三章 もう一度あなたと6
「ど、どうしたの。急に」
「別に。聞いてみたくなったんだ。きみが好きになった人のことを」
バステライドはオルフェリアの方を見ずに、ずっと通りを眺めている。通りを眺める様に店側を背にして二人とも並んで椅子に腰かけている。
通りを行き交う人々は親子の気まずさなんて意にもしないように颯爽と歩いていく。
オルフェリアは慎重に口を開いた。
「フレンは、ちょっと意地悪なところもあるけれど、根っこの部分は優しいの。彼に惹かれたのは、彼がまだ……前の恋を引きずっていて……わたしそれに対して酷いことを言ったの」
「酷いこと?」
オルフェリアは頷いた
どこまで正直に答えるか迷った。最初の関係は偽装婚約だった。対外的にはフレンとオルフェリアは共通の趣味である読書を通じて意気投合したことになっている。
けれど、バステライドには正直に話さないといけないと感じた。
「フレンは、前に好きだった人に自分の気持ちを伝えなかった。だから、わたしは今からでも伝えるべきだって、いまも好きなんでしょうって決めつけて。それで……無神経なことを言ったと思う」
バステライドはオルフェリアの言葉にじっと耳を傾けている。
オルフェリアは唇を舐めた。
「フレンは、ちゃんと自分の過去に決着をつけたの。フレンは、わたしの失敗だとか、そういうのを受け止めてくれて。だから、わたし……彼のことを好きになったのだと思う」
「そう……。それで、その……ファレンスト氏は今はちゃんときみのことを見てくれているのかな。まだ、前の恋を引きずっているんじゃないのかい? きみのこと、横に飾っておくにはちょうどいいきれいな人形くらいにしか思っていないなんてこと、本当にない?」
バステライドは思案するように言葉を選び話す。頭から否定の言葉を浴びせてこないが、彼の言葉の中にはフレンへの疑念が垣間見える。
「そんなことないわ。わたし、恋人になる前はフレンとしょっちゅうけんかしていたのよ。今は彼、わたしだけを見てくれているもの」
オルフェリアは即答した。
「本当に? きみは……その、まだ若いから……。きみなら騙せる……なんてそんなことはないのかな?」
バステライドの見解にオルフェリアは強い口調で反論する。
「お父様は……意地悪だわ。フレンのこと、知ろうともしないくせに。ずっとずっと過去に囚われているのはお父様の方じゃない」
「そんなこと……」
怪しくなった雲行きにバステライドの声が上擦る。何かを言おうとしたみたいだが、オルフェリアは気にせずに心のままにまくし立てた。
「あるじゃない。ずっと自分が一番不幸だって顔をしているわ。わたしにそれを押し付けている。ねえ、お父様。わたし幸せになったらいけない? フレンとの未来を考えちゃいけないの? わたしはいつまでお父様の不幸に付き合わないといけない?」
「違う。オルフェリア。私はただ……」
バステライドは言い訳をしようとした。
オルフェリアはじろりと父親を睨みつけた。
「ただ、何よ」
「だから……その……」
オルフェリアからこれまでで一番きつい視線を浴びたバステライドは口ごもった。
「聞きたくないわ。どうせお父様の台詞は今までと同じなんでしょう。……お父様なんて嫌い。大嫌い!」
オルフェリアはそのまま席を立って駆け出した。
「待つんだ、オルフェリア。違うんだ私は……」
バステライドは慌てた。財布から硬貨を出して机の上に置いてそのままオルフェリアの後を追った。
オルフェリアは駆け出した後、すぐさま後悔した。彼を説得しようと思っていたのに、話の展開が予想外の方向に転がって、父の言葉にカッとなった。
駆け足はいつの間にか歩みに変わっていた。
あんなこと、言うつもりなかったのに。
ちゃんと謝らないと。
オルフェリアはもと来た道を戻ろうとした。
その時。
ぼろをまとった老人が、オルフェリアに向かって突進してきた。オルフェリアは咄嗟に体をひねってよけた。
オルフェリアはびっくりして体の動きを止めた。なにかが腕の辺りをかすめて、ぴりりと傷んだような気がしたからだ。
「殺してやる!」
少し離れたところで声がした。
何を言われたのか分からなかった。
オルフェリアは声の方向を見た。
手には鈍く光るものを握っている。やせ細った老人だが、眼だけが異様な光をともしていた。手入れのされていない髪と顔、その頬はこけている。
「え……」
「おまえを殺してやる! そうすればあの男への復讐になるからな」
男は手に刃物を持っていた。
包丁には血のようなものがついていた。
オルフェリアは凍り付いた。
その場から動けなくなる。
どうしよう。誰か。フレン!
男がもう一度オルフェリアに向かって突進してきたとき、誰かがオルフェリアのことを突き飛ばした。
「オーリィ!」
オルフェリアに追いついたバステライドが覆いかぶさるようにして、彼女のことを庇う。
「お父様!」
「メンブラート! おまえのせいだ! おまえのせいで私は何もかもを失ったんだ。死ね! おまえから殺してやるっ」
ああそうだ。この声、知っている。
聞き覚えのある声だった。
どうして、彼がここにいるのだろう。
アウスタイン・スミットはロームで捕まったと聞いていたのに。
オルフェリアは、彼が流刑地から脱走したことを聞かされていなかった。
アウスタインは両手で包丁を握りしめてバステライド目掛けて大きくそれを突き刺した。
「うっ……」
「お父様!」
オルフェリアは叫んだ。
「きゃあぁぁぁ」
誰かの叫び声が聞こえた。
「やめろ! 離せ」
アウスタインを取り押さえようと、バステライドの従僕がとびかかる。
アウスタインは執拗に包丁を振り回す。
「死ね! おまえが死ねばいいんだ」
従僕の腕から逃れたアウスタインはもう一度バステライドを刺した。
「やめて! お父様が死んじゃう」
オルフェリアはバステライドの下から叫ぶ。
「やめるんだ!」
従僕と通りかかりの人間と数人がかりでアウスタインを取り押さえた。
男数人で押さえればあっけなく彼は動けなくなった。
「……無事……か?」
「お父様? お父様……」
オルフェリアはバステライドの下から這い出した。
血があたり一面に流れている。
嫌だ。
嘘だと言って。
「お父様ぁぁぁぁ!」
目の前が真っ赤に染まった。
お父様が倒れている。
どうして。どうしてお父様がわたしを庇うの? わたし、あんなにも酷いことを言ったのに。
「オルフェリアちゃんっ!」
病院の待合室の扉が開かれた。
血相を変えて飛び込んできたのはカリティーファとリュオンだった。
「父上の容体は?」
二人がオルフェリアに詰め寄る。
オルフェリアはゆっくりと顔をあげた。
病院に運ばれたバステライドは意識不明の重体だった。血がたくさん流れた。
犯人は、バステライドを刺したアウスタインは従僕と通行人に取り押さえられて警邏隊に引き渡された。
その後、どうやってオルフェリアはどうやって病院へとやってきたのか覚えていない。気が付くと、こうして待合室の椅子に腰かけていた。
ドレスはいつの間にか着替えていた。
「血を流しすぎたって……。ここ数日が峠だろうと、お医者様はおっしゃっていたわ」
オルフェリアは抑揚なくしゃべった。
さきひどから頭がガンガンと痛い。
「ああ……バスティ……」
よろけたカリティーファをリュオンが支える。
リュオンはカリティーファをオルフェリアの隣の椅子に座らせた。
「僕は医者と話をしてくる。母上と姉上はここにいて」
リュオンはそう言い残して部屋を後にした。
頭の芯がぼおっとしている。
まだ、血だまりの中にいる気がする。
大嫌いと、父に言ったのに。どうして彼はオルフェリアを庇ったのだろう。
どうしよう。
父に何かあったら。わたし、とてもひどいことを言った。
嫌いだなんて嘘なのに。
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