三章 もう一度あなたと5
珍しくバステライドが買い物に誘ってきたのは、オルフェリアがフレンと再び心を通わせた二日後のことだった。
早くに仕事が終わりそうだから、たまには二人で散策しないか、と従僕が手紙を持ってきたのだ。
「ちょっと出かけてくるわね」
オルフェリアはカリティーファに断りを入れて邸を出た。
馬車に乗って、バステライドの経営するホテルへとやってきた。
明るい赤色の縦じまのドレスは木綿製で着心地が良い。けれど、素朴に見えるのであまり格式ばった場所には入れないかもしれない。
「オーリィ、よく来たね」
「お父様。珍しいわね」
ダガスランドに来てから彼と二人きりで出かけるのは初めてのことだった。
オルフェリアは自分のことで精一杯で、バステライドの相手をしている心の余裕がなかった。
彼自身、最近はどこかオルフェリアを避けているところがあった。
「一度くらい、きみと二人でダガスランドを歩いておきたいな、って思ったんだ」
「へんなお父様」
バステライドはホテルの玄関ホールで待っていた。バステライドの経営するホテルは三つあり、彼がダガスランドへ渡って最初の一軒を買い取った後、経営を軌道に乗せてそれからもう一軒ホテルを買収し、と増やしていったのだ。
「どこへ行くの? わたし、普段着だからあまり高級なところには入れないわ」
バステライドはオルフェリアを連れて歩き出す。馬車は使わないようだ。
後ろからさりげなく従僕がついてくる。
「ここはミュシャレンじゃないからそういうことはあまり気にしないよ、みんな。ま、向こうに憧れる成金たちは格式を気にしすぎることはあるけれど」
二人はホテルの建つ大通りを歩く。
夏の日差しは強いけれど、からりとしているため日陰に入ってしまえば涼しい。オルフェリアは薄黄色のりぼんのついたボンネットを被っているが、通りを歩く女性の中には日傘をさしている人も何人かいる。
目抜き通りには大きな街路樹が植えられている。木漏れ日の中を歩くのが気持ちいい。
いい季節だな、と思う。
「わたし、ダガスランドはもっと新しい街だと思っていたわ。街路樹もよく育て要るし、思っていたよりも古いのね」
「そりゃあ最初の入植者がこの地を切り開いて百五十年くらい経っているからね。もちろん最初からこんなふうにきれいな街ではなかったけれど。今のような街の形になったのは今から六十年位前かな。そのころに植えられた街路樹だから、ずいぶんと大きいだろう」
「ええ、とても素敵」
「オルフェリアはこの街が気に入った?」
バステライドの問いかけにオルフェリアは即答ができなかった。
移民の街であるダガスランドは多種多様の人種が入り乱れている。
通りを歩いているだけでも、肌の色の違う人間に何人もすれ違う。
ミュシャレンにはない、力強い空気感がダガスランドにはある。人々は陽気に笑い合い、自分の才覚を頼りにのし上がる。旧来の貴族社会ではなく、運をつかんだものが成功する街だ。
「面白いところだと、思うわ」
オルフェリアはそれだけ言うに留めた。
バステライドはそれについて何かいう子とはなかった。彼は通りをきょろきょろと見渡して、何かを見つけたように声を出した。
「ほら、オルフェリア。おもちゃ屋さんがある」
バステライドはオルフェリアを連れて玩具店に入った。
「お父様……わたし、もう十七よ」
オルフェリアは半眼になる。
「そうだったね。きみは美しい女性に成長したね」
バステライドは朗らかに笑った。
棚にはうさぎやクマのぬいぐるみが陳列されている。下の方には木製の積み木や太鼓のおもちゃが並んでいる。
「こういうところはフレイツときたらいいんだわ」
「……そうだね。彼は、元気かな」
「早く会ってあげないと、お父様の顔忘れてしまうわよ」
バステライドが出奔した時、フレイツはまだ五歳になっていなかった。
もうすぐ彼は八歳になる。リシィルの英才教育の元、彼はぐんぐんと乗馬の腕を上げている。腕を上げるのは乗馬だけにしてもらいたい、とはおそらくカリストやリュオンら共通の思いである。
「きっと、フレイツも……トルデイリャス領を選ぶんだろうね」
「お父様……」
バステライドは自嘲気味に笑った。
「フレイツに何か、買ってあげましょうか。何がいいかしら」
「オーリィは? 何か欲しいものがある?」
「わたし?」
オルフェリアは店内を見渡した。
正直に言うと、玩具店でほしいものを探せと問われても難しい。
唸り始めたオルフェリアのことをバステライドはまぶしそうに眺めた。そのまなざしの中に少しだけさみしさがまざっていることに、オルフェリアは気づかない。
「やっぱり、きみにはもう遅すぎたようだね」
バステライドはオルフェリアを連れて店を後にした。
その後、同じ通りにある雑貨店へ移動する。店の外から見える飾り台には、レエスのハンカチやりぼんなどが並べられている。
「あら、これフラデニア産ですって」
「ダガスランドでもルーヴェの服飾品は人気なんだ」
「わたしもルーヴェのドレスは好きよ」
「入ってみる? 何か欲しいものがあれば買ってあげるよ」
「どうしたの、急に?」
「娘に贈り物をしたいのに、理由なんているのかな」
オルフェリアはうーんと考えた。
フレンもオルフェリアのことをよく甘やかす。欲しいものがあれば何でも買ってあげるよ、なんて台詞はしょっちゅうだ。
男性ってこういうものなのかもしれない。
「せっかくだから見て行こうかしら」
オルフェリアとバステライドは雑貨店の扉を開けた。
店は主にディルディーア大陸産の雑貨を扱っているようで、商品の説明書きにルーヴェ産だとか、カルーニャ王国製だとか書かれてあるものが大半だった。
ミュシャレンゆかりの品物がなくて、オルフェリアは面白くない。アルンレイヒにだって刺繍やレエス編みの品物だってたくさんあるのに、というやつだ。
数ある商品の中から、オルフェリアは菫の形をした首飾りを見つけた。菫とアリッサムを模したモチーフが連なった春らしい首飾りだ。
じっと見つめているとバステライドが声をかけてきた。
「これがほしい?」
「え、ええと。そういうわけではなくって」
オルフェリアは慌てた。
「でもずいぶんと熱心に見つめていたよ」
「違うの、本当に。今年の誕生日にね、フレンからすみれのブローチをもらったの。ちょっと、思い出しちゃって」
すみれのブローチはミュシャレンの叔母の邸に置いてきてある。
あれをもらったときのことはよく覚えている。男性から誕生日の贈り物をもらうなんて初めての体験で、あのときはまだフレンの行動は全部演技だと思っていたのに、とてもうれしかった。きっとあのころのオルフェリアはすでにフレンに恋をしていたのだ。
と、そこまで考えてオルフェリアは自分の失言に気が付いた。
フレンとの思い出を積極的に語ってどうする。彼と今度こそ一緒になりたい、とバステライドを説得すると決めたけれど、いきなり伝えたら逆効果になってしまう。
「そんなに……大事なもの?」
バステライドの声が少し頑なになった。
オルフェリアは正直に頷いた。
取り繕っても仕方ないと思ったからだ。
「ええ。彼、すみれの砂糖漬けもくれたの。わたしの瞳の色とそっくりだから、って。そんなこと、ないのに。そういう気障なことけろりとできる人なのよ。でも……わたし、うれしかった」
「そう」
バステライドはそれだけ返して店から出ようとした。
オルフェリアは慌てて彼を追った。
店を後にした二人は無言だった。
目的もなく親子は目抜き通りを歩いていく。後ろからはつかず離れずの距離を保ちつつ従僕がついてくる。
すっかりバステライドの機嫌を損ねてしまったようだ。
オルフェリアはどうしようかと思った。
「お茶、しないか?」
悩んでいるとバステライドが提案をしてきた。通りに面したカフェである。
「うん……」
カフェの中では音楽家がピアノを弾いていた。通りに面したテラス席に二人並んで座る。
給仕に飲み物とケーキを注文したら沈黙が訪れて、しばらくして品物が運ばれてきて、オルフェリアはとりあえず目の前のケーキを攻略することにする。
カスタードクリームがたっぷり挟まったケーキは、なんとなくミュシャレンで慣れ親しんだものよりも甘いような気がする。
「きみは……、ファレンスト氏のどこに惹かれたんだい?」
ふいにバステライドが尋ねてきた。
オルフェリアは持っていたフォークをぴたりと止めた。
バステライドがそんなことを聞いてきたのはもちろん初めてのことだった。
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