旦那様のやきもち3
オルフェリアはため息を吐いた。
昨日は久しぶりに夫婦で喧嘩をしてしまったからだ。喧嘩の理由は分かっている。
オルフェリアがアルレイヒトとの会話の内容を正直に言わなかったからである。
けれど。
「言えるわけないじゃない……」
「あら、どうしたの?」
目の前に座ったユーディッテが首をかしげた。
「いいえ、なんでもないです」
オルフェリアは慌てて両手を振った。
目の前に座るユーディッテは白金の髪を上品に結い、優雅にお茶を飲む。その微笑みは百カラットのダイヤモンドにも勝る、なんて最近新聞にも書かれているらしい。
女組を退団した彼女は、退団以降めきめきと実績をつけ現在は女優兼歌手としてフラデニアでも指折りの存在。ユーディッテは邁進するでもなく、昔のようにオルフェリアに親しくしてくれる。
ときに姉のような友人はオルフェリアにとっては人生の指針のような存在でもある。
忙しい彼女が時間をわざわざ作ってオルフェリアに会いに来てくれた。
「そう? 何か困ったことがあったら相談してね。誰かに意地悪をされたとかあったら、わたしがその人の弱みを教えてあげるわ」
うふふ、と小さく首をかしげて笑うユーディッテの物騒な発言にオルフェリアは曖昧に微笑んだ。
社交界にもファンを多く持つユーディッテの元には多くの情報が入ってくるのだろう。
「い、いえ。大丈夫です」
「遠慮しないでね。これでもわたし顔は広いのよ」
「ユーディが言うと本気に聞こえるから怖いんだよ」
と、茶々を入れたのはリシィルだ。
「まあ、怖いって失礼ね。処世術よ、処世術」
ユーディッテは腰に手を当ててぷんすか怒る。
今日彼女はオルフェリアの生んだ子、フラウディオの顔を見に来てくれたのだ。
「それにしても、フレンにそっくりなのね。なんていうか……純粋に育ってねと願わずにはいられないわ」
フレンとも古くからの付き合いのあるユーディッテらしい物言いだ。
「オルフィーが躾をするんだから大丈夫だろう」
でも自分が躾をしたら処世術が身につかないかもしれない、と一抹の不安を覚える。
どうにもうまい断り方とか、やんわりとした拒絶が難しい。
だから今も面倒な事態になっている。
「オルフィー、ほんとになんかあった?」
急に黙り込んだ妹の顔を覗き込むリシィルに、オルフェリアは慌てて意識を戻した。
「ううん。なんでもないの。最近忙しくいろいろな会に顔を出していたから」
「それは大変だね」
「お姉様だって出席する権利はあるのよ」
「ええ~、面倒だよ。だったらユーディと飲んでた方が楽しい」
リシィルは自身の手がける競走馬育成のため、馬主らの集まりには参加をしているらしいのだが、それ以外の社交の場への顔出しは頑として拒否を続けている。
「じゃあ今度、わたしのお友達の飲み会に一緒にいく?」
「どんな人が参加するの?」
「役者仲間が多いわね。堅苦しくないわよ。一部、支援者もくるけれど、階級を気にした会話はあまりないから気負わなくていいわ」
「ふうん、そういうのなら行こうかな」
二人は酒飲み仲間でもある。
オルフェリアは相変わらず酒には弱いので、こういうとき少し疎外感を感じてしまう。
「ユーディさんは、やっぱりお酒を一緒に飲める方と友達になることの方が多いんですか?」
「え、そうね。趣味が合うのは大事ね。ああでも、オルフェリアのことはそういうの抜きにしても大切なお友達よ」
オルフェリアの発言を、酒が飲める者同士の会話に疎外感を受けたからと勘違いをしたユーディッテが慌てて訂正する。
「い、いえ、そういう意味ではなかったんですが」
オルフェリアは恐縮そうに身を縮こませる。
三人が会話を続けていると、応接間の扉が勢いよく開かれた。
「お姉様! 見て頂戴。とっても素敵なドレスに仕上がったわ」
ついこの間寄宿舎を卒業したユーリィレインが飛び込んできた。
彼女は現在両親とともにルーヴェに滞在している。
「レイン、あんたそんなもん着てきたの」
呆れたのはリシィルだ。
何しろユーリィレインは夜会用のドレスを身にまとっていたからだ。
「レイン、お客様の前よ。ご挨拶なさい」
姉らしく窘めるのはオルフェリアの役目だ。普通こういうのってリシィルの役目だろうに。
ユーリィレインは初めてユーディッテの存在に気が付いたようで、慌ててぴんと背筋を伸ばした。
「こんにちは、はじめまして。ユーリィレイン・レイマ・メンブラートと申しますわ」
優雅に膝を折った仕草は完ぺきだった。
寄宿学校で厳しくしつけられた成果である。
「はじめましてユーディッテ・ヘルツォークと申します」
ユーディッテも立ち上がりユーリィレインに挨拶をする。
ユーリィレインはユーディッテの名前に目を見開いた。
「あなた、もしかして本物……。本物のユーディッテ・ヘルツォーク」
「レインのいうユーディッテがどれを指すのか分からないけれど、彼女は正真正銘ユーディッテ・ヘルツォークだね」
「お姉様、茶化さないで頂戴。寄宿学校のみんなも彼女の名前くらい知っているくらいの有名人よ」
「まあ嬉しい。ありがとう」
褒められたユーディッテはにこっと笑った。
「座ったら、レインも」
姉の言葉にユーリィレインは一人掛けの椅子に腰を下ろした。
「あなた、汚すわよ。新しいドレスなのに」
ユーリィレインはミントの葉のようなみずみずしい緑色のドレスを纏っている。袖が短く、胸元から直線にレエス模様が入っており、切り返したスカートには水晶が縫い付けられている。
「仕立屋さんから受け取ってきたの。試着をして、そのまま着てきたのよ。どう、似合う? 可愛いでしょう」
ユーリィレインは姉二人に同意を促す。
まばゆい金色の髪を持つユーリィレインには淡い色のドレスがよく似合う。十七になる彼女の初々しさと可憐さを引き立てるデザインだ。
「ま、似合っているんじゃない」
「ええ。可愛いけれど、あんまりお父様にお金を使わせては駄目よ」
姉二人の斜め上の返事にユーリィレインはむくれる。ここは素直に可愛いと言うところである。
が、リシィルに女の子同士のお約束的会話を期待するだけ無駄だし、オルフェリアに至ってはどこかずれている。厳しい家庭教師のような返事だ。
「お父様は、全部レインの好きにしていいよ、っておっしゃってくれたもの。それにわたしの社交界デビューでもあるのよ。全部必要なことだわ」
「……そうね」
ユーリィレインは寄宿舎を卒業しても実家であるトルデイリャス領に戻ることはしないという。
両親と話し合った結果、今後はバステライドと一緒に住むといい、フラデニアとロームを拠点に嫁入り先を見つけるという。
バステライドは歓迎していたけれど、ユーリィレインはアルメート大陸にはついていかないから、と念を押した。彼女にとって重要なのはやはりメンブラート伯爵家の家名なのだ。
「ね、ユーディッテと呼んでもいいかしら。どう、似合っているかしら?」
ユーリィレインは早々に姉二人に見切りをつけ、女優であるユーディッテに意見を聞く事にした。
「ユーディでいいですわ。ええ、とっても似合ってますわ。まるで妖精の国のお姫様のようですわ」
ユーディッテがにこりと褒め言葉を口にするとようやくユーリィレインは満足げな表情を浮かべた。
「もうデビューの夜会は決まっていますの?」
ユーディッテが気を遣うようにユーリィレインに話を振る。
オルフェリアは自分のまだ未熟なところはこういう会話の広げ方よね、と反省する。
「ええ。お父様の知り合いの侯爵様の開かれる舞踏会に御呼ばれしているの。寄宿学校時代のお友達も何人か出席するのよ」
「賑やかそうね」
「ええ。でも、卒業したらみんなライバルだもの。気を引き締めないと」
「ライバル?」
リシィルが不思議そうに問う。
ユーリィレインはリシィルに向かって大きく頷いた。
「もちろんよ! だって、みんなより良いお相手を探しているのよ」
「なるほど」
リシィルがげんなりとする。
「ハタチ越えても独身街道まっしぐらなお姉様にはぴんと来ないかもしれないけれど。メンブラート家のためにもわたしは下手な家に嫁ぐわけにはいかないの」
「メンブラート家のためって、自分のための間違いだろう」
「あら、巡り巡ってメンブラート家のためにもなるわ。わたし寄宿学校の先生にもたくさん言われたもの。ディルディーア大陸屈指の名門であるメンブラート家の名に恥じないようしっかり教養を育みなさいって」
「……」
オルフェリアとリシィルは黙り込む。
こういうとき名前だけは立派な生家は面倒なだけだ。
オルフェリアもさんざん言われた。名門すぎる名門の直系に生まれたのに、どうしてファレンスト家へ嫁ぐことを決めたのか、と。
「ま、本人がそれでいいっていうならいいんじゃないの。頑張りなよ」
先にこの話題から降りたのはリシィルだった。
「ええ。もちろんそのつもりよ」
ユーリィレインは鼻息荒く返事をした。
思わぬ妹の乱入ですっかり会話の方向性が変わってしまった。
オルフェリアは今結構面倒な案件を抱えている。
知り合いが増えれば、その知り合い同志を繋ぐのも役目の一つ。そういう伝手でオルフェリア自身ロームでは色々とお世話になった。
だから、力にはなりたいと思うのだが。
今回はその方向性が違う。
オルフェリアはユーリィレインの質問に答えているユーディッテに視線をやる。
女組を卒業し、最近では歌手としても名声をあげるユーディッテ。彼女に近づきたい男性は星の数ほどいるらしいが、いかんせん彼女はストイックだ。恋の話になると途端に逃げるらしい。
(だからって、わたしから紹介してほしいって言われても……)
オルフェリアはこっそりとため息をついた。
このところアルレイヒトに追いかけられているオルフェリアとしてはさっさとロームへ逃げ帰りたい。
昨日はフレンとも決まずい空気になってしまった。
(だって、そんなこと。言えるわけないじゃない。人の恋心なんて、おいそれと話したらいけないのよ)
結局潔癖なオルフェリアがアルレイヒトに妙な義理立てをしたおかげで夫と仲たがいをすることになってしまったのだ。
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