四章 未来へと続く道

 フレンがその一報を聞いたのは翌日の朝のことだった。

 滞在しているホテルで朝食をとっていると、メンブラート家の使いから伝言を受けた、とアルノーがやってきた。

 聞いた瞬間血の気が引いた。

 フレンは取るものも取らずに慌てて病院へ駆けつけた。


「オルフェリア!」


 案内された待合室の中にはメンブラート家の面々に加えてデイヴィッドやバステライドの部下などが集まっていた。

 その中で、オルフェリアは一人掛けの椅子にうつむき加減で座っていた。長い髪の毛が左右垂れ下がり、表情まで見えない。

 落ちた肩の様子から憔悴しきっていることがうかがい知れた。


「オルフェリア。わかるかい? 私だ」

 フレンはまっすぐにオルフェリアの元へと向かった。膝まずいてオルフェリアの顔をしたから覗き込む。

「フ……レン?」

 オルフェリアはゆっくりと声を紡いだ。

 生気のない瞳に、ゆっくりと光が戻る。


「ああそうだよ。遅れてごめん。今朝、きみの御父上のことを知ったんだ」

 オルフェリアは顔を持ち上げてフレンをまじまじと眺めた。

「フレン……わたし……」

 オルフェリアは堰を切ったように涙を流した。

 フレンは躊躇わずにオルフェリアを抱きしめる。

 ぎゅっと、背中に手をまわし、自身の胸に彼女を引き寄せる。

「大丈夫だ。メンブラート卿は必ず目覚める。大丈夫……」


 フレンはゆっくりとオルフェリアの背中をさすった。

「わたし……わたし……お父様にとてもひどいことを言ってしまったの」

 オルフェリアは喘ぐ。

 フレンはじっと彼女の言葉に耳を傾ける。


「大……大嫌いって……。そんなことないのに。お父様に大嫌いって……。どうしよう、フレン……わたしのせいでお父様に……もしものことがあったら……」

「大丈夫。きみがメンブラート卿のことを大好きなことは、ちゃんと彼はご存じだから。ものの弾みでつい、言ってしまったんだろう。ちゃんと、謝ろう。次に目覚めたときに」

「お父様……起きてくださる?」

 オルフェリアは嗚咽をかみ殺す。


「もちろん。可愛い娘を置いてどこかにいったりしないよ」

「わた、わたしを庇ったせいで……お父様が大けが……どうして……わたしなんかのために」

「卿は大事な娘だから、庇ったんだよ。大丈夫。大事な娘を悲しませることなんかしないよ。彼は必ず目を覚ます」

「うっ……うう……」

 オルフェリアは泣き続けた。

 フレンの胸の中で涙を流す。ずっと、こらえていたのだろう。張りつめていた糸が切れたように、オルフェリアはフレンの腕の中ですすり泣いた。


「ごめん。遅れて」

 フレンはずっとオルフェリアの背中を優しくさすり続けた。


 それからしばらくオルフェリアは背中を震わせていたけれど、やがて落ち着いたのか、小さく身じろぎをした。

 フレンは体を少しだけ離して、オルフェリアの隣の椅子に腰かけた。肘置きのついていない椅子のため、オルフェリアを自身の元に引き寄せるようにして抱きかかえる。

 オルフェリアはフレンにされるまま、体を預けてきた。

 ゆっくり体をさすっていると、やがて彼女の力が抜けたのを感じた。

 つややかな彼女の長い髪が一房顔の横に垂れる。

 彼女はフレンに抱きかかえられるようにして眠っていた。

 規則正しい呼吸が、彼女の背中の動きでうかがえる。

 もしかしたら一睡もしていなかったのかもしれない。

 もっと早く気づいていたら。

 フレンは自分の不甲斐なさを悔しく思う。


「オルフェリアちゃん、眠ったのかしら?」

 小さな声で問いかけてきたのはカリティーファだ。顔が青白い。うっすらと隈が浮かんでいる。おそらく彼女も一睡もしていないのだろう。

「連絡が遅れてごめんなさい。昨日はそれどころじゃなくて。本当は……連絡するかどうか、迷ったの。けど、あの子ずっと心に穴が開いたように虚ろになってしまって」

「いえ。連絡してくださってありがとうございます。あんな様子のオルフェリアを知らずに仕事なんてしていたら、あとで自分が許せなくなります」

 フレンのまっすぐな言い分にカリティーファは弱弱しく笑みを浮かべた。


「それで、メンブラート卿の容体は?」

 フレンが問いただすとカリティーファの顔がくしゃりと歪む。

「それについては私の方から申し上げます」

 カリティーファをしゃべらすのは酷だと思ったのか、リュオンの執事を務めているクルーエルが口を挟む。

 彼は極めて理性的に事の次第を説明した。バステライドを襲った犯人について、そして襲われて重傷を負った彼の容体について。

 おかげでフレンは詳細を迅速に把握することができた。


「そうか……アウスタインがこちらに潜り込んでいたんだな」

 脱走したことは聞き及んでいたし、バステライドにも話してあった。

 けれど、まさかという思いの方が強かった。よほどの執念で彼はアルメート大陸へと渡ってきたのだ。罪人の脱走犯が。


「オルフェリアも襲われたのか?」

「お嬢様は腕をかすめただけです。傷自体は深いものではありません」

 けれど、浅くても傷を負わされたのだ。

 フレンは奥歯をかみしめた。

 目の前が怒りで真っ黒に染まる。


「この子、一睡もしていないの。ずっと静かに、身じろぎ一つしないで……思い詰めて……。時折、わたしが悪いの……って」

 カリティーファが身を震わせた。

 顔を両手で覆う。

 涙を隠しているのだ。


「ごめんなさいね。……ディートフレンさん、オルフェリアちゃんを別室に運んで、寝かせてきてあげてほしいの」

「わかりました。夫人も一度体を横にしてください」

 フレンの申し出にカリティーファは顔を横に振った。

「いいえ。いいのよ、わたしはここにいるわ。いさせて。それより、あなたはオルフェリアちゃんの側についていてあげて」


 カリティーファは頑なに部屋から出ていくことを拒否した。

 フレンはクルーエルに視線を移した。

 彼は小さく頭を振った。

 同じ会話をもう何度も繰り返しているのだ。そのたびに、彼女は頑なに休むことを拒否している。

 フレンはオルフェリアを横抱きに抱えて椅子から立ち上がる。

 華奢な体は軽かった。このままどこかへ行ってしまうのではないかと錯覚を覚えてフレンは身震いをした。


 フレンはそのまま部屋を出た。

 クルーエルが扉を開けてくれ、フレンを別室へと案内した。

 空き部屋なのだろう、案内された部屋は飾り気のない簡素な部屋で部屋の真ん中に寝台が置かれていた。調度類は寝台の隣の小さな物置き台と窓の側に置かれた物入れだけだ。

 一緒に連れてきたミネーレが寝台の上掛けを取り払う。フレンはそっとオルフェリアを寝台の上に下した。

 散らばった、彼女の髪の毛を直しながら、優しく梳く。

 オルフェリアの顔も真っ青だった。ずっと気が張っていたのだろう。起きたら何か暖かいものを食べさせないと。彼女まで倒れてしまう。


「ミネーレ、しばらく外すから彼女の面倒を頼むよ。何か入用なものがあればエルマーに頼むといい」

「かしこまりました」


 ミネーレはオルフェリアの靴を脱がしてから上掛けを彼女の体にかけた。

 エルマーはフレンの従僕である。

 フレンは部屋から出た。廊下ではクルーエルが待機をしていた。


「リュオン殿のところに案内してもらえるか?」

「どうぞこちらへ」

 フレンはクルーエルについていった。

 リュオンは食堂にいた。聞けばデイヴィッドらと交代で食事をとっているとのことだ。


「僕たちまで倒れるわけにはいかないからな」

「元気そうで安心した」

「姉上は?」

「眠ったよ。いま、別室で寝かせている。ミネーレがついていてくれるから大丈夫だ」

「ああ、あの侍女か。彼女が側にいるなら安心だな」

 時折言動は危ないが、ミネーレは優秀だ。憔悴したオルフェリアの面倒をかいがいしく看てくれるだろう。


「私は少し外に出てくる」

「どこへ行く?」

「警邏隊の詰め所に。アウスタインを地獄へ叩き落してくる」

 フレンは酷薄な笑みを浮かべた。



◇◇◇


 拘置所は冷たい石がむき出しの簡素な造りの建物だ。内部も、板張りでもなく、石がむき出して、冬場はさぞかし寒いと想像に難くない内装をしている。

 フレンは警邏隊に事件の詳細を聞いた。

 聞けば彼は、バステライドの代わりにオルフェリアを狙ったらしい。彼の大切なものを奪って復讐をするつもりだったのだ。

 バステライドと一時行動を共にしていたアウスタインは、彼がどれだけ娘のオルフェリアに執着していたか十分に知っている。

 オルフェリアに襲い掛かったが、バステライドが早くに気づいて立ちふさがったため、一番の恨み相手である彼に標的を変えた。


 ふざけるな、と思う。

 アウスタインは自身も人を蹴落としてのし上がってきた人物だ。ディートマルと手を組んだふりをして、その裏で欺いていた。

 だからと言ってバステライドのやり方に味方をするわけではないが、自分がこれまで散々他人を欺いて蹴落としてきた分の順番が自分に回ってきただけだ。

 自分の番になったら、復讐してやるだと? そんな欺瞞にオルフェリアを巻き込んでくれるな。


「彼はロルテームの罪人です。今回殺人未遂事件を起こしている。わたしの婚約者も狙われた」

「今のところは未遂ですがね。そのうち殺人罪に切り替わるでしょう」

 警邏隊詰め所の所長は気の毒そうな声を出す。

「大丈夫です。殺人未遂で終わります。彼は目覚めますよ」

 フレンは力強く否定した。

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