14・メイドと姫

 対局が終わって、俺たちは再度応接室に案内された。

 そこに解放された筈のメイド連中が一堂に会していた。

 蹴り飛ばされたメイドも綺麗な顔でそこにいた。

「え?」

 俺は阿呆みたいな声を上げた。

 そこでさらっとメイド連中は全員櫻井の娘だと明かされて、俺と県居は大きくため息をついた。あの時メイドが盛大に流していた鼻血も血糊だと。

 全く腹立つ連中だ。

「それで、前の持ち主だったかね?聞いてどうする」

 県居は咳払いをして、

「僕は、兄弟子を黒駒で殺された。その相手を探しているんです」

と言った。

 その言葉に、爺さんは笑いだした。

「私じゃないのか、と聞かないのかね?私も黒駒で…」

「兄弟子は僕より強い」

 県居は爺さんの言葉を遮った。

「…くっくっく。随分な信頼だな。君も首の皮一枚だったろう?」

 爺さんの言葉に、県居は微笑んだ。

「そうですね。やばかったです」

 嫌味ではない、本当に素直に県居はそう言っていた。

 その顔で爺さんの顔も緩んだ。

「…私は元、梟という真剣師集団の一員。私の前の持ち主は、『梟』の首領、菅谷進一郎。知っているだろう?当時プロ棋士と5番勝負をやって最後の升村戦以外すべて勝った伝説の真剣師だ」

 俺は知らないが、将棋指しにとっちゃ有名なのか県居は知っている様子だった。

「菅谷に勝ったんですか?」

「無茶言うな。勝てるわけがないだろう。わざと負けてもらったんだ。あの人は棋士以前に勝負師だ。盤外戦術を仕掛けたって打ち破られる。あの人は死んだんだよ、病気でな。それで私が梟を抜け、名前を変えて黒駒の守をすることになった。本拠地の大阪を遠く離れてな。だが守れなかった」

「…誰に奪われたんです?」

「君らの方が知ってるだろう?名南大学の大須徹教授だよ」

「はあ!?」

 俺はその名前に大声を出してしまった。

 俺が名南大学に行ったのも、その男がいたからだった。

 大須徹は世界的な考古学者で、目的達成のためならいかなる手段も取ることから天才発掘家とも無法な墓荒らしとも呼ばれる無茶苦茶な人物だ。

 そして、大須教授は2年前に失踪している。

「どうやって?まともに指してですか」

 県居はそう呟いた。確かにそうだ。大須教授は将棋でこの爺さんに勝てるほど強かったのか。

「まさか、彼はずぶの素人だ。嵌められたんだよ。まあ、それを言い訳はできんがね。真剣とはそういうものだから」

「それはいつの事ですか?」

「10年前だ。それ以降は知らぬ。坂村教授からは黒駒をもって学生が行くので、御指南願うと言われたので、期待していたのだがね…」

 10年…県居の兄弟子が殺されたのは5年前。大須教授が黒駒を奪われていないとするなら、犯人は大須教授だが、ありえないだろう。

「分かりました。ありがとうございます」

 そう言って県居は立ち上がった。

「出た途端にとっ捕まえる気じゃないですよね」

 俺はそうけん制しておいた。この連中は信用できない。

「黒駒は絶対だ。もう私や家中の者は君を拘束できない。私の方から対局はできない。君からなら話は別だがね」

「この駒の呪いを解いたら対局しましょう」

「…ふ、しかし県居君。正直、君は何者だ。終盤まで、私は君を掌で転がせていた。それほどの差があった。ただ終盤の粘りが尋常じゃなかった。目の前の猫が突然虎に化けた。こちらが遊ばれていた」

「買いかぶりすぎですよ」

「まともに勝てる気がしなかった。元奨とは何度か指したことがある。どれもきれいな将棋を指す連中だ。君もそうだと勝手に思っていた。事実中盤まではそうだった。しかし、終盤で出てきた君の将棋は荒かった。こっち寄りの将棋だ」

「…」

「終盤には棋士の本質が出る。…そこで君に頼みがある」

「何でしょう?」

「娘を弟子にして、鍛えてやってくれないか?」

「はい?」

「真剣師になると言って聞かないのでね」

「プロじゃなくて、真剣師?そりゃ、お門違いですよ。それに僕は弟子をとるほどの器じゃない」

「私を倒すほどの器ですよ。さあ、挨拶なさい」

「櫻井真莉愛と申します。よろしくお願いします。ご同行いたしますので、何なりとお申し付けください」

 そう言って頭を下げたのは先ほどのかわいい系のメイドだった。

「ちょっ・・・」

「お願いしますよ。さあ、県居先生たちをお見送りしろ!」

 県居の言葉を遮った爺さんの一声で、またしても屈強な男たちが俺たちを囲んだ。

 俺と県居は担がれるように強引に送り出された。

城の外はもう暗くなっていた。

 俺はケンメリに県居とメイドを乗せて、蔦の城を出た。

 メイドとメイドの荷物で後部座席が埋まったので先輩はやっぱり屋根に乗ってもらった。

「やられたね」

「こんなことあるか?」

「よろしくお願いしますね。県居様、多田様」

 にっこりと笑うメイドは、悔しいが可愛かった。

                 *


 大阪に到着して、村瀬先生に河豚を奢ってもらった。

 そういう人だとは分かっていたが、今後は軽口は控えよう。

 腹ごしらえも済んで、村瀬先生が次は服だというので服屋に直行した。

「…で、何スカ。この格好?」

 それで、あつらえた服装は、上下真っ黒のスーツに黒いソフト帽、古臭い形のサングラス。

 めちゃくちゃ目立つ上、真夏でこの格好は糞暑い。目的は変装だよなあ、と心の中で呟いた。

「ブルースブラザーズみたいでカッコいいだろ」

 一方村瀬先生はご満悦だ。まあ、確かに、長身で細身の村瀬先生にはよく似合ってる。

「何ですそれ?怪しすぎでしょ。どっちかって言うとメンインブラックじゃないですか」

「この良さが分からんとは…まだまだ子供だな」

 村瀬先生はやれやれだぜ、って感じだが、こっちがやれやれだわ。

「いや年齢は多分関係ないですね」

 まあ、俺を含め棋士は変人ばかりだから慣れてるけどね。

「よし、準備は整った。では、梟を潰しに行くぞ」

「…待ってました」


 大阪駅からタクシーで15分、米川先生から聞いた裏の賭場は繁華街に建つマンションの中の一室だった。


 その部屋の前で俺は村瀬先生に話しかけた。中は狭そうで逃げるのも難しそうだ。虎穴に入らねば…ってのは分かってるが、中々の恐怖だ。

「…ここに行くんですか?やばそうだなあ」

「心配するな、米川から会員カードを貰ってる。ご丁寧にお前の分もな」

と村瀬先生から差し出されたカードを受け取った。カードには俺の顔写真と偽名があった。

 この人は何でこんなに肝が据わっているのだろうか。

 村瀬先生がチャイムを鳴らすと、

『会員証を。…サングラスは外して』

という声が聞こえてきた。

 俺たちはサングラスを外して、会員証をインターフォンのカメラに向かって提示した。

 少しして、

『どうぞ』

 と声がして、ドアが機械音を上げて自動で開いた。意外とハイテクだ。

 玄関すぐの廊下にいたいかつい野郎が無言でこちらに手を伸ばした。

 村瀬先生は2万円を渡して、廊下をずんずんと進んでいく。廊下の先のドアを開けると、そこには机が三つ並べられ、ギラついた目をした大阪の真剣師連中がいて、煙草の煙で満ちていた。

 机に座っている人数は六人、もう一人、壁際に立っている男はおそらく賭場の仕切り役のヤクザだろう。タンクトップからこれでもかと入れ墨がはみ出していた。

 部屋に入った俺たちを見て、タンクトップの男が嗤った。

「御大層な恰好だな、サツか?」

「いいや」

「なら何しに来とんや?そないなアホみたいな恰好して」

 かかか、と今度は真剣師のおっさんが俺たちを嗤った。

「阿呆?阿呆だと。この格好がか?」

「真夏にする格好じゃないやろ」

 おっさん、ごもっとも。もっと言ったれ。俺は半袖が着たいんじゃい。

「…失礼で無粋な連中だな。誰か一人でも私に勝てたら300万やる。私が勝ったら君らに聞きたい事がある。6面指しでいいからかかってこい」

 村瀬先生は懐からどさ、と札束を机に投げた。

「ほぉ~、おもろいわ。相手したろ」

 連中は、にやにや笑いながら机を動かし始めた。

「…ちょっと先生、一人で全員飛ばすつもりですか?」

「君は秘密兵器だろ?私が指す。それとも何か問題かね」

「先生の将棋は嫌いですけど、先生の強さは知ってます」

「ほう、奇遇だな。私も君の序盤のグタグタ将棋は嫌いだ」


 机が横一列に並んで盤が6枚。並んで座る真剣師達は楽しそうに舌なめずりしている。

 先生は憮然とした表情でその連中を見下していた。

 先生の正面のおっさんは、その先生の姿を見て、

「300万の勝負で少しも『揺れ』とらんな。あんた、強いんか?」

と尋ねた。

 先生は、はっきりと答えた。

「…私が戦ってきた相手の為にも、私が背負ってきた物の為にも、私は謙遜しない」


「私は強い」


 そう言い切って、全ての盤に▲2六歩と指していく。

 その言葉を嗤うものはいなかった。

 盤を挟めばこの人が恐るべき覚悟と熱量で指しているのか分かるのだ。この誇り高き老棋士と相対する者は、真摯に将棋と向き合う。

 真剣師達の甘い表情は消え失せて、殺気立った精神をその指に乗せていた。

 暫く指し手が進むと、真剣師達は一様に額に汗を浮かべ始めた。

 先生はさらっとした表情で、

「君達には何もさせない、暴れる事も、足掻く事もさせない」

と言い放った。

 連中は何も言い返すこともなく黙ったまま、盤を見つめていた。

 これぞ激辛流。序盤でリードを作って、終盤までじりじりとその差を広げていく。将棋は逆転のゲームだが、この方は悪魔のようにそれを許さない。終盤に向かうにつれて複雑化していく局面に数多に存在する逆転の手を潰して、逸らし、無効化していく。それ故に見ててつまらないんだけどね。読んでいくと凄まじい読みだと驚かされるが。

 俺は先生の将棋こそ棋理に反していると思ってる。

「くそッ…!負けだ」

 一人目。

「…無い」

 二人目。

「どうしようもねえ…」

 三人目。

「負け」

 四人目。

「負けだ」

 五人目。

「何でこんな強い!?」

 最後の六人目。

 当たり前だ。村瀬先生は現役のほとんどをA級で過ごした化け物の中の化け物。お前ら魑魅魍魎が敵う化け物じゃない。

 終わってみれば、全局可哀そうで目を逸らしたくなるほどの圧勝だ。

 先生は項垂れる連中を前に300万を懐にしまった。そして、本題に入った。

「一つ教えてくれ、君らは梟か?」

「…いいや、俺たちは違う。梟の連中はしばらく見てないな」

 前のおっさんが力なくそう言った。

「何処によく出没するか知らないか。探しているんだ」

「梟に会いたいの?」

 入ってきたドアの方から似つかわしくない若い女の声がした。

 俺たちが振り返ると、制服姿の女子高生が立っていた。この場に似つかわしくなさが振り切ってる。つーか夏休みだよな、何で制服?

「私が…」

「子供がこんなところに入ってくるな!!帰れ!」

 村瀬先生がそう一喝すると、その子は涙目になって震えていた。可哀そうに、怖いよなあ、この爺さん。

「その子が梟だよ。梟の姫さまだ」

 真剣師のおっさんが申し訳なさそうにそう言うと、村瀬先生は、

「嘘をつけ」

と切って落とした。





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