旦那様のやきもち5

 フレンが主催する夜会の日。

 多くの客人がファレンスト邸を訪れていた。貴族もいるが多くはフレンと同じく実業界に身を置く者たち。オルフェリアは主催者の妻として夫の傍らに立ち、訪れた招待客と挨拶を交わしていく。


 オルフェリアはフレンと結婚してミュシャレンで少し過ごしたのち、ロルテームへと渡った。

 フレンの母国で地元でもあるルーヴェにはまだ馴染んだとは言い難い。もちろん彼の気の置けない友人たちを紹介してもらったけれど、フレンがこれまでルーヴェでどういう交友関係を持っていたのか、すべてを把握しているわけではない。オルフェリアは挨拶を交わしながら、あの人は結婚式にも来てくれて挨拶を交わしたとか、あの夫妻は確かフレンの父エグモントの友人だったなとか、フレンと同じくらいのあの男性はたしか、寄宿学校が一緒だったはず、とか頭の中をフル回転させていた。


 一通り挨拶を済ませれば、歓談の後に楽団が音楽を奏で始める。

 フレンと何曲か踊って、そのあとはフレンの旧知であるという老紳士や、バステライド、エグモントなどと踊り、そのあとは遅れてやってきた招待客へ挨拶などとせわしなく動き回る。


 フレンの妻としてちゃんと振舞えたかどうかはわからない。なにしろオルフェリアの妻としてのキャリアは始まったばかりなのだ。


 こればかりはすぐに身につく者でもないから場数を踏んで鍛えていくしかない。

 挨拶も一通り済んだオルフェリアはようやく冷たい飲み物を片手にほっと息をついた。


「お疲れ様」


 側に寄ってきたのはリシィルだ。

 彼女は今日バステライドをパートナーに夜会へとやってきた。舞踏会に招かれた女性らしく、新調したドレスを身にまとい、髪の毛はきちんと結い上げている。姿勢よく、また堂々とした態度は小さなころから伯爵家の娘として育てられた貫録である。

 よく熟れたさくらんぼのような赤いドレスはスカートの後ろ部分にたっぷりとしたひだが寄せられている以外、いたってシンプルな意匠だが、それがかえってリシィルの美しさを際立たせている。


「お姉様、踊らないの?」

「さっきお父さんと踊ったよ。あと、エグモント氏とも」


 踊った相手はどちらも既婚男性で、しかも身内ばかりだ。

 リシィルの正体は会場中ほぼ知れ渡っている。バステライドにエスコートされて夜会会場に現れたのだから当たり前である。(読み上げられる姓が同じだからだ)

 リシィルは自身に投げかけられる好奇心の混じった視線をずっと黙殺している。


「お姉様、本当にレインに先を越されるわよ」

「だろうね。……いいんだ、わたしは。自分のやりたいようにやるし、お父さんも無理に嫁に行けとは言ってこないし」


 リシィルがこんな性格なのは百も承知だけれど、自分のことをわかってくれる相手に巡り合うことのできたオルフェリアは、姉にもそういう人が見つかればいいのにと考えてしまう。


 リシィルはオルフェリアとフレンがうまくいくように応援してくれた。

 だから、今度は自分が姉を応援したい。

 もしも、リシィルが誰かを好きになったら。


「そんな顔しない。わたしはわたしのやりたいようにやれるのが一番なんだ。だから、その過程で誰かと巡り合ったら、ちゃんとオルフィーにも相談するさ」

 きっとリシィルにとって踊りを上手に踊れるとか、気の利いた会話ができるとかそういうのはまったく関係がないのだろう。

「お姉様って、器用なのか不器用なのかわからないわ……」


 故郷では破天荒ぶりばかりが目立っているし、やりたい放題なのに、ここぞというときにはきちんと礼儀正しく伯爵家の令嬢としての振る舞いをしてみせる。おとなしく、名門伯爵家の令嬢の名に恥じない作法を目の当たりにしたオルフェリアは卒倒しかけた。やればできるんじゃないっ! と。


 オルフェリアがそのことを知ったのは自身の結婚式に関連した親族の集まりの場だったり、それこそ結婚式の晩餐会だった。


「かなり器用な方だと思うな」

「だったら今年の王家の晩餐会、お姉様が出てみてはいかがかしら」

「とっても面白いことになるね」


 オルフェリアの言葉ににやりと人の悪い笑みを浮かべるリシィルにオルフェリアが顔を青くした。

 どこまでが素なのか演技なのか。


「それよりもいまはユーディのが気になるな」

「ユーディさんが?」


 今日の夜会にはフレンが支援するメーデルリッヒ歌劇団の人気役者も何人か招待されている。

 もちろんその中にはユーディッテもいる。

 そういえば今日この場にはアルレイヒトもいるはずだ。


 リシィルはオルフェリアと会話をしているようで、その実ある一点をじっと見据えていた。オルフェリアも彼女の視線の先に目線を移動した。

 視線を向けた先にいたのはユーディッテと、彼女を前にして頬が緩み切ったアルレイヒト。


「どういう組み合わせ?」

 ちゃっかりユーディッテの隣をキープしているなんて。

「さっきフレンが紹介してくれた。ライバル銀行の人間だよ、とかなんとか。アルメート大陸の面白話をわたしも聞かせてもらったけれど、あれどこまでが本当なんだろうね」


 リシィルが食いついたのはアルレイヒトの冒険譚だった。

 割と真剣にアルレイヒトとの会話を反芻しているから、これはもしかしたら次のバステライドのダガスランド行きにリシィルは付いて行くかもしれない、などと考える。


「どうしてお姉様はここにいるのよ」


 オルフェリアはリシィルを睨みつけた。あんな男とユーディッテを二人きりにして大丈夫なのか、という意味を込めて。


「メラニー氏がユーディとどうしても二人きりになりたいって言ったから」

「お姉様!」

「まあまあ、ユーディはしっかりしているよ。あんな坊や片腕であしらえるって」


 リシィルの口調はあっけらかんとしている。たしかにユーディッテはオルフェリアやリシィルよりも年上だし、ずっと仕事をしている人間だからしっかりしている。


 けれど。


 オルフェリアはハラハラしてしまう。人懐っこいアルレイヒトは、それでいて案外強引だし、自分の望みをはっきりと口にするのだ。そして、これが一番質が悪いが断れてもめげない。

 二人はグラスを片手に談笑しているが、アルレイヒトのグラスの方が早いペースで空いていく。


「ユーディが調子いいこと言って飲ませているみたいだね。なかなかいないよ、ユーディの酒の量についてこられる奴」

 アルレイヒトは給仕から琥珀色の液体の入ったグラスを受け取っている。

 ユーディッテは優雅に微笑んで自身のグラスに口をつけている。

「ま、いいや。そろそろユーディを返してもらおう」


 不敵に笑ったリシィルはユーディッテ達の元に近寄って、二言三言会話を交わす。


 アルレイヒトが見ている前でリシィルがゆっくりと笑みを深めた。ユーディッテはそんな彼女の方へ気持ち体を傾ける。オルフェリアは女子歌劇団の演目の一コマをみているような錯覚を覚えてしまう。


 リシィルの命令することに慣れている強い視線を受けたアルレイヒトは酔いのせいもあるのかあっさりとユーディッテから離れて行った。いったいどんな会話を繰り広げたのだろう。

 去っていくアルレイヒトの肩は明らかに下がっていた。

 



「やっぱりメラニー氏はあなたの差し金だったのね、フレン」

 後日、ファレンスト邸である。

 ユーディッテはすべてお見通しですよ、という口調でフレンに話しかけた。

「まあね。というか、彼がきみにお近づきになりたいあまりにオルフェリアにしつこく付きまとっていたから、さっさときみに紹介して、きみからこてんぱんに振ってもらおうと思って」


 そのオルフェリアは現在ここにはいない。

 現在カルラとフラウディオと公園まで散歩に行っている。オルフェリアが不在にしているときにリシィルと一緒にやってきたのだ。

 フレンはちょうど屋敷にいたのである。


「そういうことなら仕方ないわね」

 理由を聞かされたユーディッテは留飲を下げた。

 ユーディッテに個人的にお近づきになりたい男性が彼女の友人にしつこく彼女を紹介してくれと頼むのは初めてのことではないのだろう。


「それにしてもきみたちいつの間に結託を始めたんだい? オルフェリアの話だとリシィル嬢が見事にユーディをメラニーから取り返したそうじゃないか」


 フレンの言葉を受けて、リシィルは口を着けていた紅茶のカップをソーサーに置いた。


「結託って言うほどのものじゃないけど」

「リルってとっても頼りになるのよ」

 リシィルはあっさりしているがユーディッテはにこりと笑って隣のリシィルに体を預ける仕草をする。

「ま、わたしはトルデイリャスでも街の娘の用心棒的なことを引き受けていたこともあるからね」


 リシィルはひょいと肩をすくめた。

 それはそれで町娘にとってはよい防波堤になっていることだろう。


「わたしまだまだ歌い足りないもの。当分誰か一人のものになる予定はないわ」

 ユーディッテはふふっと魅惑的な笑みを浮かべた。

「きみの信奉者は大変だね」


 彼女を射止める男性、フレンは想像をしてみたけれどいまいちうまくいかなかった。

 これはしばらくの間、今は歌が恋人ですと宣言して回ることになるのだろう。


「フレンのオルフェリア命に比べたらましだよ。どうせ、オルフィーとメラニーが内緒ごとしているのが気に食わなかっただけだろう。彼女の性格だと、恋の相談をされてあんたに正直に言うはずないだろうし」


 妹の思考をしっかりと認識しているリシィルの指摘にフレンは面白くないとばかりに眉をひそめた。

 ずばり図星である。


「当たり前だろう。どんな理由があろうとも、私のオルフェリアの周りをうろちょろする男は全部排除するのが私の務めだ」


 堂々とそう宣言すれば客人二人は顔を見合わせ、ため息を吐いたついでに首を小さく振った。

 心の中ではきっと、この狭量男めとか思われているに違いない。

 どうとでも思えばいい。フレンはことオルフェリアのことに関しては狭量なのだ。


「フレンの一番のライバルはもっと身近にいるだろう」

 リシィルがそんなことを言いだす。


「誰だい?」

「そりゃあ……」


 リシィルがその先を言いかけたとき、応接間の扉が開いた。


「あら、お姉様とユーディさんいらしていたのね。こんにちは」

 フラウディオを抱いたオルフェリアが明るい顔で入ってきた。

 フレンは破顔した。

「おかえりオルフェリア。きみに会いたかったよ」


「フレンたら今朝も会ったわ。それより、フラウったら今日もはしゃいでいたのよ。お散歩が好きなの。小鳥や花の名前を教えてあげると指さすの。フラウはとっても頭いいのね」

 オルフェリアはフレンの愛情のこもった言葉を素通りして、嬉々として愛息の話題を口にする。

「あら、フラウったらお母様と一緒でご機嫌ね」


 ユーディッテが立ち上がりオルフェリアの側へと寄る。

 フラウディオはオルフェリアの腕の中できゃらきゃらと機嫌よく笑っている。


「ほら、ね。フレンの当面のライバルはフラウに決まっているじゃん。フラウ、オルフィーに抱かれているときが一番ご機嫌なんだ。あれは相当お母さんが大好きと見た」

「ま、まさか……」

「ま、フレイツもそんな感じだったし。フレンも当分の間はオルフィーをフラウに取られることを覚悟しておくんだね」


 確かに息子はオルフェリアに抱かれているときが一番機嫌がいいが……オルフェリアもフラウディオをとてもかわいがっているが……。

 いや、いま確かに邪険にされた気がする。


 フレンの頭の中には息子が生まれてからのオルフェリアの言動がぐるぐると回りだした。


 息子はフレンに抱かれているときはおとなしいような気が……。駄目だ、考えると泥沼に陥っていく。


「きみ、意地悪だね」

 フレンの言葉にリシィルは人の悪い笑みを浮かべて「そんなことないさ」と言った。


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