二章 ダガスランドでの再会2

 

◇◇◇


 邸に戻ると、バステライドがオルフェリアを出迎えた。

「おかえりオーリィ。シモーネと寄り道かい?」

「ええ。お父様。揚げ菓子を食べてきたの。お父様、お仕事は終わったの?」

「ああ。今日はあんまり予定が立て込んでいなかったからね。一緒に夕飯でもどうかと思って」

 バステライドはほがらかに話す。

 しかし、少しだけぎこちなく感じる。


「わたし、あまりお腹すいていないの。お父様先に召しあがって。わたしは少し部屋で休んでいるわ」

「そ、そうか……」


 揚げ菓子はお腹にたまるのだ。バステライドはダガスランドでいくつかのホテルのオーナーをしていて忙しくしている。他にもいくつかの店の経営に携わっていたり、投資も行っている。

こちらに住み始めてから彼と一緒に食事をとったのは数えるほどだ。今日も一人だと思っていたオルフェリアは『緑の丘』でも一番人気のクリーム入りの揚げ菓子を食べてしまった。


 現在同じ邸に下宿をしているシモーネは親子の会話には興味がないとばかりに、さっさと階段を上って自室へと向かった。

 シモーネはオルフェリアと同じ邸の屋根裏に住んでいる。使用人と同じ並びにある部屋だが、彼女は特にメンブラート家で仕事は与えられていない。

 本当はすぐにでも出ていく予定だったのに、バステライドが当面の間オルフェリアの話し相手になってほしいと頼んだのと、下宿を探すとそれだけ出ていくものが増えるということで彼女は留まることにした。


「それじゃあ、わたしも部屋に言っているわね」

 オルフェリアはバステライドの横を通り過ぎようとした。


「ああそうだ。明日は仕事はなかったよね。実はお父様の仕事相手の家のお茶会に呼ばれているんだ。といっても、私じゃなくてオーリィがね。そこの家の娘さんがディルディーア大陸に憧れているんだって」

「そうなの」


 バステライドの言葉にオルフェリアは相槌を打った。特にほかに言うこともなかったから、短い一言のあと静寂が支配した。

 バステライドはほかに何かを言おうとして、視線を泳がせた。

 オルフェリアがじっと見上げると、彼は観念したように小さく首を振った。

 今度こそ解放してくれる気になったようだ。


 オルフェリアは自室へ上がるために玄関広間の先にある階段を上がった。

 階段を上がった二階の右側にオルフェリアの部屋はある。二階に上がると、召使いが慌てて後ろをついてきた。オルフェリアよりも二歳年下の召使の少女はセーラと言って、生粋のアルメート人だ。


 侍女ではない彼女は台所番の用を言い使ったり、邸の掃除も行ったりする。そろそろ専用の侍女を探そうか、とバステライドは言うけれど社交をこなすわけでもないからオルフェリアは今のままでもいいと思っている。

 ただ、たまにセーラだけだと不便なこととかもあって、そういうときにそう思うことが伯爵令嬢が身に染みているってことになるのかな、と思う。


 ヴィルディーの家に住んでいた時も、彼女付きの侍女がオルフェリアの世話の一部を見てくれていた。その彼女ともセーラは違う。アルメート大陸に渡った人は主に労働者階級の人間が多く、数少ない上流階級の移民も今ではそのほとんどが二世三世に移り変わっている。使用人の使い方を知らない主に仕えている彼らが主への接し方に不慣れなことは仕方のないことだ。

 一部の金持ちはわざわざロルテームから熟練の使用人を雇い連れてくるという。


「一人で着替えられるから今は下がっていていいわ。必要になったら呼ぶから」

 オルフェリアは簡潔に言った。


 セーラはぎこちなくお辞儀をして、さっと身をひるがえした。感情を交えることなく一定の温度で話すオルフェリアのことを、彼女は完全に怖がっているようだ。

 別に怖がらせているつもりはないのだけれど、楽しくもないのに笑うこともできない。

 そういえば最近笑っていないな、なんて思ってから自嘲的な笑みを浮かべた。


 楽しくもないのに笑えない。

 未知の大陸も、新しい生活も何にも心が躍らない。これではいけない、ってわかっているのに、つい考えてしまう。


 フレンがいたら、と。

 そんな風に考えて、オルフェリアはふるふると頭を振った。セーラがあらかじめ部屋に灯りをともしてくれていたのか、部屋の中は暖かい色に包まれていた。


 オルフェリアは鞄を置いて、それから外出着を脱いで部屋着に着替える。

 仕事用の飾りの少ないドレスは脱ぎ着も楽で、一人でも十分に事足りる。

 仕事を始めてよかった。

 一人でいるとどうしてもフレンのことを思い出してしまう。


 納得して、別れたはずなのに。ちゃんと前を向かないと、彼のことを忘れないといけないとわかっているのにいつの間にか彼への想いが頭の中を侵食する。

 三週間船の上で悲しんだ。自分で決めたはずなのに、船の上は本当に暇で、デイヴィッドが付きまとってきてうるさいから部屋に閉じこもっていたら、することなんていじけることくらいしかなくて鬱々として過ごす羽目になった。


 これじゃあいけないと自分を叱咤して、新生活を満喫しようと意気込んだのに、結局は夜が来るたびにため息ばかりついている。

 バステライドに冷たくしてしまうのもいけないことだとわかっているのに、彼の能天気そうな顔を見るとついきつい言葉ばかり吐いてしまう。

 オルフェリアの頑なさに、最近は彼も少し挙動不審だ。ロームにいたころのように、強気な態度に出ることがなく、どこかオルフェリアに対して遠慮しているところがある。


「会いたいな……フレン」

 オルフェリアは窓の外を見つめる。


 ちょうど日が暮れて、闇が世界を侵食する時間帯だ。

 オルフェリアは遠い海の向こうにいる元婚約者を想った。


◇◇◇


 デイヴィッドが仕事の合間をぬってメンブラート邸へ訪れたが、あいにくとお目当てのオルフェリアは留守とのことだった。

 従僕にそっけなく告げられて、居留守をつかわれている? などと邪推したが、ほどなくしてバステライドが現れた。

 持参した花束を目にした彼は剣呑に目を細めた。


「こんにちは。バスティ」

「オーリィならいないよ。今日は知人の娘さんとお茶会だ」

 バステライドはすでに臨戦態勢だ。


 仕事では彼の部下ということもあり、基本的に従順に従っているが、今はオルフェリアを巡って対立関係にある。

 デイヴィッドは嘆息した。

 未来の義父とはあまり陰険な空気になりたくない。


「きみね、オーリィはあげないと何度も言っているのに懲りないね」

「僕はまだ何も言っていませんよ」

 デイヴィッドは大げさに肩をすくめた。


「きみとの付き合いも長いからね。言いたいことは分かる。けど、駄目だ。きみみたいな腹黒男は駄目」

「あなたの基準で言ったら世界中の男はほぼオーリィの旦那さんにはなりませんよ。僕にしておいた方がいいですよ。ほら、お買い得だし。そもそもバスティは絶賛オーリィに嫌われているじゃないですか」

「う、うるさいな……。きみには年頃の娘を持つ父親の繊細な心なんてわからないんだよ」


 図星をつかれたバステライドが慌てた。

 嫌われているというか、距離を置かれているのだ。強引に恋人と引き裂かれたのだから口数だって少なくなるというものだ。

 デイヴィッドにしてみれば、そこに勝機があるからこの点だけはバステライドに感謝をしているが、オルフェリアは十代の少女らしく恋にも潔癖で、婚約者と別れたからといってすぐに次にいくということは考えらないらしい。


「まあ僕に娘はいないですからね」

「正直……オーリィとどう接していいのか分からないんだ」

 バステライドはそう言って踵を返した。

 どうやら少し付き合えということのようだ。


 デイヴィッドは花束を抱えたまま彼の後について応接間へと上がり込んだ。

 従僕に上着と花束を預け、一人掛けの椅子に座る。

 ほどなくして冷やされたコーヒーが運ばれてきた。


「ずいぶんと弱気ですね」

 デイヴィッドは先ほどのバステライドの言葉に対して感想を言った。

 これまでさんざん自分のやりたいようにオルフェリアを振り回してきたのに、いざ移住が完了したら途端に弱気になった。

「あの子は最近静かだろう。ロームにいたときは威勢がよかったのに。再会してからずっと、オーリィは静かだ。じっとこちらを見つめてくる。昔と同じように……。昔は、彼女もまた被害者だからだと思っていた」


 バステライドはただ自分の言葉を口から垂れ流す。デイヴィッドに聞いてほしいというわけでもなく、自分の考えを整理するように機械的に言葉を紡ぐ。

「なのに、オーリィは言ったんだ。自分は可哀そうじゃないって。そう決めてつけているのは私だ、と。どうしてだ。だって、あれだけあの女から冷たい仕打ちを受けて……ずっと息苦しそうだったのに」

「でも別に殻に閉じこもっていたわけでもなく、リシィル嬢たちと外に出ることもあったのでしょう」

「え、ああ……。どちらかというとリルとエルがオーリィを振り回していたけれど」


「彼女はあれでしっかりした娘さんですよ。ま、今は反抗期ってやつじゃないですか。あなたはオーリィとファレンストの仲を引き裂いたわけですし。と、ここで重要なのは、オーリィに今必要なのは新しい恋だということです。昔の恋を引きずったままだと心にもよくないですよ。僕がちゃんと彼女を慰めて差し上げるので、彼女との結婚を認めてください」

 デイヴィッドはいけしゃあしゃあと言い放つ。どさくさに紛れて結婚の許しを請う。


「嫌だよ! なにどさくさに紛れて結婚とか言っているんだ。だいたい、きみオーリィに全然好意を持たれていないじゃないか」

 全然、などと言われればさすがにちょっと傷つく。

 デイヴィッドは、自分のどこがいけないのかさっぱりわからない。仕事もできるし、恋人には優しくする自信もあるし、結婚したら夫婦の営みだって彼女を満足させる自負はある。

「今まで以上に口説き落とすので、許してください。お義父さん」

 デイヴィッドは頭を下げた。


「だから、そのお義父さんっていうのはやめたまえ」

 仕事が絡まなくなると、途端に二人の空気はくだけたものになる。いや、仕事でもこんなものだ。

 バステライドは威圧感がないのでつい彼の物腰の柔らかさに甘えてしまう。


「ですが、あと数年もしたらオーリィも二十になりますよ。そうしたら、さすがに誰彼構わず結婚反対なんて言うわけにはいかないでしょう。行き遅れは……ちょっとねえ。あなたがファレンストを敵視していたのだって、家のために婚約をしたのと、自分の知らないところで勝手に、というのが大部分を占めていたわけですし」

「別にそれだけじゃない。私はオーリィを誰にもやるつもりはなかったんだ」

「彼女が可哀そうな子供だからですか?」


 デイヴィッドも、船の出向時の親子のやり取りは耳にしている。

 おそらく、バステライドのオルフェリアへの偏愛は彼女の生まれに起因している。

「……」

 バステライドは何も言わなかった。

 その言葉をほかでもない娘に否定されてから、彼はオルフェリアのことを可哀そうなオーリィと言うことを避けている。


「可哀そうかどうかを決めるのはオーリィ自身ですよ。少なくとも僕は彼女を幸せにする自信があります。ま、長期戦覚悟ですけどね」

 デイヴィッドはにこやかに笑った。


 彼女はまだ若い。若いということは人生経験だって積んでいないということだ。

 ずっと一緒に過ごしていれば彼女もデイヴィッドに情が湧くだろう。

 焦がれるような情熱を持ってくれなくてもいい。家族になるのだから、友情に似た感情でもいいと思っている。その分デイヴィッドがオルフェリアのことを愛すればいいだけだ。


 とはいえやはりトルデイリャス領から彼女をバステライドの元へ連れてこようとしたときに薬で眠らそうとしたのはやりすぎた。おかげですっかりオルフェリアに警戒されているし、好意を持ってもらえない。

 そして、自分の性格を熟知しているデイヴィッドは自分がただ優しいだけの人間ではないことだって百も承知だ。

 好きな子をいじめたくもなるし、つついてしまう。そういうところも彼女の心を頑なにさせているとわかっているのに、言葉と態度が先に出てしまう。


 我ながら反省すべき点は多々ある。

 けれど、彼女だって反省するべき点はあると思う。

 ほんの少しでも、デイヴィッドに笑顔を見せてくれたら、そうしたらこっちも同じ分だけ優しさを返せるのに。


「……とにかく、今はオーリィもこっちの生活に慣れるので精いっぱいだろう。いつまでもシモーネばかりと遊んでいるわけにもいかないからね。彼女が、次に誰かを紹介したいと言われたら……正直つらくてつらくて逃げ出したいけれど、ああ、駄目だ。やっぱりつらい」

 バステライドは最終的に両手で顔を覆った。最悪の未来に涙が溢れてきたようだ。


「エルの場合は、まだ相手が幼馴染だったからよかったものの。いや、やっぱり一度くらいは殴っておくべきか。こっちが落ち着いたら今度はエルを迎えに行くべきか……」

「あー、もう。今日はお手上げか」


 デイヴィッドのことなどすっかり忘れて娘をどうやって手元に呼び集めるかに没頭するバステライドである。

 デイヴィッドは一人ごちて茶請けをぽりぽりかじった。

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