9・蔦の城(上)

 その一日は、県居からのモーニングコールから始まった。


 目を擦りながら、旅館の食堂に行くと県居が入口で俺を待っていた。

 俺たちは食堂でパサパサのフランスパンを頬張って、オレンジジュースで流し込んだ。

「で、今日は何すんだ?」

「駒の前の持ち主に会いに行くよ。櫻井忠って人」

「喋れないって人か」

「そう。ここから車で一時間くらいの所だよ」

「まともな人ならいいがな」

「そう祈るけどね…着替えたら出発しよう」

「ああ」

 食事を終えて部屋に戻り、朝飯後の一服ですっかり目が覚めた。

 俺は服を着替えながら昨日の事を考えていた。

 県居の言う犯人探しってのは、どうにも雲を掴む様な話で、探す材料は実際のところ見当たらない。人間関係を調べたと言っていたが、それをどう殺人と結びつけるのか。

 そもそも、本当に犯人なんて居るのか。俺は半信半疑だが、県居は犯人はいると確信していた。理由もない様なもんだが、奴にはそう思わねばやりきれない事なのだろう。


 …それとも、県居はまだ何か隠しているか。


 あいつは、アホだが愚かじゃない。あの時は、手掛かりはないと言っていたが、本当はあるんじゃないか?そしてしれっと自分だけで片付けるつもりかもしれない。奴は頑固だから、口でああ言っても俺に手伝わせるつもりは無いのかも知れない。

 疑心暗鬼に陥って、いい事は何一つないが、県居の事は少しだけ知っている。だからこそ、考えてしまう。

 ふう、と一息ついて伸びをした。俺の思考を纏める時のルーティーン。

 まあ、奴が俺に嘘をついていたら、俺の気がすむまで奴をぶん殴ってやろう。それでいい。


 部屋の鍵をフロントに預けて駐車場に向かうと、県居は既にケンメリの側に立っていた。

 県居は水色の半袖ワイシャツに、黒のスラックスと言う出で立ちだった。

「今から行くとこのアポは取ってんのか、会社員?」

「教授が取ってくれてるよ」

「了解。じゃあ後は筆談で教えてもらうだけだな」

「うん。ちなみに昨日住所で調べてたんだけど、今からいく所は結構有名な所だよ」

「有名?」

「お城みたいな大豪邸で、全面蔦に覆われてる。ネットにも出てる。ほら、これ。通称、蔦の城」

 県居はそういいながら、スマホを俺に向けてきた。そこに映る建物は悪い意味で雰囲気があった。ストレートに言えば滅茶苦茶不気味だった。建物のレトロさよりも不気味さが前に出ている。

「今日はやめとくか」

「単位、単位」

 県居はニヤついてそう言った。

「…案内頼む」

 *

 県居のナビに従って走る事一時間。それは人里離れた山の中に佇んでいた。

 高いレンガ積の塀はその殆どを蔦に覆われていた。門の隙間から見えるその城は正しく蔦の城だった。城は蔦の緑とその影の黒で廃墟の様だった。城自体も大きいが、前庭も中々の広さを有していた。

 門にも蔦が絡みついており、永らく開かれていないことが伺えた。一体どうやって生活しているのか。

 俺はケンメリを門の直ぐ側に停めた。逃げる時のために出船にして。

「これが蔦の城か」

「いやあ、やばそうだねぇ」

「冒険感が堪らないな!」

 直川先輩は俺の目の前に突然現れていつも通り能天気な事を言った。

 全く神出鬼没だな。いい加減に慣れて驚かなくなったが。

「幽霊や呪いの類は先輩が倒して下さいよ」

「おう、だが俺は喧嘩弱いぞ」

 堂々と無能宣言しないで欲しいもんだね。

「県居、お前日本史好きか?」

「いや、高校の時、世界史だったから」

「いざという時は捨て奸戦法でいく」

「何それ?すてまがり?」

「後で調べとけ、行くぞ」

 俺が門を引くと、蔦が千切れる音と金属の擦れる嫌な音が鳴った。

 俺と県居と先輩はだだっ広い庭を抜けて、城の扉を叩いた。

 暫くして、扉はゆっくりと開いた。俺たちは固唾を飲んでその向こう側に注目していた。

「ようこそ、県居様、多田様。櫻井もお待ちしておりました。どうぞ、お入り下さい」

 そこには、フリフリのメイド服を着た笑顔のメイドさんが4名立っていた。

「うっひょー!」

 直川先輩は奇声を上げながら、メイドさん達のスカートの下にダイブしていった。悪霊め。

 メイドさん達は全員タイプの違う美人ばかりだった。可愛い系、綺麗系、ボーイッシュ、ギャル系。いいご身分だな、櫻井さんとやらは。

 想像では不気味な老執事か魔女みたいなのが出てくるもんだと思っていたので、完全に拍子抜けした。

 城の中に入ると外見と違い、城の中は整然と高価そうな家具が並んでおり、キッチリ手入れがなされている。

 俺たちはメイドさん達に案内され応接室と思しき部屋に通された。

 その部屋には大きなソファに木目のテーブルが置かれ、壁には名画っぽい絵が飾ってあった。

 綺麗系のメイドさんが紅茶を置いて、俺たちに暫く待つ様に言って部屋を出て行った。

「おい、マジモンのメイドさんだよ」

 俺はドアが閉じるのを確認してから県居に呼びかけた。

「初めて見たよ、メイドさん」

「誰が好み?」

「ショートの子」

「俺はギャルの子」

「えぇ…?」

「は?かわいいやろ?」

 俺たちのくだらない会話は、ノックの音で終わった。

 扉は静かに開いて、向こう側には枯れ木の様な老人と先ほどの綺麗系のメイドが立っていた。

 老人は白髪のオールバックで高価そうな和服に身を包み、温和そうな笑みを浮かべていたが、目は笑っていなかった。一見して、ヤクザの大親分のような男だ。

 老人の周りには、二、三人の黒い亡霊がくっついていた。どうやらかなり怨みを買っている人物のようだ。

「…えり」

 しゃがれた声で、その老人はそう言った。

 そして、俺たちの対面に腰を下ろした。

「え?」

 俺は声を漏らしてしまっていた。その挨拶?にもだが、そもそも、この人、喋れないんじゃなかったか?

 俺はしまった、と顔に出してしまっていた。

 俺の顔をみて老人は、小さく笑った。

「驚かせてしまったかな。最近、と言っても5年程前だが声を手に入れたのだよ。初めましてだね、県居君に多田君だったか」

「初めまして。県居学といいます」

「多田健です」

「坂村教授からは、例の駒の事を聞きたいと聞いているが、持って来てくれているのかい?」

「ええ、ここにあります」

 県居は半袖シャツの胸ポケットから巾着袋を取り出して、テーブルの上の置いた。

 途端に老人は、飛びつく様に身を乗り出して巾着袋を覗き込んだ。

 老人の異様な行動に面食らった俺が閉口していると、県居が口を開いた。

「これは、黒駒って奴ですか?」

 老人は、目線を巾着袋から県居に移して、

「そうだったらどうするね」

 と強い口調で言った。

 老人に先程までの笑顔は微塵もなく、殺意すら感じる目線を県居に送っていた。

「詳しく知りたいんです。僕らはこの駒の正体を探るためにここまで来たので」

 県居は動じることなく、そう答えた。

「…ああ、これは黒駒と呼ばれている…呪いの駒だ。指し手に死を呼び込むと言われている」

 彫り師の爺さんと同じ回答だ。しかし、先程の動きに違和感がある。先程県居が駒を置いた時に見せたこの爺さんの顔には、一瞬だったが愉悦の様な表情があった。

 駒を使ったら死ぬ。そんな駒に何故あんな表情を見せたのか。

 少し探りを入れてみるか。

「随分、その駒にご執心のようですけど、何かメリットがあるんですか?」

 俺がそう尋ねると、爺さんはまた笑顔を見せた。

「…この危険な駒の被害者を減らさねばならない。しっかりと管理しなければ、死人が出るからね。…坂村教授は駒の力を信じていない、だから学生に駒を預けるという愚を犯す。まあ、彼女は学者。学術的に研究したい気も分かるがね。危機管理が甘いのだよ」

 嘘だ。理由は弱いがそう感じる。

 しかしこれではっきりした。爺さんの目的は、駒を手に入れること。なんだかんだ理由をつけて、坂村教授から駒を譲らせる事だ。

 だが、問題はそこじゃない。何故、呪いの駒が欲しいかだ。

「では、本当に呪いはあると言う事ですか?」

 俺は続けてそう聞いた。核心を突くのはもう少し材料を引き出してからだ。

「試してみるかね?…私はこの駒を使って死んだ人間を見たことがある。まあ、科学的な根拠は何もないがね」

「ちょっと確認なんですけど、その、黒駒ってのは、将棋をすると両方死ぬんですか?それとも負けた方か、勝った方?」

「ふふ、それは負けた方さ。負けた者は失う、当然の事さ」

「怖い話ですね。双方了解の上で将棋をしてるって事でしょ?命がけの将棋か、考えられないな」

 俺はそう言いながら爺さんらの注意を引くために左手で巾着袋に触った。

 そして、同時に爺さんとメイドさんに見えない様に、ズボンの右ポケットからスマホを取り出して、背中の方に回して後ろ手でスマホのロックを解除した。

 見なくても分かる。ロック解除画面の左上から3番目、メモアプリを起動して文字を打ち込む。

「そういう世界もあるという事だよ」

 別に命がけの将棋だろうと、駒の呪いが本物だろうと、この駒を使う必要はないだろ。約束を反故にしないための呪いの品って事か?

「はあ、凄い世界ですね」

 絶対に何か裏がある。

 この後の展開は、いくつかある。

 1、爺さんの話に乗っかってこの駒を渡して、適当な事を報告して、単位をもらう。

 2、爺さんの話に乗っかるが、この駒を渡さず、隙を見て逃げ帰る。

 3、爺さんを問いつめて、真実を話させ、駒を渡さず帰る。

 4、爺さんを問いつめて、真実を話させ、理由に納得し駒を渡して帰る。

 5、爺さんを問いつめ、逆ギレされて駒を奪われる。

 ベストは3だ。安全なのは1だ。3を目指せば5になるのは見え見えだ。爺さんとメイドしか見てないが、もし屈強な男がいて、そいつが出てきたら終わりだ。モヤシ二人で対処できねえ。この敷地内に埋められて、終わり。相手のカードが分からない以上、最悪を想定すべきだ。

 目指すべきは2。駒の事を探るのは、別の機会と言うか方法にすべきだ。

 ここは玄関を入ってすぐの部屋だった。トイレに行くと言って逃げるか。ケンメリまで100メートルもない。

「そう言えば、君の将棋の力はかなりのものらしいね、県居君」

「唯のプロのなり損ないですよ」

「そっちの多田君は理解できんようだが、君なら分かるんじゃないか、命がけの将棋を指す者の気持ちが。将棋に自分の全てを懸けように生きていたのならね」

「…そうですね」

 俺はスマホをテーブルの下に落として、県居の足を軽く蹴った。

 県居は俺の意図に気づいてごく小さく頷いた。

「ん?ケンちゃん、ケータイ落としたよ」

 県居はテーブルの下に手を伸ばした。

 俺のスマホには、

『といれ あいず にげる』

と表示されている。

 県居は、それを確認して、ホームボタンでその画面を消した。

 そうしてから、俺にスマホを差し出した。

「はい」

「悪い」

 俺はそう言って、県居から携帯をうけとった。その時に県居はそっと俺に耳打ちした。

「逃げるは、ないよ」

「何?」

 何考えてんだ、オイ。得体の知れないヤバさは感じてる筈だろうが。

 驚く俺を無視して、県居はテーブル上の巾着袋を掴んだ。

「櫻井さん、腹を割って話しませんか」

こいつ、『3』狙いだ。

「ほう、何についてだい?」

「黒駒のルールを教えて下さい」

「…ルール?」

「惚けるのはナシですよ。櫻井さんの行動は不可解なんです。だからルールがないとおかしい」

…仕方ないな。もう、県居に乗っかって、一か八かだ。

「意味が分からないね」

「いいや、分かってますよね。櫻井さん」

俺は口を挟んだ。もう引けねーなら、引き際を見極めてそれまで突っ込んでやる。

「だから、黒駒を見た時に喜んでしまった。黒駒は恐らく、言われているような負けたら死ぬだけの駒じゃない。何らかの利益をもたらすものなんでしょ?だから、手に入れようとしているんだ」

ふう、と老人はため息を吐いた。そして、腕時計を見て微笑んだ。

「…そうだね。正解だ、賞金でも出そうか」

その動きは、何か待っている様に感じた。ヤバい、と思って俺は、腰を浮かした。

不意に、老人の顔が傾いた。

「え?」

「タイミング良く、きた様だね」

 その出来事が理解出来ず、頭が混乱している時に、ぐら、と部屋全体が傾いた。

「うぅっ!」

 頭の中で水が高速で回っているみたいだった。どこが上でどこが下なのか分からない。

嵌められた、何か盛られたんだ。

重い瞼を何とか広げていると、県居がテーブルにぶっ倒れていくのが見えた。

「ぐ…」

「ははは。死にはしない、安心しなさい」

 老人の高笑いが耳についた。

「まあ、ゆっくりしていきたまえ」

 ドサ、と何かが落ちた音がした。それが自分が倒れた音だと気がついた瞬間に、瞼の裏を黒い砂嵐が埋め尽くした。

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