12・梟
もう、時間はない。直感で食らいつく。
老人は勝ちだと言った。だが、それでも、絶望的な局面でも、僕ならまだまだ粘れる。
金銀が捥がれて玉が刀に晒されても、まだ、負けじゃない。
老人も時間がない。歯をむき出して必死で指している。互いに一手一秒。駒が盤上を飛び交っていく。
老人の怒涛の攻めを受ける。
受ける。どこまでだって受ける。形勢が悪いのは気にしない。図太く、汚く、老獪に受けてやる。
あなたがミスを犯すまでこの深い海の中で辛抱してみせる。あなたの将棋勘と僕の将棋勘。どちらが正しいか証明してやる。
全部かわし切って、切り返す。勝ちは『そこ』にある。
「投了しろ!」
老人は怒鳴った。
するものか。
先に折れるのはあなただ。あなたの限界のその先まで僕は受け切る。
僕の将棋の根幹は、受けだ。受け潰しこそが僕の将棋だ。
徐々に老人の指し手が速度を失い、ついに止まった。
受け切った。
老人の指が盤上を彷徨って、弱弱しく着手した。
「こっちの番だ」
僕の残り時間は30秒無かった。
それで充分だった。
攻めて、砕いて、ねじ込む。
僕は、残り4秒で老人玉に必至をかけた。
こちらに即詰みはない。
老人の時間は、1秒、また1秒と減っていく。老人は下を向いて沈黙していた。
切れ負けを選ぶ男ではない。必ず逆転を考えている。これは擬態だ。負けを見て放心状態になっているという擬態。
老人の持ち時間は残り35秒。
老人にこの局面でできることは、外のスーツの男に僕を拘束させ、一手指し、僕の時間を切れさせる事。そのための早指し。
後ろにいるケンちゃんにもそれは伝わっている。突入してくるスーツの男をケンちゃんが靴を投げるなりして妨害してくれれば、少しでも勝つ確率は上がる。
僕は突入してくるであろうスーツの男に備えた。
僕には4秒しかない。命懸けで抵抗して、駒台の金を叩き込んで勝つ。
残り30秒で老人は呟いた。
「やれ」
僕は飛び上がって老人と扉の方に向かって構えた。
来るなら来い。
次の瞬間、後ろから衝撃を感じた。
「!?」
咄嗟に振り向くと、血まみれのメイドさんが僕に抱き着いていた。
「ごめんね」
そう言ったメイドさんの左手には青白い光を放つスタンガンが握られていた。
前で駒音とチェスクロックを叩く音がした。
――――やられた。
そう思った瞬間、スタンガンが止まった。メイドさんの左手を別人の手が掴んでいた。
全く、あっさりと僕の読みを超える男だ。
「勝て!」
ケンちゃんの言葉で僕ははじける様に動いた。
メイドさんを振り払って、駒台の金を盤上に打ちつけた。
チェスクロックに表示された僕の残り時間は1秒だった。
対面の老人は、目を見開いたまま、固まっていた。
暫くして、ゆっくりと頭を下げた。
「負けました」
「勝ったよ」
僕はケンちゃんの方を向いてそう言った。
ケンちゃんは無言で僕を殴って、倒れた僕の足枷を外した。
「どうやって鍵を手に入れた?」
老人はケンちゃんに尋ねた。
ケンちゃんは老人の方を向いて、先ほど足枷を外した鍵を老人に渡した。
「メイドさんが鍵を持ってるのも、スタンガン持ってるのも俺は千里眼で知っていたんでね。外のおっさんがメイドさんを蹴り飛ばした時に駆け寄っただろ?俺は鍵だけをちょいと借りといたんだ」
「メイドが刺客だといつ気がついた?」
「…あんたが見せてくれたろ。メイドはあんたの命令に忠実に従うって。だから泳がせておいたんだ。早々にメイドさんを拘束したら、外のおっさんが来るだろ?ま、県居が負けそうなら、俺もスタンガンを奪ってあんたを気絶させるつもりだったがね」
ケンちゃんの言葉を聞いて、老人は笑い出した。
「…参ったな。君たち、強いじゃないか」
「帰るぞ、県居」
「…その前に櫻井さんに質問を」
「何だ?」
「貴方の前の黒駒の所有者は誰ですか?」
*
BAR梟。
神戸中華街の雑居ビルの地下にその店はあった。
その店の店主はバーカウンターに四人の男が座ったのを確認して、店の看板をしまってドアに鍵を掛けた。
店主はカウンターに戻って、四人に向き合った。
「今日は何の招集なんだ?」
カウンターの端に座ったアロハシャツの男が葉巻をふかしながら店主に尋ねた。
店主はその問いに答えず、シェイカーを振り始めた。
「へ、勿体ぶるねぇ」
アロハシャツの男は、ふう、と煙を吐いて足を組んだ。
「ギムレットだ」
店主は四つのカクテルグラスを四人の前に並べた。
そのカクテルを見て、四人の表情は、ほんの少し強張った。
「前にギムレットを飲んだのって花立組を潰した時以来ですね」
アロハシャツの隣の眼鏡の男は少し嬉しそうにそう言って、ギムレットを一息で飲み干した。
「お前って本当に変態だな。ドMも程々にしとけよ」
そう言って、アロハシャツの男は笑いながらギムレットを飲み干した。
「失礼な。ちょっと危険な事が好きなだけですよ」
眼鏡の男が反論すると、アロハシャツの男は笑いながら
「それが変態って言うんだよ」
と切って落とした。
もう一方の隅にすわっていた小柄な若い男とその隣の長髪長身の男はカクテルグラスを掴んだまま動かなかった。
「ユーメイ、トキオ。お前らは降りるか?」
店主がそう言うと、小柄な男は笑った。
「いいや、どんな楽しい事があんのか考えてたんだよ」
二人は同時に飲み干した。
店主は空になった四つのグラスを見て、タブレットを四人の前に置いた。
「古い知り合いから連絡があった」
タブレットには地図アプリが表示されており、その一点を店主は指さした。
「石川県富戸名市。…黒駒は今この街にある」
黒駒、と聞いて四人の表情が険しくなった。
「必ず、手に入れろ。奴が手に入れる前にな」
「ジンさん。姫さまは置いてくのかい?」
アロハの男がそう言うと、店主はフン、と鼻で笑った。
「あれを梟とは認めていない。それともイセ、お前は小娘一人いないだけで不安か」
「男五人旅はむさくるしいからねえ…」
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