天使の耳と悪魔の舌

@gourikihayatomo

第1話「こどもたち」

僕の耳にその音楽が聞こえて来たのは、一軒のさびれたビアハウスで一杯やった後、ホテルに戻るため、しばらく歩いた時だった。澄んだ音色の木管楽器、そう、クラリネットか何かが夜霧に濡れて咽び泣くよう、音楽を奏でていた。

ずっと昔に聴いたことがあって懐かしい、でもどこか新しい、妙に人を引きつける独特の音色であった。その心地よい調べは、立ち止まった僕の周りで小さく渦巻くと、スッと消えていった。

僕はこれまで世界中を歩いて珍しい音楽を探してきた。世界の各地で、これはと思う音楽を聴きつけると唄っている歌手、演奏している者に話をつけて日本に呼び寄せる。そしてその音楽を流行らせる。ある意味でのイベント屋だ。そして僕はこれをかなり手際よくやっている。僕の仕掛けた音楽は必ずヒットするというのがすでに業界の伝説になっていた。

仲間は僕が「天使の耳」と「悪魔の舌」を持つと羨やんで言う。

つまり僕は音楽を、天使のような純粋さで受けとめてその素晴らしさを感じ取れる耳を持ち、加えて、狙った相手を必ず口説き落として日本まで連れて来る、口のうまさをあわせ持つと言うのだ。

ほとんどのミュージシャンは彼ら自身の社会の中ですでに充分幸せであり、何の疑問もなく生きている。その彼らが日本に連れて来られて、しばらくの間、軽薄な文化と流行の中で振り回され、やがて忘れ去られる。彼らの多くは自分のかつていたところに帰っていくが、その人生は日本訪問前とは決定的に違ったものになってしまい、心に大きな矛盾を抱えて余生を送る事になる。

そうだろう、彼らの大部分は未開の荒野からいきなり文明社会に連れ出され、その「文明の恩恵」を浴びせかけられた後でまたもとの未開に戻るのだから。

その落差たるや!

だが僕はその後の面倒は見ない。そして一つの音楽が廃れる時には僕はもう次の音を聴きつけている。「悪魔の舌」とは言い過ぎだが、確かに彼らの人生を一変させた責任は僕にあると思うし、その責任を無視しているのも事実である。

最近は癒しの音楽の需要が増加していた。擦り切れた都会人の心を和ませ、ストレスを消散させられるような音楽だ。南米のジャングルの小人族のハミング、アフリカの勇壮なドラム、中国奥地の少数民族の笛と琴、全てが日本人に新しい素朴なリズムでいずれもヒットを飛ばした。

そして今回、僕は初めて中央ヨーロッパに音楽探索行に出た。世界を活動の場にしながら、西欧音楽はこれまで対象にしてこなかったのだが、ヨーロッパの音楽は殆どが記録、分類され、分析され尽くしているからだった。けれどもあらかた未開社会も漁り尽くした今、目先を変え、西欧音楽の源流の中に次の流行を求めて、ヨーロッパを訪れたのであった。しかし、これまでのところは、目ぼしい音楽にめぐり会っていなかった。

それが今、突然、むこうからやってきたのだ。

もう一度耳を澄ませたが、その音楽は途絶えていた。僕は必死で耳に手を当て、その音を捉えようとした。しかし、聞こえない。空耳だったのかと諦めかけた時に、霧が再びその旋律を運んできた。

低く泣くような音色、確かにこれだ。僕の耳はこの音楽が僕にこれまでで最大の成功をもたらすに違いないと告げていた。流行以上のものになる可能性すら感じた。

僕は決して聴き逃さないよう、細心の注意をしてその音を追った。店を出た時より霧はずっと濃くなって周囲の建物はその奥に沈んでいた。しかし消えそうで消えないその音楽は僕の耳をしっかり捕らえ、呼び寄せるように霧の中に誘った。

幾つ角を曲がっただろうか。突然、僕は笛の音が強く響くのを感じ、それと同時に大勢の足音らしいものを聞いた。僕はその足音の方に小走りに急いだ。

そして最後の角を曲がると、そこにいたのはなんと大勢の子供達だった。おそらく百人を越えていただろう、まるで夢遊病者のようにフラフラ、列を作って歩いていたのである。

その列の先頭からあの不思議なメロディが流れていた。これだけ大勢の子供が話し声一つ立てずに黙々と歩いている様に戦慄を覚えた。聞こえるのは足音だけだ。皆、何かに酔ったような虚ろな眼をしていた。

僕も流れに乗って列に並んだ。何とかこの素晴らしい音楽を手に入れて、日本に持って帰るのだ。大ヒット疑いなし、これで僕の伝説は完成する。

僕は歩きながら周りを見渡した。そして深夜の行列の異常さに改めて驚いた。ここにいるのは子供だけ、自分を除いて大人は一人もいないのだ。全員が一言も口を聞かずに歩いている。行列は町中をグルグル回るように行進していて、次々と街角から新たな参加者が合流する。それも皆、子供だ。

そしてもう一つ不思議なことに気付いた。彼らの着ている服が一様ではなかったのだ。これまで世界中を旅して見知った、ありとあらゆる国の服装がそこにはあった。また明らかに現代とは違う服装もあった。まるで、そう世界史の中から子供だけが呼び寄せられているかのようだった。この不思議な音楽に。

その瞬間、僕は行列の謎が解けた気がした。笛吹き男、あのハーメルンの笛吹き男だ。

中世のハーメルンの町で、約束を破った町の住人への仕返しとして子供たちを何処かへ連れ去った男。彼がまだその笛を吹き続けている、彼の復讐は終わっていなかったのだ。

彼の笛の音に子供たちが今もあちこちから引き寄せられている。そして遂に時間の壁を越え、あらゆる時代から耳の優れた、感性豊かな子供たちまでも引き寄せていたのだ。

何故、僕が時間を超えてこの音楽に反応したのかだって。当然の事だ。それは僕の天使の如く純粋な耳のせいに間違いない。

これで僕がこの音楽のヒットにこんなに確信を持てたのも分かるだろう。笛吹き男にとっては鼠であろうが、子供であろうが操るのは思いのまま、もちろん狙われれば大人も彼の呪縛からは逃れられない。最高のエンターテナー、彼こそ僕の求める男、これこそ僕の求める音楽だった。

さあ、ここからはいつもの仕事だ。笛吹き男のところに行って、日本に連れ帰る交渉をするんだ。今回の交渉は簡単だ、彼の言い値を呑むとしよう。それでも大儲けできる事に首を賭けたっていい。もちろん、彼との約束はきちんと守るようにしなければ。

「あれ?」

身体の自由が効かない。前に出ようとしても脚が思うように動かないのだ。どんなにもがいても列を離れる事が出来ない。何と、気づかないうちに僕も、しっかりとこの音楽に捕えられてしまったのに違いない。

行列は今や、街の外に向かい始めていた。

このまま行くと……。

遠くに聞こえ始めたのはごうごうと轟く、河の流れだった。



 

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