10・蔦の城(中)

「おはよう、ケンちゃん」


 この日2回目の目覚めは、またしても県居のモーニングコールだった。


 俺が目を覚ましたのは、コンクリ打ちっ放しの部屋だった。その中に所狭しと黒い幽霊が徘徊している。

「…」

 部屋のど真ん中に畳が三畳敷いてあって、その上に足つきの将棋盤が置いてある。将棋盤の周りにだけ幽霊は近づこうとしないように見えた。

 その将棋盤の横に直川先輩が胡座をかいて座っていた。

 壁を背に足を放り出して座る県居の左足には足枷が付けられており、壁と鎖で繋がっている。

 そして、それは俺にもしっかり付けられていた。

「よお、バカタレ」

 県居にそう言いながら、俺は足首に巻かれた枷を引っ張ってみた。それは、ムカつくほどビクともしなかった。

「いやあ、やられたねぇ」

 県居の呑気な声に、俺は怒りを通り越して戦慄した。俺は県居を無視して、直川先輩に話しかけた。

「直川先輩、俺たちがぶっ倒れた後はどうなったんですか?」

「おお、筋肉ムキムキマッチョマン三人に運ばれて、ここだ。お前らの携帯と駒は爺さんに持ってかれたぞ」

「…最悪だ」

 殺されてないだけマシだが、そう長くも生かしてはくれないだろう。この無数の幽霊達がその証拠だ。

 俺たちがここを訪ねる事を教授に知られている以上、監禁だけで済む訳がない。教授が不審に思って通報し、警察がここを訪ねるまで、俺たちを生かしておけないだろうから。

「俺が生きてさえいればな、カンフーで闘ったんだが」

 直川先輩はそう言って細い右腕を叩いてみせた。

 俺は長いため息を吐いた。

「この部屋、脱出出来そうですか?」

「どうだかな?まあ部屋の鍵と足枷の鍵は外にいるメイドが持ってる」

「周りの連中、ここで殺されたんですかね?」

「何とも言えねえな。こいつら、意識ねーから。多分、ここで死んだろうけどな」

「…クソッ!」

「まあ、落ち着きなよ。ケンちゃん」

「落ち着けるか!ガッツリ監禁されてんだぞ?!」

「大丈夫さ、監禁されているから。だから、大丈夫なんだよ」

「何でそう言い切れる?ちょっとだけ生かしとくつもりかも知れないぞ」

「まあね。たださ、櫻井さんのやりたいことは駒を手に入れることだろ?だったら他にいくらでも方法あるよね?」

 …確かに駒を手に入れるだけなら、こんなリスキーな事をしなくても、金を積んだり、脅したり、説得したりナンボでもやりようがある。

「櫻井さんは最初から、この状況を作りたかったんだよ。僕と将棋がしたかったんだ。正確には黒駒の所有者と、将棋を…ってのが正しいのかな。その為に眠らせて、ここで監禁して、対局から逃げられないようにするつもりなんだ」

「…黒駒は、単に持ってるだけじゃ使えないって事か」

「そうだと思うよ。将棋を指して勝つ事で初めて効果を得るか、何か…。まあ、ケンちゃんが言うように、一時的に生かしてるだけかも知れないけどね。一番楽観的に考えると、新手のおもてなしかも知れないしね」

「…いや、問題がまだあるだろ。お前が勝った所で、俺たちは解放されないだろ。普通に考えて。俺があの爺さんなら将棋に勝つまで監禁するぞ」

「………あー」

「考えてなかっただろ、お前」

「大丈夫ですよ」

 不意に扉の向こう側から女の声がした。

 カン、と軽い音がして扉の上部にあるのぞき窓が開いた。格子の付いた窓からこちらを覗いているのは、可愛い系のメイドさんだった。

「お目覚めですね、県居様、多田様」

「…メイドさん、これから俺たちは拷問でもされるのか?」

「いいえ、将棋を指してもらうのです。黒駒を、賭けて」

 県居の推理は正解だったな。

「あんたさっき大丈夫って言ったよな、どういう意味だ?」

「勝てば解放される、と言う意味ですよ。そう賭ければね」

「本当に解放してくれるのか?」

「…黒駒の賭けは絶対ですので」

 メイドさんがそう言った後、ガチャガチャと金属が擦れる様な音がして、扉が開いた。

「貴方達にお願いがあります」

「聞くと思うか?この状況で」

 俺が刺々しくそう言うと、メイドさんは地面に頭を擦り付けた。

「助けて下さい」

 俺は突然の土下座に驚いて言葉が出なかった。

「私は…私達は、黒駒での賭けに負けてここで働かされています」

 メイドさんは頭を下げたまま、話し始めた。

「ただ、私は将棋なんて指した事もなかったですし、櫻井と進んで賭け将棋をした訳ではありません。そうする様に仕向けられたのです」

「俺たちみたいにかい?」

 俺が意地悪くチャチャを入れると、メイドさんは、相変わらず頭を下げたまま、

「はい。ここまで直接的ではなかったですが」

 と答えた。

「お二人を出迎えたメイドの殆どがその様に追い込まれて、櫻井と賭け将棋をしてここに囚われているのです」

 あんたらに鎖は付いてないけどな、と思ったが、これ以上話の腰を折るのもどうかと思ったので黙っておいた。

「私の場合は私の父が櫻井に追い込まれたのが始まりです。父の会社の経営が傾いて、銀行やまともな金融会社からは融資を受けられなくなりました。そこに融資を申し出てきたのが櫻井です。櫻井の本業は金貸で、父の会社の様な傾いた会社に融資を持ちかけて、法外な金利を掲示するのです。しかし、切羽詰まった人間はその融資を受けてしまうのです。父もそうでした」

 俺と県居は黙ってメイドさんの話を聞いていた。

「利息に追われる父は、死に物狂いで働いていました。しかし、幾ら無理をしても元金は一向に減らず、目に見えて疲弊していきました。櫻井は、その父に黒駒を使った賭け将棋を提案したのです。負けた方が勝った方の言うことを何でも一つ聞く、という賭けでした。父は借金をチャラにする為に、櫻井は私を手に入れる為でした。父は黒駒の力を分かっていませんでした。こんな口約束はいくらでも反故にできると思ったのでしょう。しかし、そうは行かなかった。父は賭け将棋に負けて、私を櫻井に差し出しました。そして私も父の借金をチャラにするという内容で櫻井と黒駒を使った賭けをしました。私は負けて、櫻井の忠実な下僕となりました。何もかも奪われました。人としての尊厳も踏みにじられました。そして、櫻井から父が自殺した事を聞かされました。私を櫻井に差し出した事で母との関係が悪化して二人は離婚、絶望の中、一人で死んだのだと笑いながら教えられました」

 ギリギリ、とメイドさんの歯を食いしばる音がした。

 絞り出すようにメイドさんは話を続けた。

「櫻井は人の弱みに付け込み、黒駒での将棋に誘導して、相手を支配下に置くのです。黒駒がどんなものなのか知らない人間は笑うような内容を…冗談のように。黒駒は本物です。あれは負けた者が賭けた物を必ず徴収する、そういうものです。私もこうなるまで信じられませんでした」

「…」

 メイドさんの言う事が本当なら黒駒の負けの回収は、精神面にまで及ぶ。つまり、通常では賭けられないものを賭ける際に使用する駒と言うことか。だから現代まで残っている。表向きは指したら死ぬと謳って人を遠ざけて…。

「櫻井は悪魔です。常軌を逸した欲望の塊です。金と女…自分の欲望を満たす為には、人の命なんか何とも思ってません」

「お願いします。櫻井は凄腕の真剣師、私達では勝てません。県居様、どうか黒駒で将棋を指して櫻井を殺して下さい。…父の仇を取ってください」

「嫌です」

 県居は即答した。

「将棋で人を殺したくない。誰に頼まれてもそれは出来ない。けど、これから指す将棋には勝ちますよ」

 そう言って、県居は微笑んだ。


「ん〜、教育が不十分だったようだな」


 不意に聞き覚えのある嗄れた声がした。

 件の櫻井がガタイのいい黒いスーツを着た男を連れて扉の側に立っていた。

 爺さんが小さく腕を上げると、黒服の男は躊躇なくメイドさんの顔面を蹴った。

「うぁっ…!」

 蹴り飛ばされたメイドさんは、俺の前に転がって来た。

「なにやってんだ!」

 駆け寄ろうとする俺を鎖が止めた。

 メイドさんは俯いたまま唸っていた。恐らく鼻が折れたのだろう、顔を抑える手の間から血が滴っていた。

「君もやられてみるかね?」

 老人のその一言で俺はハッとした。気づいた時には、黒服は俺の前に踏み込んでいて、その拳が俺の眼前に迫っていた。


「やめろ!」


 県居の叫び声で黒服の拳は俺の鼻先で止まった。

「それ以上するなら、死んでも指さない」

「ああ、いいねぇ。いい眼をしている。義憤に燃える青年と指すのは格別にいい…」

「もし、僕が舌を噛んで死んだら、この駒は誰にも使えないんでしょう?僕は死んでも誰にも譲渡はしませんよ。その覚悟でここにいます。今この場の主導権を握っているのは僕なんで、言葉に気をつけて下さい」

 県居はきっぱりとそう言い切った。舌噛み切って死ぬと言う言葉も本気だ。こいつは、分かってやがったんだ。こうなることを。県居は櫻井に話を聞きに来た訳じゃない。櫻井を利用しようとここに来たんだ。黒駒を使う為に。

「ふ、面白いな、君は。その年で命を捨てる覚悟とは、何が君をそうさせるのか、気になるところだが…。結局のところ、君も私と同じで黒駒が必要なんだな」

「…ええ」

「君に黒駒の力を見せてやろう。そこで転がっているお嬢さんは、私がお嬢さんの父親に賭けさせて手に入れた。忠実な召使いとして娘をくれと言ってな。まあ、お嬢さんは君らも知っての通り、私を恨んでいるようだ」

 爺さんがそう言うと、脇の黒服が懐からナイフを取り出して、メイドさんの前に投げた。

「それを好きに使ってみろ。心配するな、こいつは手出しせん」

「うぅ…!」

 メイドさんは呻きながら、ナイフを掴んで立ち上がった。

「どうした、私が憎くはないのか?」

「うわあぁっ!」

 メイドさんはナイフを両手で握って爺さんの腹に向かって突き出した。何度も何度も。

 しかし、それは一向に届いていなかった。と言うよりメイドさんが手前で止めていた。もう少し腕を伸ばせば確実に爺さんの腹に突き刺さるのにだ。

 メイドさんに殺意はあった。確実に殺すつもりであった。迷って止めたような様子ではなかった。

 これが爺さんの言う黒駒の力なのか。

「くそぉっ!くそっ!くそっ!」

 メイドさんの顔は涙と鼻血で濡れていた。メイドさんの手からカラン、とナイフが床に転がった。

 それを見て、爺さんは笑う。

「ははは!どうだ?笑えるだろう?」

 その言葉で俺は完全にブチ切れた。この爺さんに、県居に、メイドに、教授に。

 俺は自分の靴を脱いでその顔に投げつけた。

 それにモロにぶち当たった爺さんはキョトンとした中々味のある面になっていた。

「ああ、そのアホ面笑えるぜ」

 爺さんの口角がゆっくりと吊り上がった。笑う、と言うより牙を剥いた、と言うべき顔だった。

「県居君が死んだら、次は君だな」

 そう言いながら、爺さんは将棋盤の前に座った。

「うるせえよ、クソ野郎が。何が次は君だ?何でもテメーの思い通り進むと思ったんじゃねぇぞ!」

 怒鳴り散らした俺は呆気に取られる爺さんを放って、県居に向き合う。

「テメー俺を騙しやがって、命懸けの勝負するならそう言えよこのバカ野郎!速攻で帰ってやったのによ!」

「だと思ったから、黙ってたんだよね」

 県居はしれっとそう言って笑う。

 コイツ殺す。

「県居、後でお前は俺に殴られろ!取り敢えずそれで堪えてやる!」

 県居は俺の言葉に頷いて、

「分かったよ。2、3発で勘弁してくれる?」

と言って将棋盤の前に移動した。勘弁する訳ねぇだろうが。

 そして、県居は立ったまま、

「櫻井さん、あなたが勝ったら、黒駒はあなたのだ。僕が勝ったら、僕らとメイドさん達を解放してもらう」

と言い放って、ゆっくりと座った。

 爺さんは県居と目線を合わせずに、将棋盤に俺たちから奪った駒、黒駒を広げた。

「緩い」

 下を向いたまま、爺さんはそう呟いた。

「実に緩い考えだね。君は一つ勘違いしてるよ。黒駒が使えなくなる事は確かに痛手だ。だがね、私は君だけじゃなく、君のお友達の命も握っていることを忘れてはいけないよ」

「それでも主導権は自分だと思うかね?…駒を渡すだけで足りるものか、お前は命を賭けろ」

「この…!」

 俺がふざけんなと声を出す前に、県居が左手を伸ばして俺を制した。

「いいですよ、賭けましょう『命』。どうせ負けたら殺されるんだろうし。それより、僕に薬を盛ったり、痛めつけたりしなくていいんですか?」

「…盤外戦術は使うが、それ以上の直接的な妨害は私の美学に反するのでねぇ。まあ、薬漬けにも出来たがね。それじゃあ、君が負けを悟った時の絶望の表情が拝めないだろ?」

 爺さんの言葉に県居は笑う。

「はは。貴方は凄腕の真剣師と教授からは聞いていました。でも、大した事なさそうですね」

「ほう、指さずに分かるのかな?」

「ただの予測です。分かるのはこれからでしょう?」

 二人は会話しながら、パチパチと駒を並べていく。その音が止まった一瞬の後、爺さんは県居に話しかけた。

「…確認しておこう。県居君、君は負けたら死んでもらう。そして黒駒は私の物だ。私が負けたら、私は君たち及びメイド連中を無事に解放する。これでいいかね?」

「いいですよ。時間はどうします?」

「君の好きなようにしたまえ。何せ、君は命賭けの将棋だからね。待ち時間5時間でも、7時間でも付き合うが?」

「じゃあ、10分切れ負けで」

 県居はしれっとそう言った。喫茶店でコーヒー頼むみたいに。

「10分?!」

「別に短くても構わないでしょう?」

 この場にいた全員が、県居の事をアホだと思っただろう。少なくとも俺はそう思った。自信があるんだろうが、それにしたって自分の命を賭けた勝負を合計20分以内に限定するってどう考えても頭おかしい。


 …だったら県居は何故10分にしたのか。

 咄嗟にさっきの県居の言葉が頭に浮かぶ。


 ―――薬を盛ったり、痛めつけたりしなくていいんですか?


 あれは爺さんに向けての牽制の言葉じゃない。県居はすでに薬を盛られている可能性があるんだ。爺さんが対局中に効果が出るように遅効性の毒などを盛っている事は十分考えられる。爺さんが対局時間を5時間と提案したのも、県居が10分という短期決戦にしたのもそう考えれば納得がいく。

「…分かった。10分切れ負けだ」

 爺さんの言葉に俺は慌てて口を挟む。

「待てよ、それならそのスーツの男をどっかやってくれ」

「…これが君らに手を出すと?さっきの会話を聞いていたかい?直接的な妨害はしない」

「信用しろってのが無理な話だろ。ここまで監禁しといてさ。最低この部屋からは出てもらう」

「…やれやれ、おい笹井。ナイフを持って外に出てろ。真莉愛、ドアの鍵を掛けてやれ」

 黒服はさっきメイドさんが落としたナイフを拾い、爺さんに頭を下げて部屋を出て行った。

 分厚いドアが閉められ、血まみれのメイドさんがドアに内側から鍵を掛けた。

「この部屋の鍵は一つだ。…これでいいかな?振るぞ」

 カラカラ、と爺さんの手から放られた駒が盤上を転がった。

「先手は君だ。県居君」

「「お願いします」」

 二人が頭を下げた瞬間、黒駒から黒い靄のような物が吹き出した。

 同時に、周りを彷徨いていた亡霊達が一斉に叫び声をあげた。

「…!?」

 その絶叫の合唱は到底まともに座って居られるものじゃなく、俺はうずくまって必死で耳を塞いだが、それでも頭が割れそうだった。

「うぅ…ぐ…」

 俺が歯を食いしばって顔を上げると意識がなかった亡霊連中は何かを叫びながら、部屋の中を駆け回っていた。

 直川先輩は尻餅ついた姿勢で、大口を開けたまま、一点を見つめていた。

 その視線の先には、黒い靄が渦巻いていた。それは徐々に人のような形に変わっていく。それの頭部?には肋骨のような突起が生えていた。子供の頃から幽霊を見てきたが、こんなものは一度も見た事がない。

 まさに化け物だった。

 県居や爺さんは全く気にした様子はないので、見えていないのだろう。見えない方が幸せだ。

 靄の化け物は無数の細い腕の様なもので県居と爺さんの首を掴んで、ゆっくりと薄い靄にほぐれて二人の口の中に入って行った。

 俺と直川先輩は動くことも出来ずにそれを見ていることしかできなかった。

 靄が二人の身体の中に入り切ると、亡霊連中は黙ってしまって、また意識を失ったように彷徨い始めた。

 メイドさんの話を信じなかった訳じゃないが、黒駒は本物だということを目の当たりにした。

 本当に、県居は負けたら死ぬし、勝てば解放される。そう信じさせるに十分な光景だった。

 県居は負けたら死ぬ。あの化け物に殺される。おそらく紛れはない。

 俺の手が震える。負けたら、死亡。覚悟したつもりだったが、やはり怖い。

 だが、ひるめばつけ込んでくる。そんな相手だ。

 県居は対局の開始のブザーが鳴っているのに、未だゆっくりと深呼吸を繰り返していた。


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