事についてはそんなに心配していなかった。問題は、彼が怨霊に耳を千切り取られてしまう前に会えるかと言う事だった。そんな悲劇の後では、二度と怪しげな誘いには乗らないだろう。そう、考えて見ると芳一に「平家物語」を所望したあの怨霊も、客を満足させようとしてタレントを連れてくるという、僕とよく似た仕事をした男だったのだから。それで、僕は芳一が悲劇に遭う前に彼を連れ出したかったのだ。

僕はある夜、下関の赤間神宮に一人で向かった。子供の頃から勝手知る場所だ。そして芳一堂の木像の前で静かに耳を澄まし、あの奇跡の瞬間を待った。暗闇の中に静かに佇む赤間神宮の陰影とすぐ傍に聞こえる関門海峡のさざなみ、船の汽笛。数百年の時を越え、平家の怨念が僕を圧倒するように包み込んだ。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理りをあらはす。

 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

 たけき者もついには滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ」


その瞬間、僕は確かに琵琶法師が喉を絞って詠う「平家物語」を聴いた。そしてその声は途切れる事無く耳に響きつづけた。

気付いた時には時を飛んでいた。僕は声を頼りに階段を降り、僕の生まれ育った街とはまるで違う下関、まだ草深い赤間が関の道を歩き出した。月がこうこうと照り、僕の足元を指し示していた。

琵琶の音は時に低く、時に高く、絶える事なく流れてきて、あとをたどるのは容易であった。その何とも言えない素晴らしい琵琶の弾き語りは確かに芳一に違いなかった。自然に足は小走りになっていた。

やがて、その音に導かれてたどり着いたのは寂しい墓地であった。残念ながら少し遅すぎたらしい。芳一は既に平家の怨霊に見入られて、彼らの前で琵琶語りを始めているのだ。

これまでの経験で僕の姿が見えるのは、時代を遡る引き金となる音楽を奏でた本人だけ、他の人間にとっては影のような存在であるのが分かっていた。あくまでも真の天才と僕の「天使の耳」がお互いを求めて引き合うという事なのだ。だから、僕は怨霊に見咎められる事は恐れずに、墓地の中に潜り込んでいった。

そして墓石の陰からそっと声の方を覗くとそこには一人の痩せた法師が地面に座り込み、一つの小さな墓石を前にして平家物語を吟じていた。法師の周囲には怪しく光る鬼火が琵琶の音に合わせてあるいは輝き、あるいはぼやけながらふらふらと飛び交っていた。

この身の毛もよだつような情景の中で芳一の琵琶は凄まじいほどに冴え渡り、僕は自分のいる状況を忘れて聞き惚れていた。彼はやはり真の天才だった。

やがて琵琶の音はやんだ。それから、芳一は鬼火の一つに先導されてこちらに歩いてやってきた。僕は見つからないように身体を低く身を潜めた。鬼火と芳一はそのまま進んでいき、墓石の陰を曲がって消えた。

僕はゆっくり後をつけ、やがて芳一の住まいである寺にたどり着いた。芳一と鬼火は寺の門前で分かれ、芳一はそのまま寺に入っていった。鬼火は法一の後姿を見届けるようにしばらくその場で揺らめいていたが、やがてゆっくりと浮かび上がると墓所の方角に飛んで行き消えた。僕はしばらく様子を見てから寺に入っていった。

「ごめん下さい。こちらに琵琶法師の芳一さんはいらっしゃいませんか」

僕のその呼びかけに、少しの間、何も反応がなかったがもう一度呼びかけると、一人の法師が音も立てずに近づいてきた。

「どなた様でしょうか」

 現れた法師は僕の気配をはっきりと感じているのだろう、盲目の目をこちらに真直ぐ向けて尋ねた。

「琵琶の弾き語りをしている芳一さんとお見受けしましたが。あなたにお出で頂いて、平家物語を語っていただきたいところがありまして」

「これはこれは。ありがとうございます。ところで、いつ頃からでしょうか」

「急な話ですが、今すぐにでも」

「えっ、せっかくのお話に申し訳ありませんが、ここしばらくは先約が御座いまして」

それはさっきの平家の怨霊の事に違いなかったが、そしらぬように僕は尋ねた。

「それはどちらのお客様でしょうか」

「それが、さる高貴なお方でありまして。私も使いのお侍様に手を引かれて参っておりますので、どこのどなた様とは申せませんが」

「何とかその御方をお断りして、私どもの方にこれから起こしいただく訳にはまいりますまいか」

「私達はお客様商売、一旦お約束した後は簡単に違える事は出来ません。それに……」

そう言うと芳一は黙ってしまった。

「そうですか。ところで、その高貴なお方のところでは何か不思議な事はありませんか。あなたの姿形があまりにお痩せになっていて、まさかご病気など召されてはおるまいかと」

 僕の問いかけに対して、芳一はすぐには応えなかった。そして、彼の見えない目を精一杯見開くようにしながら僕のほうをじっと見つめ、ようやく口を開いた。

「あなた様は不思議な方ですね。初めてお会いして、しかも、この辺りの方ではないようなお話振り、それなのについ口を開かせてしまうものを持っておられます。本来であればこの事は明かしてはいけないのですが。

実は今、先約があると申しましたのは、壇ノ浦の平家の怨霊達なのです」

僕は思わずブルリと震えた。何と芳一は既に気づいていたのだ。全てを知りながら、今夜は語っていたというのか。あの場の芳一の心中を想像して、ぞっとした。しかし彼には選択の余地はなかったのだろう。怨霊達との約束を違えては身がもたないのを知っていたのだ。

「では、既に和尚様にご相談は」

「何でもご存知ですね。老師様が私の姿を見て怨霊に憑り付かれている事を見破られたのです」

「で、身を守るためのお経は」

「明日、身体中に書いていただく事になっています。それまではしっかり自分自身で堪えよと言われました」

残念ながら怨霊に見こまれた後ではあったが、まだ耳をもぎ取られた訳ではなかった。芳一も気力ある男であった。まだ間に合う。僕はほっとため息をついた。

「それでは芳一さん、これから大事な事をお話しますからよく聞いてください。老師様はあなたの身体中にお経を書いてくれるでしょう。ところが、耳にだけ書き忘れてしまうのです。でもそうすると大変な事が起こります。いいですか、必ず老師様に、耳にもお経を書く事をよくお願いするのです。忘れないで下さい」

 芳一はさわやかな笑顔を見せて明るく答えた。

「あなた様のお名前も知りませんが、あなた様が真実を話されておられるのが分かります。確かにそのように老師にお願いしましょう。そしてもし私が平家の怨霊から無事に逃れる事が出来ましたら、あなた様のところに弾き語りに行く事にしましょう」

「ありがたい。老師へのお願いさえ忘れなければきっとうまく行くことは保証しますよ」

僕は芳一の手を取り、何度も何度もうなずいた。


次の瞬間、僕は赤間神宮の芳一の像の手をなでながらうなずいている自分に気付いた。どうやら、こちらに戻ってきたらしかった。僕はもう疲れ切っていたので出直す事にしてその夜の宿を探すため、国道に下りていった。


次の夜は前の日よりさらに自然に芳一のところにたどり着いた。芳一は部屋の中に下帯一つで静かに座り、お経を唱えていた。怨霊が迎えに来るのも間近らしかった。芳一と怨霊の緊迫の場面がかぶり付きで見られる、僕はここにいる目的も忘れて興奮した。

念の為、僕は黙って彼の身体を見回した。きちんとお経は書いてある。心配していた耳にもちゃんと忘れなく墨もタップリ、書かれていた。やれやれ、これで安心だ。

「これなら怨霊もあなたを連れていく事は出来ませんよ」

 芳一は既に僕の気配を感じていたのか、突然掛けた僕の声にも驚いた様子はなかった。

「ああ、いらっしゃったのですか。そんなに簡単にあの武士の霊が諦めてくれるとは思えませんが、私はこうするしかないのですよね。でも、あなたは身を隠さなくていいのですか」

応える芳一の声は全く落ち着いていた。

「こう言うとあなたが恐れるかも知れませんが、私の姿は限られた人にしか見えない、感じられないのです。あなたのように素晴らしい才能のある人にしか。私もこことは別の世界から来ました。でもそれはあの世のような恐ろしいところではありません。もし私のところに来ていただければ、弾き語りの報酬とは別にあなたの目を治療してあげられると思いますよ。

 じっとしていれば大丈夫です。あなたが怨霊を振り払えるよう、ここで見守っています」

そう声を掛けた瞬間、なにやら生暖かい風が吹き、部屋の中を照らしていた唯一本のろうそくの炎が大きく揺れた。そして突然、暗闇の中に武者姿が現れたのだ。今夜は僕の目にもその怨霊は鬼火ではなく、侍の姿として映った。

「芳一、芳一……」

武者は穏やかな顔で芳一の名を呼んだが、彼の姿が見えず、応えもないのに気付くと急に恐ろしい顔付きに変わった。

「芳一の奴、感づいていたか。今夜の弾き語りが終わったら我らが沈む壇ノ浦の水底に引き連れていこうと思っていたのに、ええい、何処だ、どこに逃げ出した?」

 芳一は声色を一変させた武者の剣幕に肝も潰さんばかりに恐れ、震え、手を頭の上に拝むようにして突っ伏してしまった。無理もない。僕も相手に見つけられる事はないと分かっていなければとても立っていられなかったろう。

経文の力で侍には芳一の姿は見えなかったが、どうやら芳一の気配をわずかに感じているのだろう、なかなかその場を去ろうとしなかった。

僕は気が気でなくなった。芳一がいつまでその恐怖に耐えていられるか分からなかった。もし今、見つかってしまえば怒りに我を忘れ、怨霊は即座に芳一の命を奪いかねなかった。

しかし何故、怨霊は芳一の気配を感じられるのだろうか。ひょっとしたら芳一の身体のどこかに、経文を書き漏らしたところがあるのかもしれない。僕は芳一の身体をもう一度調べようとした。

その時、怨霊の声が響いた。

「芳一、きさまの耳がかすかに見えるぞ」

 まさか。

芳一の耳には確かにお経は書きこまれていたはずだが。でも、ひょっとしたら耳の内側にも書く必要があったのかもしれない。それとも恐怖の油汗で墨が流れてしまったのか。もしかしたら、怨霊の呪力が老師の経文を打ち破ったのかもしれない。

怨霊は部屋の中をぐるぐる回りながら芳一の耳を求めて腕を宙に泳がせた。芳一は床に突っ伏しているのに、怨霊はあたかも耳が浮かんでいるかのように空中を探っていたのだ。そして僕の方を真直ぐに見て恐ろしい形相のまま笑った。

その目の玉は墓地で見た鬼火そののものように燃えていた。

思わず僕は背を向けて、逃げ出そうとした。

「捕まえたぞ!」

突然、怨霊は飛び込んで来て、宙に浮かんだ耳を掴みとった。

「ギャーッ」

突然の激痛に目の前が真っ暗になってしまった。なんと怨霊は僕の耳を千切り取ろうとしているのだ。あまりの痛みに気を失いかけている僕には、自分の絶叫も他人の声のようにうつろに響いた。

「やめろ。僕は違う」

思わず、叫んだ。

「今度は口が現れた。嘘つき芳一の舌が出てきた」

そう怨霊は呟くと、一方の手を僕の口に手を突っ込み、舌をむんずと掴み、もう一方の手で脇差を引き抜いた。

薄れゆく記憶の中で最後に見たのは、目の前に迫ってくる刃身のにぶい輝きだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る