三章 もう一度あなたと4
「ごめんオルフェリア。今のは意地悪だった。きみを泣かせたいわけじゃないんだ。私のこと、まだ想っていてくれているんだろう? ごめん。駆け引きなんて、きみは考えたこともないんだろうね。傷つけるつもりじゃなかったんだ」
フレンはオルフェリアを抱きしめた。
「やだっ! 離して」
オルフェリアはフレンの腕の中で暴れた。
「いやだ。今きみが泣いているのは、私が他の女性と親しくしていて、やきもちをやいたからだろう? まだ、私はきみに好かれているとうぬぼれてもいいんだろう?」
「そ、そんなこと……。違うわよっ! これはあれよ。ちょっとマスタードが辛かっただけよ」
オルフェリアは往生際悪く抵抗した。
フレンの力は強くて、オルフェリアが逃げようとすればするほど、腕に込める力が強くなる。
ぎゅっと強く彼の腕に抱かれて、オルフェリアはそれをほどくことができなかった。
「オルフェリア、お願いだから素直になってくれ」
フレンは優しくオルフェリアの頭をなでる。記憶している優しい仕草がオルフェリアの心を解きほぐしていく。いつだって、彼の手はオルフェリアにとても優しい。
オルフェリアは涙を流しながら素直な気持ちを吐露した。
「わ、わた……し、すごく嫌だって思った。あなたとわたしは他人のはずなのに……あなたが、わたし以外の女の子に優しくしているのを見ると……悲しくて、嫌な気持ちになった」
「オルフェリア」
フレンは腕をほどいて、オルフェリアの顔を覗き込む。
緑色の、大好きな彼の瞳。それが自分の涙で滲んでぼやける。
「わたし以外の女の子に、優しく……しないで……。そんなこと言えた義理じゃないのに……嫌なの」
「ごめん。ちょっと、きみにやきもちを焼かせようと思ったんだ。オルフェリアが自分の気持ちに少しでも正直になれるかな、なんて思って。ごめん」
フレンはいつものようにオルフェリアの涙を自身の指でぬぐう。
オルフェリアはしゃくりをあげながらされるがままになっている。
「それなら、思い切り効果があったわ」
「あと、ほんの少しだけ意地悪もあった。きみがデイヴィッドと一緒にいたから。彼を選ぶなんて、そんなことしないだろう? オルフェリア、私を選んでほしい」
フレンはオルフェリアの顔に近づいてくる。彼の唇が、オルフェリアの涙をぬぐう。
彼の腕の中で、オルフェリアは声にならない悲鳴を上げる。
「や……、駄目。離して」
「いやだ。どうして意地を張るんだ。私の父のことなら気にしないでいいんだ。ちゃんと説得をしたから」
「わたしのお父様は納得していないもの。それに、いくらお父様が許してくれても、わたしが納得できない。一度はエグモント様と約束をしたのに、違えることなんて、そんなの駄目だわ」
フレンはオルフェリアの意見にじっと耳を傾けていた。
オルフェリアがしゃべり終わると、フレンはオルフェリアを強く抱きしめた。
力強さにオルフェリアは息苦しくなる。
彼の想いの深さが腕から伝わってくるようで、怖くなる。
「だったら、俺の気持ちは? 俺は、オルフェリアじゃないと嫌だ。きみがいいんだ」
「……あなたには、もっとふさわしい人がいるわ。社交もわたしよりももっと上手な人がいるもの」
「……それできみはデイヴィッドと結婚するの?」
フレンはオルフェリアから体を離した。彼の両腕がオルフェリアの二の腕あたりを掴む。
「……それも、いいわね」
オルフェリアは必死の思いで言葉を紡いだ。
「嘘だね」
「嘘じゃないわ」
フレンの言葉にオルフェリアはすかさず反論した。
「彼、言ったもの。好きじゃなくても、側にいれば……情が湧くって」
気丈に言わないといけないのに、声が震える。
「じゃあどうして、そんなにも苦しそうに、涙を流すの? ついさっきやきもち焼いたって認めたくせに。きみは嘘をつくのが苦手なんだ。純粋で正直だから。だから、あのときも手紙を書いた」
「そんなこと……ないわ」
オルフェリアの瞳から再び涙がこぼれだす。ぽろぽろと途切れることのない水滴が頬を伝い顎からぽたりと下へ落ちる。
「だったら……」
フレンはオルフェリアの唇を塞いだ。
暖かな、フレンの唇がオルフェリアのそれに覆いかぶさる。
オルフェリアは慌ててはねのけようとしたけれど、フレンの力の方が強かった。
それでも彼は優しかった。
ふわりと触れるだけの口づけを落とす。
「私に触れられるのは死ぬほど嫌?」
口づけの合間にフレンはそんなことを言う。返事なんて求めていないくせに。
「や……」
嫌だ、と言おうとするけれど、フレンはオルフェリアを離してくれない。
もう一度彼に唇を塞がれる。
息苦しくて、呼吸が上がってくる。
フレンから離れないと、逃れないといけないと思うのに、彼の熱がどうしようもなくオルフェリアの心を沸き立たせる。
懐かしい彼のぬくもりは、一度手にすると離すことが惜しくなる。フレンが切なげに、オルフェリアへの愛を乞う。頬に添えられた手のひらの暖かさに感情が麻痺をする。彼の想いに抗えない。
いつの間にかオルフェリアはフレンの口づけを受け入れていた。
彼の求めに応じるように、オルフェリアは小さく唇を開く。フレンはオルフェリアへの口づけを深めていく。彼の想いの強さが、口づけを通してオルフェリアへ流れ込む。
深い口づけは、彼と想いを通わせたときの一度きりだったのに、そのときの記憶がオルフェリアの中によみがえる。
フレンが狂おしいと言わんばかりの強さでオルフェリアを求める。
「んん……」
執拗に口内を蹂躙され、オルフェリアは息苦しさに喘いだ。その呼吸までもフレンは飲み込もうとする。
背中をかき抱くフレンの腕がオルフェリアを離さない。彼の求めにオルフェリアはぎこちなく応じる。すると、ますます彼の腕の力が強くなる。
オルフェリアは立っていられなくなって、フレンに縋りついた。フレンの肩付近の布地をぎゅっと握りしめる。
それでもどちらもお互いを離そうとはしない。
心が彼を求めていた。オルフェリアはフレンの背中をぎゅっと抱きしめる。
やっと、こうして触れることができた。
あなたのことが好き。
大好き。
やがてフレンが唇を離すと、オルフェリアは崩れ落ちそうになりながら乱した息遣いの中、ぽつりと漏らした。
「フレン……好き……」
「やっと、正直になったね。愛している、オルフェリア」
フレンは力の抜けたオルフェリアの体を支えた。体の奥が、熱かった。
「二人できみの御父上に誠心誠意気持ちを伝えよう? 大丈夫。きっとわかってくださる」
フレンは腕の中のオルフェリアの頭を優しくなでる。
「でも……わたし……」
「わたしにはきみが必要なんだ。わたしはね、別にファレンスト商会のために妻を娶るわけじゃない。きみと人生を一緒に歩んだら心穏やかに過ごせるだろうし、楽しいだろうなって思ったからきみと結婚するって決めたんだ。なにより、きみのことが好きなんだ」
けれど、いいのだろうか。
オルフェリアがフレンと婚約をしていたせいで、ファレンスト商会は大変な目にあった。父が裏で暗躍していなければもっと簡単に解決できたかもしれないのに。
「あなたは……どうしてわたしを責めないの?」
「責める必要なんてないだろう」
「だって……。わたしと婚約をしていたから、お父様はファレンスト商会に悪意を向けたわ。わたし……それなのに、平気な顔をしてあなたと結婚してもいいのか、わからない」
「きみは潔癖だね。大丈夫、人間生きていれば意見が食い違うことなんてあるから。冒険小説なんかでもあるだろう。主人公の敵だった人間がいつのまにか味方になっていたってこと。いつまでも過去にこだわっていないで、大事なのは未来だよ」
オルフェリアはフレンの腕の中で考え込む。
「私だって一度取引を拒否した相手と都合が合えば取引を始めることだってあるよ。だから、そんなに難しく考えないで」
フレンはオルフェリアの目じりに唇を寄せる。
そのまま頬へ落ちてきて、唇をかすめる。
再び唇がふさがれる。
「ん……」
しばらくしてオルフェリアが首を動かすと、今度はあっさりと離れた。
「むかしオルフェリアは何のために生きているのか分からないって、言ったね。だったら、私を幸せにするために生きてほしい。私もきみのことを幸せにする。約束するよ、生涯きみのことを愛するって」
フレンはこつんとオルフェリアのおでこに自分のそれをやさしくぶつけた。
オルフェリアは上目遣いで彼の間近に迫った瞳を見つめ返す。
一族の墓陵の前で泣いたときの言葉を彼は覚えていてくれた。
フレンを幸せにする。それは、オルフェリアにしかできないことだろうか。うぬぼれでもいい。そうだったらとてもうれしい。
フレンの隣に、オルフェリアが並んでいてもいいのだろうか。
「わたし……あなたを幸せにできるかしら?」
「もちろん。きみが私の腕の中にいてくれるだけで、こんなにも私は幸せだ」
「あなた、お手軽すぎよ」
「じゃあきみから口づけをして」
フレンのお願い事にオルフェリアは顔を赤くする。
「馬鹿……」
口では悪態をついてしまうのに、オルフェリアはフレンの唇にそっと触れた。かすめるような口づけが精一杯だ。
「ほら。私は今、世界一の幸せ者だ」
「もう……」
フレンとおでこをくっつけて、オルフェリアは彼の緑玉の瞳に自身が移っているのを見つけて、ますます顔を火照らせた。
「結婚したら、きみに似た可愛い女の子が欲しいな」
「わたしはあなたに似た男の子が欲しいわ」
「きっと女神さまが二人連れてきてくれるよ」
「わたし、あなたとの子供なら何人でも欲しいわ」
「にぎやかな一家になりそうだね」
二人はもう一度唇を寄せた。
一緒に頑張って父を説得しよう。カリティーファもリュオンも味方でいてくれる。だから大丈夫。
いつもフレンの言葉がオルフェリアの心を軽くしてくれる。あなたが望むなら、わたしはもう一度あなたとの未来を描きたい。
オルフェリアがフレンに連れられて、カリティーファの元に戻ると、彼女は目を潤ませて「よかったわね」と言ってくれた。
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