初夜の作法は妻の心得です!? 4

◇◇◇


 フレンがヴェルニ館にオルフェリアを迎えにやってきたのは、結婚式の六日前だった。

 ルーヴェから呼び寄せた仕立て屋が精魂込めて縫い上げた花嫁衣装は、あとは仕上げを待つだけで、叔母ヴィルディーも夫と一緒に昨日からヴェルニ館に滞在している。

 久しぶりに恋人に会えるのにオルフェリアの心は少し曇り模様だ。

 それというのも、フレンと入れ違うようにルーヴェへと旅立ってしまったエルメンヒルデの花嫁のための授業(閨知識)のおかげだった。


 アルメート大陸から戻ってきて、オルフェリアはフレンとは別行動になった。手紙のやり取りはしているけれど、会えない寂しさを募らせていた。

 それなのに、あの授業の後はフレンに会える日を指折りにしていた日が嘘のように心の中が重くなってしまった。

 もう何度も口づけを交わして、彼に抱きしめられてきたというのに。今更ながらに恐くなった。口づけの先にある、彼の求めているものの正体を知ってしまったから。


 というか、男の人ってみんな頭の中では女性とあんなことやそんなことがしたくてたまらないのだろうか、とか余計なことを考えてしまい、恥ずかしくて最近はカリティーファともまともに話していない。

 それでもフレンの到着予定の時間帯になると落ち着かなくなり、オルフェリアは屋敷の前庭を意味もなく散策している。


 邸の外は少し肌寒かった。

 もうまもなく十一月だ。

 結婚式の季節というには遅い時期だ。オルフェリアの花嫁衣裳には絹のタフタが使われており、夏物に比べて少し生地が厚くなっている。

 着々と準備ができているのに、怖気づいている自分がいる。


 オルフェリアはため息をついた。

 ここ数日口数の少なくなった娘を気遣うような視線をカリティーファから感じている。心配させたくはないけれど、理由が話しづらいだけにつらい。

 こういうのは家族ではなく、エルメンヒルデとかもっと別の既婚女性のほうが相談しやすい。


 オルフェリアが意味もなく歩いていると、前庭の向こうの森の中から馬車が一台駆けてくるのが見えた。

 オルフェリアの心臓がとくんと大きくはねた。

 胸に手を押さえる。

 果たして、馬車の中から現れたのはオルフェリアの恋人、フレンだった。

 ヴェルニ館の正面玄関の馬車寄せに停車した馬車から急いで飛び出してきたフレンはまっすぐにオルフェリアの方へ駆け寄ってきた。勢いよくフレンの腕に抱かれる。


「オルフェリア、会いたかった」

 よける暇もなかった。

「フレン!」

 いつもよりも声が少し高くなった。

 心臓がおかしいくらい早く鳴り響く。

 どうしよう。

 フレンはオルフェリアの心境なんてまるで気づく気配もなく久しぶりに再会した恋人との抱擁を楽しんでいる。


「オルフェリア、少し体が冷えているね」

「え、そ……そうかしら? 変ね、歩いていたから体は温まっているはずなのに」


 フレンは名残惜しそうにオルフェリアから離れた。

 来客の到着に屋敷の中からカリストと、彼に連れられた従僕や下男が姿を見せはじめる。

 カリストの冷たい視線にさらされて、オルフェリアはばつが悪くなってフレンから二歩ほど離れた。


◇◇◇


 フレンは今日と明日ヴェルニ館に滞在した三日目の朝、オルフェリアは彼と一緒にルーヴェへと向かうこととになっている。

 オルフェリアはカリティーファと双子姉妹と一緒にフレンに改めて挨拶をした。

「ディートフレンさん、お忙しい中わざわざこの子のために時間を割いてくださってありがとうございます」

 カリティーファは笑顔で娘の婚約者と相対する。


「いえ。私がただオルフェリアと一緒にいたいだけですから」

「そういえば、聞きましたよ。ご懐妊された、と。おめでとうございます」

 と、ここでカリティーファは身の置き場をどこにやっていいのか分からなくなった子供のように体を小さくした。

 そしてぽそぽそと小声で呟いた。

「いえ、そんな。この年になってまさか子供を授かるなんて思いもしなかったもので……あまり大事にされると恥ずかしいというかなんというか……」

「いくつになっても懐妊はめでたいことですよ。どちらが生まれてくるのか、楽しみですね」

 フレンは挨拶のつもりなのだろうが、今のオルフェリアにとって懐妊の話題は非常に気まずい。なにしろ、子供の作り方を知ってしまったから。

 オルフェリアはこの場にいる全員から視線を外すした。


「なんていうか、びっくりだよね。ま、家族が増えるのはいいことなんだけどさ。オルフィーもいなくなってさみしくなるし」

「あの子たちにとっても年下の叔父叔母になるのよね」

 双子姉妹はそれぞれ感想を漏らす。

 なんだかんだとみんな生まれてくる赤ん坊を楽しみにしているのだ。

 オルフェリアは、リシィルが赤ん坊用にと名前の一覧表を作っているのを知っているし、エシィルはセリシオと一緒に栄養満点な鶏料理による決起大会の開催をもくろんでいる。


「オルフェリアも楽しみだろう?」

 と、ここで恋人に話を振ってきたフレンにオルフェリアは慌てて返事をした。

「え、ええ。もちろんよ。次はどちらかしら」

「もう。わたしの話題はその辺にしておいて。そうそう、今日の夜はお客様をお招きしてちょっとした晩餐会なのよ。フレンさんもついて早々悪いわね。アレシーフェの町長や近隣の町の上役やら国境警備軍の責任者や、思いのほか多く集まっちゃって」

 オルフェリアとの手紙のやり取りであらかじめ知らされていたフレンは朗らかに口を開く。


「もちろん。大勢の人たちに祝福されてうれしい限りですよ」

「急なのに悪いわね。こういう付き合いもこれからはもっと増やしていかないといけないと思って。リルちゃん、くれぐれも喧嘩を売らないように」

「わかっているって。わたしもこれからはもっとうまくやるさ」

「信用無いのよ」

 あっけらかんとした娘を前にカリティーファの口調は心配そうだ。

「大丈夫よ。リルったら隊長さんの前だとほんの少しだけ、おとなしくなるのよね」

 エシィルが内緒ごとをひけらかすように口をはさんだ。

「む。そんなことないよ」

 リシィルはエシィルを睨みつけるが、どことなく覇気がない。図星なのだ。


「ああそうだ、みなさんにお土産も持ってきたんですよ。あとで持って行きますね」

「いつも悪いわね。結婚式のお披露目の会でもトルデイリャスで蒸留した葡萄酒を出してくださるのでしょう。本当に何から何までありがとう」

「いいえ。トルデイリャス領のぶどうはとても品質がよいですよ。これを機にフラデニアでも広めていきたいと思っているんですよ。ファレンスト商会と独占契約を結んでほしいくらいですね」

「まあ」

 カリティーファはころころと笑った。


「そのときはセリシオのところで作ったチーズもお願いしたいわ」

 と、ちゃっかり夫の地所で製造している加工品を推すのはエシィルだ。「ああそうだわ、鶏の加工品もね」とにっこり笑ったから腕の中のマルガレータがぶるぶると震えた。フレンはついて早々あからさまに視線を斜め下にやった。

 それぞれお茶とコーヒーを飲み、応接間は笑い声に包まれた。

 カップの中身が半分以上減った頃合いを見計らってカリティーファが「さあ」と言って立ち上がった。


「フレンさんは長旅でお疲れよ。そろそろ解放してあげましょう」

「はあい。年寄りは馬車の旅疲れるもんね」

「言ってくれるね」

「リルちゃん! それってお母さんに対しても失礼よ」

「わあ……ごめんって」

 カリティーファは怒ったふりをしてリシィルを扉の方へ追い立てた。


 二人を追いかけるようにエシィルが席を立つ。やがて三人とも応接間から出ていくと、オルフェリアとフレンだけが残された。

 オルフェリアは焦ってしまった。

 退出する機会を失ってしまった。

 途端に隣に座ったフレンの存在を強く意識する。


(ど、どうしよう……今二人きりとか……無理……)

 オルフェリアは緊張で背中に汗をかいた。

 彼とのあれやこれを想像してしまい、慌てて自分の妄想を放り出すようぎゅっと目をつむる。


「オルフェリア、久しぶりだね」

「え、ええ……」

 オルフェリアの動揺なんて、まるで気づかないフレンは隣に座っている恋人を自分の方へと引き寄せる。

 大好きな腕なのに、オルフェリアは自分が緊張するのを感じた。

「きみにずっと会いたかった」

 フレンの緑色の瞳がじっとオルフェリアを覗き込んでいる。オルフェリアの大好きな瞳なのに、今は直視できない。何が原因って、主にオルフェリアの心のせいだ。


「わたしは……」

 会いたかったけど、会いたくなかったような。複雑すぎる心境は言葉にするには難しい。

 フレンはオルフェリアの指に自身のそれを絡める。オルフェリアの心臓が一段階高く跳ねた。

「きみを早く私のものにしてしまいたい」

「!」


 フレンはどんな意味で言っているのだろうか。そういえばアルメート大陸にいる頃からよく言われた。あの時は、フレンてば早く結婚したいのかな、くらいにしか思っていなかったけれど、今は別の意味にも聞こえてしまう。それって……ええと、まさかそういうこと? とはさすがに本人には聞けない。


 固まったままのオルフェリアは頤を掴まれて、顔を仰向けにされる。

 彼の顔がゆっくりと近づいてきた。

 口づけされる!

 その瞬間、オルフェリアは両手でフレンの胸を押し返していた。


「だ、だめ!」

「オルフェリア?」

 まさか拒絶されるとは思ってみなかったフレンは少しだけ呆然としている。

「えっと……」

 オルフェリアはしどろもどろになる。


 別に彼が嫌なわけではない。

 なのに、どういうわけか体が勝手に彼を拒絶した。

 だって、フレンの口づけはオルフェリアを困惑させるから。彼から深い口づけを受けると、体が熱くなる。その先のことを嫌が応にも考えさせられて怖くなる。


「久しぶりだったからびっくりしたかな」

 フレンはオルフェリアのこめかみのあたりを優しくなでようとする。

「あ……」

 手が触れた瞬間、オルフェリアはびくりと体を引いた。きっと、フレンも気がついた。

 彼はやっぱり呆けた顔をしている。


「どうしたの?」

 さすがにフレンもオルフェリアの挙動不審に気が付いた。

「これは、別になんというか……。ご、ごめんなさいっ」

 オルフェリアは慌てて立ち上がり応接間から逃げ出した。


 自分が一番理解できない。

 どうしてフレンを怖がるんだろう。

 何度も口づけを交わしたのに。

 彼に頬や頭を撫でられるのが大好きだった。

 フレンに会えてうれしいはずなのに、戸惑っている自分がいるのも事実だ。

(よくわからないけど、今はだめなの~)

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