初夜の作法は妻の心得です!? 5

◇◇◇


 オルフェリアの様子がおかしい。

 ダガスランドにいたころから何度も口づけを交わしていたのに、どうして今日彼女は自分を拒絶するのか。

 しかもフレンが触れようとすると明らかに彼女は怯えた。

 意味が分からない。

 二人の間に気まずい空気が流れている。


 それは晩餐会の席でも同様で、フレンの贈った濃い黄色のベルベッドのドレスで美しく着飾ったオルフェリアは晩餐の間中塞いでいた。

 オルフェリアが無断からあまり表情が変わらないのは招待客はみんな知っているのか不審には思われなかったが、フレンにしてみればだいぶおかしい。


 最近の彼女は自分を見つめるとき、ほんのり口元を緩めるのに、今日はきゅっと引き結んでばかりだ。

 食事の最中、フレンが気を使う場面があってもいつも以上によそよそしいし、必要以上に話しかけてこない。

 招待客の一人が『オルフェリア嬢は結婚式を前に少し緊張しているようだ』などと言っていたが、果たしてそれだけが原因なのだろうか。


 女性が結婚式前になると、憂鬱症を発症することがあるのはフレンも知っている。

 フレンの従弟が結婚する前、彼の婚約者が盛大にそれに罹ったからだ。あのときは色々と大変だった。よもや婚約破棄まで行きかけて従弟は慌てふためいていた。


 フレンは夕食後、談話室での会話も早々に辞してオルフェリアを探した。

 結婚式を直前に控えて、婚約者に会いに行きたいといえば早い退出も許されるというものだ。トルデイリャス領のどこそこの町長らはまだ話し足りなさそうにしていたが、彼らの話題はどうせ自分の街に有利な投資をしろというものだ。


 今はそれよりもオルフェリアの心の機微の方が大事だった。

 フレンはオルフェリアの自室を訪ねた。

 ミネーレは夜の時分にフレンがオルフェリアと二人きりになることを良しとしていない。未婚の令嬢付きの侍女としては正しい反応だが結婚式を間近に控えた婚約者同志としては物足りない。

 ミネーレに食い下がってどうにか少しの間だけ二人きりの時間を作ってもらった。


「オルフェリア、昼間はどうしたの? もしかして何か悩んでいる?」

 フレンは努めて穏やかな声を出した。

 オルフェリア専用の居間で二人きりだ。なにか憂いがあるなら話してほしい。

「別に何でもないし、悩みなんてないわ」

 オルフェリアは硬い表情をしたまま素っ気なく言った。

「本当?」

 フレンはしつこく食い下がった。

 オルフェリアはこくりと頷いたが、フレンは納得できない。


「その割にいつもと様子が違うよ。私に触れられるのが、嫌みたいだ」

 嫌という単語にオルフェリアがびくりと反応した。彼女は正直だ。

 やっぱり、と思う反面内心落ち込んだ。

 いったいフレンは何をやらかしたのだろう。

「オルフェリア、正直に話してほしい。私のどこが嫌になった?」

「ち、ちがうの。フレンのことは好き。だた……その。もしも、もしもよ……。結婚式を少しだけ先延ばしに……」

「オルフェリア」

 自分でも思いがけない強い声が出てしまいフレンは慌てて取り繕った。

「ごめん。……もうルーヴェ大聖堂の日程を押さえているし、招待状だって出した。みんな結婚式に向けて準備をしているんだ。今更順延なんてできるはずないだろう」


 フレンは冷静に話そうとしたが、愛する恋人からまさかの結婚式先延ばし案を出されて少し冷静さを欠いたようだ。

 オルフェリアが目を見開いてこちらを眺めている。

「そ、そうよね。わかっている」

「だったらどうして」

「言えるわけないじゃないっ」

「オルフェリア。話してくれなきゃわからない」


 オルフェリアは小さな子供のように頭を激しく横に振った。

「とにかく少しの時間なら経ったわ。わたし眠る支度をするから出て行って」

 オルフェリアは急いで椅子から立ち上がりベルを鳴らした。ミネーレを呼ぶ合図だ。

 フレンはまだ腹の虫がおさまらなかったけれど、お互いに冷静になる必要があると思いその場は引き下がることにした。


◇◇◇


「それで。彼女のあの態度は一体どういうことなんだ?」

 次にフレンがしたことはリシィルを見つけて詰問することだった。

 ちょうどヴェルニ館を抜け出すところだったらしいリシィルは厚手の外套を着て、晩餐会では伯爵令嬢らしくゆるく結い上げていた髪の毛は現在平時の時のように頭の上で一つに結わえてある。

「なんのこと?」

 リシィルはしらばっくれた。

「なんのこと、じゃない。きみなら知っているんだろう。オルフェリアが急に私を避け始めた理由についてだ」

「あー、うーん。それね。やっぱあんたのこと避けてた?」

 案の定心当たりは十二分にあるらしい。

 リシィルは小さく目を泳がせた。


「そういう顔をするなら最初から引っ掻き回さないでくれないかな」

「ちょっと、失礼だな。今回のは完全にフレンとオルフィーに対する親切心だよ」

「どの辺が、だ」

「まあまあ」

 リシィルは廊下の燭台を持ってフレンを手近な空き部屋へ連れ込んだ。


「簡潔に言うと、エルメンヒルデに頼んだんだ。オルフィーに赤ちゃんの作り方をちゃんと教えてあげてって」

 フレンはリシィルの言葉を頭の中で反芻した。

「はあっ? なんだって」

 フレンは大きな声を出した。

 あの女神様信仰を大切にしてきたオルフェリアに真実を伝えたのか。


「そんなに驚かないでよ。さすがに純粋すぎるままフレンの元に嫁に行って、初夜を迎えて無知のままぱくっとあんたに食べられるのが不憫になって。お母さんとエルとで話し合ったんだ」

「何をだ」


 リシィルはずばりと言い放つ。

「知識だけは与えておこうって」


 フレンは大きくため息をついた。

 そして彼女がフレンを拒絶したわけも遅まきながら悟る。

「それできみからではなくエルメンヒルデを頼ったわけだ」

「まあね。お母さん今身籠っているだろう。ちょっと気まずいってダダこねて。それにこういうのは普通世話人役の夫人がするんだろう。だからエルメンヒルデに頼んだ。人妻だし、経験者だ。彼女も快く引き受けてくれたよ。基本から応用編までばっちり教えておきましたわ、って言っていた」

「ちょっと待て。応用編って、何をオルフェリアに吹き込んだんだ」

「さあ、そこまでは知らない」

 リシィルのさっぱりとした返しにフレンは思い切り恨みのこもった視線を投げつけた。

 そういうことはフレンから教えるつもりだったのに。気の早いことをしてくれたものだ。


「まったく、余計なことを」

 それで避けられていたのでは本末転倒ではないか。

「大抵こういうのって、夫と一緒の寝台に入っておとなしく旦那に身を任せておけば、あとは彼が優しくしてくれるはず、なんて言われるんだろう? で、オルフィーは純粋だから本当にそのままの意味でとらえると思うんだ。ま、他の令嬢がどうかは分からないけど。とにかく、何もわかっていないオルフィーに強引にことに及んだら、フレン、あんた思い切り嫌われるし、泣かれるよ」


 泣くという単語にフレンはおののいた。

 別に彼女を泣かせたいわけでない。

 けれど、純粋培養の貴族の令嬢は初夜を迎えるまでその手の知識は無いこともめずらしくない。

 それこそおとなしく夫となった男性の言うことに従え、などと諭されて初夜の寝台に送り込まれるのだ。そうしていざことに及んだあと、ショックで泣いて、夫婦の義務を嫌って毎日寝台から逃げ出そうとする妻がいることも事実である。

 ちなみにこの典型的な例がエルメンヒルデだったわけだが、それは彼らの知るところではない。


「けどね……。オルフェリアは結婚式を延期したいなんて言い出したんだ」

「ああー、それは重症だね。根が純粋だった分受けた衝撃も大きかったんだね」

 リシィルも困った顔をする。

 彼女はべつにオルフェリアをからかいたかったわけではないのだ。ただ、無知なまま初夜を迎えることが気の毒だと思っただけだ。


 フレンは頭を抱えたくなった。

 どっちがよかったか、なんて今更議論することでもない。フレンが無理やり彼女の体を暴いていたら、きっとオルフェリアはフレンに心を閉ざしただろう。

 フレンの熱情とオルフェリアのそれはまだ開きがあることくらいフレンだって百も承知だ。それでも彼女が欲しくて口づけを深めれば彼女はぎこちないながらも返してくれた。


 だから、フレンは楽観視していたのだ。

 お互い気持ちが通っているのだから、なんとかなるのではないか、と。

 フレンは先ほどのオルフェリアとのやりとりを反芻して反省した。突然の延期発言にかっとなってしまったが、もっと彼女の言い分を聞くべきだった。


「わかった。しばらく彼女と距離を置くよ。そっとしておく」

「ま、そこまで身構えることはないよ。いきなり冷たくされると今度はオルフィー、自分が嫌われたんじゃないかとパニックになるから」

「……よくわかっているね、彼女のこと」

「妹だからね」

 リシィルは目元を優しく緩めた。

 その言葉にすべてが詰まっている気がした。


「だからさ、あの子のことよろしく頼むよ」

 リシィルはぽんっとフレンの肩に手を置いた。

「わかっている」

 リシィルに言われるまでもない。オルフェリアのことはフレンがこれからずっとまもって愛していくのだ。

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