旦那様のやきもち4

 その旦那様ことフレンは友人宅から帰宅の途についていた。

 可愛い妻オルフェリアと現在微妙な仲たがいをしている最中で、一日日が経てばどうしてあれくらいのことで腹を立ててしまったのかと反省した。

 オルフェリアが自分の容姿に無頓着で、ついでに男女間の微妙な言い回しに慣れていないことだってフレンは十二分に承知しているはずなのに。


 はああ、と重い溜息をつく。

 こんなことで可愛い妻の機嫌を損ねたくはないし、自分のつまらないやきもちだとはわかっている。


 それでも。


 ファレンスト邸のすぐちかくの通りに差し掛かり、フレンは馬車の窓にへばりついた。

 高級住宅街の道を行く人はまばらだ。そんな中、フレンの視界に飛び込んできたのは若い男性の姿。


(どうしてあいつがこんなところをうろついているんだ……)


 フレンの心中は一気に穏やかではなくなった。

 最近やたらとオルフェリアの行く先に現れるアルレイヒト。

 彼がファレンスト邸の近くに一人佇んでいるのは偶然か。

 フレンはいやな予感がして眉を顰めた。

 走っている馬車から確認しただけで、あれが本当にアルレイヒトだったのかも……と考えて、フレンはいやあれは絶対に奴だったと確信する。


 なんというか、夫の勘というやつだ。


 そんなわけでフレンはファレンスト邸へ帰るなりまっさきにオルフェリアの元へ向かった。

 彼女はフラウディオを膝の上に抱いて、ユーディッテとリシィルと談笑していた。


「おかえりなさい、フレン」


 友人の手前か、オルフェリアは友好的な笑みを浮かべて出迎えてくれたが、どことなく固い表情である。

「ただいまオルフェリア。ユーディとリシィル嬢もこんにちは」

 オルフェリアへの挨拶を済ませたフレンは体をユーディッテとリシィルの方へ向けた。

 二人ともすっかりくつろいでいる。


「お邪魔しているよ」

「この間ぶりね」

 二人はそれぞれ挨拶の言葉を口にする。頻繁に顔を会わせる間ならではの軽い言葉。


「あなた早かったのね」

「きみの顔が恋しくなってね」


 というか、友人に喧嘩の原因を見抜かれ、さっさと謝ってこいと追い出されたという方が正しい。

 フレンの言葉を聞いたリシィルが両腕をさする仕草をする。


「あらあら、相変わらずお熱いわね。わたしたちお邪魔のようね」

 ユーディッテも少しだけ呆れた声を出す。

「二人とも、フレンのことは気にしなくていいのよ」

「ま、これが根性の別れでもないし、どうせ明日にでもまたお茶しに来るから今日はこの辺で帰るよ」


 リシィルが立ち上がる。

 ユーディッテも右に倣えで帰り支度を始めた。

 



 フラウを乳母に預け、フレンとオルフェリアは二人きりになる。

 今日はどこの晩餐会にも出席する予定はない。

 フレンはオルフェリアに何から話そうかと思案する。


 現在屋敷の夫婦専用の居間に二人きり。オルフェリアはフレンの出方を伺っているのか、彼女の方から会話を始めようという意図は感じられない。

 二人とも椅子に座るでもなく、微妙な距離を保ったまま佇んでいる。なんとなく、今の二人の距離を現しているようでもある。


「今日はずっと彼女たちとお茶会だったのかな」

 先に口を開いたのはフレンだった。

 どこか探りを入れるような口調になってしまった。

「ええ。途中レインが乱入して、できたばかりのドレスを見せに来たの。汚したら大変だから先に帰らせたわ」


 オルフェリアは妹が仕上がったばかりの夜会用のドレスのままでファレンスト邸へ突撃してきたことを説明した。厳しい寄宿学校を卒業したばかりのユーリィレインは解放感に酔いしれているようだ。


「レイン嬢のドレス姿はさぞきれいだっただろうね」

「ええ。あのこは明るい金髪だからああいう淡い色の緑色が似合うのよ。うらやましいわ」

 オルフェリアは自身の黒髪のうち一房を指に絡める。


「わたしはきみの黒水晶のような髪も愛おしいけどね」

 フレンが少し大げさに褒めればオルフェリアは顔を赤らめた。

「もう……」


 朱色に染めた頬を横に向けて、何を言おうか迷うオルフェリアは昔と変わらない。

 なんとなく、空気が和んできたことを感じたフレンはオルフェリアの方へ歩み寄る。


「オルフェリア、昨日は少し言い過ぎた……」

 フレンはオルフェリアを閉じ込めるように両腕を彼女の腰に回す。

「えっと……あ、あの……」

 オルフェリアは少し戸惑った声を出す。


「けれど……私は心配なんだ。きみはとても美しいし、まだ十九だ。これからますます輝くだろう。きみに恋をする男性はこれからたくさん現れる」

「そんな、こと……ないわよ」

「いや、あるね。きみは自分の魅力をわかっていないんだ」

「わたし、結婚しているのよ。みんな知っているわ」


 オルフェリアはまじまじとフレンの顔を覗き込む。

 彼女の薄紫色の瞳に、自分の顔が映っていることに狂喜しつつもフレンは頭を振る。


「知っていても、だ」


 フレンは不安で仕方がない。

 どこぞの男がいつ、フレンの目を盗んでオルフェリアに粉をかけるか。自分に断りもなくオルフェリアに触れようとするか、と。

 フレンはオルフェリアに顔を近づける。

 目じりから耳たぶ、首筋へ口づけを落としていく。


「現にさっきだって、メラニーがこの近辺をうろついていた」

「アル……レイヒトが?」


 吐息交じりに自分以外の男の名を呼ばれて、フレンはオルフェリアの唇をふさぐ。

 いつもよりも強引に舌を絡ませれば、彼女は首を小さく振る。


「俺以外の男の名前を呼ばないで」


 フレンはオルフェリアの唇を再び塞いだ。

 深く彼女の口内をかき混ぜれば、オルフェリアは徐々に体の力を抜いていき、フレンに縋るように体重を預ける。


「やつはきみのことを好いているんじゃないか?」

 口づけの合間に尋ねると、オルフェリアは違うと首を振った。

「ちがうわ……」

「だったらどうしてあいつはオルフェリア、きみに付きまとう?」

「それは……」


 結局ここに戻ってしまう。

 オルフェリアはフレンに何も話してくれない。

 彼女が裏切ることはないと信じられる。オルフェリアは素直な女性だ。もしも、フレンから心が離れたら、そのときはきっとこうしてフレンが触れようとしただけで無意識に拒絶反応を起こすだろう。


 まだ彼女はフレンを受け入れてくれている。

 フラウディオのことも可愛いと言ってくれている。

 それでも、フレンは焦燥感に駆られる。

 自分よりも若い男性がオルフェリアに付きまとうようなことをされれば気分が悪くなる。


「オルフェリア」

 フレンはさきほどと比べて強い口調になる。

 オルフェリアはフレンの腕の中で肩を震わせた。

「だって……だって……」


「まさか、本当に彼のことを好きになってしまった?」


 フレンは思わず口走る。

 オルフェリアがとてもつらそうな声を出したからだ。


「違うわっ! わたしが好きなのはフレン、あなたよ。アルレイヒトは……わたしに……」


 オルフェリアがすぐにフレンの言葉を否定してくれて、心の中で安堵する。

「その……これは、あの……絶対に内緒にしてほしいのだけれど……」

「……わかった」


「彼はわたしにユーディさんを紹介してほしいってずっとずっとお願いしてきて。で、でも。お友達としてではなく、恋人候補として紹介してほしいだなんて、そんなこと……わたしからはユーディさんに言えない! 断っても彼くじけないし……」


 オルフェリアは一気に説明した。

 フレンは、なんていうか、想像とは違った答えをもらってしばしのあいだ固まってしまった。


「え、ええと……」

「だって、彼が誰を好きかなんて、勝手にしゃべったらいけないじゃない。なのにあなたはしつこいし、アルレイヒトもめげないし……わたし、どうしていいのかわからない……」


 固まったままのフレンの腕の中でオルフェリアは一度吐いてすっきりしたのか、なおも言いつのる。

 どうやら相当に自分の中でため込んでいたらしい。


「それが……真相? ずっと奴はきみにユーディを紹介しろって?」


 フレンの確認にオルフェリアはこくりと頷いた。

 フレンは今度こそ盛大に息を吐いた。

 どうやらフレンの盛大な取り越し苦労だったようだ。


「私はてっきり、奴はきみの可愛さに打ちのめされたのかとばかり」

「彼が好きなのはユーディさんよ。ただの一ファンとして出会ったらそこから一歩も前進しないから、友達として紹介してほしいって」

「なるほど、ね」


 フレンはくすりと笑った。

 ようやく余裕がでてきたのだ。

 妻が若い男に恋情を抱かれていなくて心底安心した。あのくらいの年の男は若さだけで暴走をするから質が悪い。今もその暴走にオルフェリアが巻き込まれているということだろう。


 オルフェリアは言葉通りに受け取ることがあるから、おそらくアルレイヒトに自分の気持ちは明かさないでほしいとか言われたのだろう。それでなくても彼女は人のうわさ話を自分から吹聴する人間ではない。

 フレンはオルフェリアと一緒に近くの椅子に腰を下ろした。

 すぐ隣に座ったオルフェリアの肩を抱いて、自分のほうへ引き寄せる。


「きみの苦悩はちゃんと理解した。ユーディは恋愛には興味ないって態度だからね。きみも下心だらけのメラニー氏を紹介することに気が引けたんだろう」


 オルフェリアはゆっくりと頷いた。

 それにしてもアルレイヒトは図々しい。

 誰かに紹介を頼むときはもっとお互いに知った仲であることが大原則だ。恋する男がその辺の件をすっとばしてなりふり構わないこともフレンは一応理解してる。


「きっとメーデルリッヒ歌劇団の大口支援者である私の名前と、個人的にユーディと親しいきみ。この伝手でユーディに紹介してもらえれば、彼女もおいそれと自分を邪険にしないと踏んだんだろう。うん、なんというか若者ならではの押しの強さだね」

 フレンは自分の所見を述べた。

「わたし、うまく断れなくて。というか断ってもしつこくて」

「それでこんなところまでお願いにやってくるとは」


 仕事でそのくらいの粘り強さを発揮しろよ、と言いたくなる。それともユーディッテと偶然を装って会話をする機会でも窺っていたのだろうか。ユーディッテが頻繁にファレンスト邸を訪れていることは一部の人間には知られている。ユーディッテの近しい人間なら、彼女が最近オルフェリアの姉リシィルとも仲が良く、一緒に行動することが増えていることも耳にしているだろう。


 フレンは思案する。

 せっかくの休暇なのにぽっと出の若者のせいでオルフェリアが要らぬ気苦労を背負い込む必要なんてない。こういうのは周りがお膳立てしたからといって旨くいくことでもないのだ。


「この件は私の方で何とかしよう」

「な、なんとかって?」

「とりあえず一度ユーディと会わせてみたらみたらいいんじゃないか?」

「だめよ! そんなの解決にならないわ」

 オルフェリアは友人であるユーディッテに義理立てをする。


「大丈夫。別に恋人になれ、なんていうつもりはないよ。ユーディだってこういうのは慣れているし、来週の夜会に彼を招待してやるだけだよ。それでこの件は終わり」

 ファレンスト邸で行われる夜会の招待客リストにアルレイヒト・メラニーを付け加えておくようあとで執事に指示をすることにする。


「いいのかしら?」

「ま、そんなに深く考え込むことないくらいに案外落ち着くところに落ち着くって」


 オルフェリアはいまいち納得しかねるようだが、こういうのは縁である。

 どこかの夜会で男女が知り合い、意気投合すれば勝手に友人になり、遊びに行き、やがてそれが恋へ変化する。同じ趣味を持っているか、育った環境が同じか、要素はたくさんあるだろう。場を提供することはできてもそれから先へ進展させることができるかは本人の力量次第である。


 アルレイヒトは一ファンとしてユーディッテに近づくのは嫌だと言ったというが、夜会で知り合おうがオルフェリアの友人として紹介されようが、そこから一歩も二歩も進展するには本人の努力が物を言うことには変わりない。

 フレンとしてはさっさと出会いの場を提供して、あとは勝手に振られてしまえといった心境だ。(残念だがユーディッテを落とそうとするならリエラくらいに男前でないと無理だと思われる)



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