二章 ダガスランドでの再会1
アルメート共和国の玄関口、ダガスランドは夏の訪れに、人々の足も浮足立っている。
オルフェリアがアルメート共和国へやってきてあっという間にひと月が過ぎた。
この街は不思議だ。
貴族制度がない新しい国は、約四十年ほど前にロルテーム王国から独立したばかりなのだ。
国は先住民族を追い立てるように開拓を進めていく。とはいえ、最初の入植者がこの地を踏みしめてから早百五十年。開墾できる土地も限られていて、最近では数少ない先住民族の土地を巡った諍いも増えているし、国境線を巡って、先住の王国と一戦交えることもあると聞いた。
とはいえ、このダガスランドはそのような争いとは無縁の街だ。
オルフェリアが今日の仕事を終えて店を出ようというとき、カランと扉の鐘が鳴った。
「こんにちはオーリィ。迎えに来ました」
にこやかな笑顔を振りまいて静かな店内に姿を見せたのはデイヴィッドだ。
「何度も言うけれど、送り迎えはいらないわ」
オルフェリアは不機嫌に眉を顰める。
「そりゃあ、物陰からこっそり従僕が見張っているとはいえ、あなたはまだこちらには不慣れなんですから。エスコートくらいさせてください」
オルフェリアはデイヴィッドの声を無視して店から出た。
店の名前は『ひまわり』。オルフェリアの現在の住まいからもほど近い区画にある、小さな貸本屋だ。
オルフェリアはダガスランドにやってきて、貸本屋で仕事を始めた。元の生活に戻ったというほうが正しい。働くことに興味があって、一度やってみたかった店員を始めたのはミュシャレンへでてきてすぐの頃。
「待って、オーリィ。そうだ、今日はどこか芝居でも見に行きませんか?」
デイヴィッドはすたすたと歩くオルフェリアを追いかけて、隣を歩く。
じろりと睨みつけても意に介さない。
貸本屋での仕事は悪くはなかった。
こちらに到着して、生活が落ち着いたころ、バステライドに頼んだ。何か、仕事がしたいと。当初彼は難色を示したが、オルフェリアが「もう貴族じゃないのでしょう。わたし、ミュシャレンでも貸本屋で働いていたのよ」と言うと、不承不承働き口を探してきてくれた。彼行きつけの貸本屋だった。ダガスランドで新しい生活のリズムを作るためにもいいのかもしれない、と彼も思いなおしたようだ。
オルフェリアは本が好きだ。小さな店内は五十代の店主と彼の娘の二人で切り盛りをしていて、娘は出戻りだ。子育てもあり、店にばかり注力もできないということで現在週に三度ほどオルフェリアが店に立っている。
「今日はこれからシモーネと会うから。あなたは邪魔」
オルフェリアは立ち止まってデイヴィッドに口を開いた。
「じゃあ、二人に何かおごりましょうか」
「男子禁制の会なの。ごめんなさい」
オルフェリアはデイヴィッドの言葉を一刀両断した。
「同じ邸に住んでいるのに、わざわざ外で会うなんて。すっかり気が合ったみたいで。女の子ってそのあたりの感情がよくわからないですよね」
「別にすっかり気が合ったわけではないわよ。勝手に勘違いしないでよね」
噂をすればなんとか。シモーネが魔の前に立っていた。
シモーネはぷっくりした唇をつき出し、赤茶の瞳を不機嫌そうにすがめている。
「おや、シモーネ。今日のけいこは終わったんですか?」
「あなたには関係ないでしょう。この子の面倒を見るのが今のわたしの副業だから仕方なく、よ。ということでさようなら。ついてきたらあんたのその股座かっ飛ばすわよ」
シモーネは冬場の湖を瞬間的に凍らせてしまうような視線と声音をデイヴィッドに放ってオルフェリアの腕を取ってそのまま歩き出す。
シモーネは口が悪い。
ダガスランドにやってきたから特に悪くなったように思う。それにしても『股座』ってなんだろう。邸に戻ったら辞書を引いてみようと思った。
「シモーネ、ロルテーム語のスラングだけは上達が早いですね~」
「うるさいっ!」
シモーネは背後から投げられた突っ込みに律儀に返して、デイヴィッドから早く逃れたいかのように大股で歩いていく。
腕を取られたオルフェリアも必然的に早足になる。
アルメート共和国に降り立ち生活の拠点が移ったことで、今はフランデール語ではなくロルテーム語で会話をしている。
シモーネの言葉もずいぶんと上達した。
二人はそのままににぎやかな通りに出る。馬車が行き交う大きな通りだ。
通り沿いに建つ建物は赤茶けた煉瓦で作れている。地上階は店になっていて、食材店や雑貨店や軽食を出す店が軒を連ねている。
街ですれ違う人々は銀色の髪をしていたり、オルフェリアと同じ黒髪だったり、肌が褐色だったり様々だ。たくさんの人種がいる不思議な街。
それがダガスランドの印象だ。
二人は女の子が多く集まる軽食店へとやってきた。
『緑の丘』という店名の、この店は揚げパンがおいしいと評判の店だ。
オルフェリアもつい最近初めて食べて、その味に感激した。
夕食前だが、十代の女の子にとって甘いものの誘惑というものは抗うことが酷というものだ。二人は運よく空いていた二人掛けの席について、それぞれ注文をした。
席についてほっと一息ついて、オルフェリアは眼鏡をはずして鞄の中に入れた。
貸本屋で働いているとき、分厚いレンズの伊達眼鏡をかけているのだ。黒い髪の毛を二つに分けておさげを編んで眼鏡をかければ地味な読書女子の出来上がりである。当然バステライドが、虫よけのために考案したスタイルである。
ほどなくして注文した品が運ばれてきて、砂糖衣をまぶした揚げ菓子に二人は舌鼓を打った。
「それで。あんた相変わらずデイヴィーにつきまとわれているのね。おかげでわたしはバステライド様にいまだにあなたの側役を命じられるのよ」
シモーネは呆れた口調を出す。
「知らないわよ。あの人の気持ちなんて。わたしは……彼の気持ちにこたえることなんてできそうもないもの」
オルフェリアは揚げ菓子にぱくりとかぶりつく。紙ナプキンを添えて手に持ち、そのまま口に運ぶのだ。店内を見渡してもナイフとフォークを使って切り分けている客など一人もいない。
こういうとき、オルフェリアは本当に大陸を隔てて遠い地にやってきたんだな、としみじみ思う。
そもそもこの揚げ菓子だってアルンレイヒではあまり見かけない。
「あんたいつまでぐちぐちしているのよ」
「ぐちぐち?」
オルフェリアは首をかしげる。
シモーネの使うロルテーム語は少し独特で、というかオルフェリアの習ったことのない言い回しが多く混じる。仕入れ先は彼女の所属している劇団とのことだ。
「いつまで……ええと、ジメジメ雨上がりのような顔をしているのかってことよ」
「ジメジメ? そんな顔していないわ。……じゃあ、どうすればいいのよ」
シモーネはオルフェリアに冷たい。だったらオルフェリアの相手なんかしなければいいと思うのだが、彼女もこちらにきてようやく劇団に所属したばかりだ。友人を作っている暇もなく、毎日稽古に明け暮れている。オルフェリアとこうして甘いものを食べるのは彼女にとってもいい息抜きになっているらしい。
「元恋人を忘れたいのなら、新しい恋なんじゃない? ただし、デイヴィーはお勧めしないわぁ。あれは、駄目ね。性格が悪いもの」
「あなたもそう思う?」
「いちいち腹立つ言い方しかしないのよね。あいつ生まれたときからあんなだったのかしら」
シモーネの言葉にオルフェリアは首をひねる。
デイヴィッドはオルフェリアのことを好きだという。それについてはたぶん本当のことなんだろうが、今は色恋沙汰はいらないというのが本音だ。
オルフェリアはまだいろいろと割り切れないから。
「ま、どの階級でも時に父親が一番面倒っていうのは同じなのかもね。わたしもあいつのせいでいろいろと苦労したし。そこはあんたに同情するわ」
シモーネは砂糖と牛乳をたっぷりいれたコーヒーを口に運ぶ。甘いお菓子に甘い飲み物という組み合わせはいかがなものかと思うが、激しい稽古で疲れているときは、とにかく体が甘いものを欲している、と以前彼女は言っていた。
シモーネがオルフェリアの少しだけ優しくなったのは、彼女も同じく父親のせいで苦労をしてきたから、というのが一因だ。
オルフェリアは詳しいことはあまり知らないが、元はディートマルの部下だったというシモーネの父は、愛人として囲っていた彼女の母と、その娘をさんざん放っておいたくせに、シモーネがメーデルリッヒ女子歌劇団に入団して、役をもらえるようになってきた途端に思い出したかのようにあたりをうろつくようになったからだ。
「稽古は順調?」
オルフェリアは話題を変えた。
「まあね。……と言いたいところだけど、フランデール訛りの矯正が大変よ」
シモーネにしては珍しく弱気な発言だ。
「あなたの発音、ずいぶんとよくなったと思うけれど」
「わたしもそう思う。だけどね、世の中にはつまらないことで揚げ足を取ろうとする馬鹿がいるのよ。ま、実力も美貌も兼ね備えたわたしに嫉妬するのは仕方ないから、聞き流しているけれど、腹が立つのよ」
この自信はどこからくるのだろう。オルフェリアはたまに思う。
シモーネは現在とある劇団に所属をしている。規模と格式はダガスランドで中の上と言ったところだ。当初の目的通りダガスランドで女優活動を再開させたのだ。
今度の公演で、彼女は端役だが役をもらった。
「あなたのその態度も嫌がらせの一因なんじゃない?」
「あら、わたしだっていまは下っ端だって自覚はあるから劇団員の前でここまでの大口はたたかないわよ」
「あなた態度悪いから言わなくてもばれているのよ」
「あんたもその口の悪さどうにかしないと次が見つからないわよ」
シモーネはすかさず反論をしてくる。
オルフェリアはコーヒーを口に運んでからもう一言付け加えることにした。
「あら、あなたに合わせてあげているのよ」
二人の間で静かに火花が飛び散る。
けれど、陰険な空気ではなくどこか演技がかっている。
オルフェリアはシモーネと言い合うのが嫌いでなくなってきていた。彼女は口は悪いし、今は侍女ではないからオルフェリアのことを立てるなんてしない。
二人でぽんぽん言い合うのはオルフェリアにとってもいいガス抜きになっているし、こういう同性との関係もありなのかもしれない、なんて思うくらいには楽しいと感じている。
二人はそれぞれ注文した菓子を平らげてから店を出た。夕食時だというのに店には途切れることなく女性たちが揚げ菓子を買いにやってくる。ときおり男性も混じっているが、圧倒的に女性の方が多い。
『緑の丘』という店名にちなんで、軒先に掲げられた幌屋根は白と新緑の縦じま模様になっている。壁を覆うタイルには赤い花が描かれており、可愛らしい印象だからだ。
「それにしても、人気なのね。この店」
「揚げ菓子は腹持ちもいいから、夕食代わりに食べる子も多いのよ」
確かに紙袋一杯に揚げ菓子を買い求めている客も中に入る。小麦粉と砂糖と卵を混ぜ合わせて酵母で発行させて、それを油で揚げた菓子は二つ三つ食べれば一食分の代わりになる。
そろそろ日も暮れるという時間にオルフェリアとシモーネは二人で横並びになり、帰路に就く。
仕事帰りに女の子同志でお菓子を食べに行くなんて、これも不思議な経験だ。
「それにしても、不思議な街ね」
オルフェリアはしみじみとつぶやいた。
西大陸と比べて、圧倒的に新しい建物の多い街だ。まっさらな土地に新しく街をつくったため、ダガスランドはまっすぐな道が多い。縦横の道が等間隔で敷かれているから、区画の名前も一番街から順番に数字が増えていく。
「そりゃあ、貴族のいない国だもの。平和よね」
貴族嫌いのシモーネが相槌を打つ。
「貴族はいないけれど、古参の評議員などの一族が政治を牛耳っているって聞いたわ。貧富の差も年々激しくなっているって」
「勉強熱心じゃない。バステライド様もこちらで成功しているんだから、今度の公演の切符たくさん買ってよね。そうしたらわたしも出世できるし」
「あなた、媚びを売るのきらいじゃなかったの?」
「あなたへのこれは媚びじゃないでしょう。世話代よ」
シモーネのなかではそういうことのようだ。
店でお茶をしていようが歩いていようが、結局は言い合いになってしまう。
「わたしが言いたかったのは、なんていうか。その……、街の人の恰好がちぐはぐというか。一見しただけでその人の属している階級がわからないな、って思ったのよ」
「そういうところがいまだに貴族意識よね。あなたもう伯爵令嬢じゃないんだから、その上から目線やめないと、いつまでたってもこっちでなじめないわよ」
「……」
オルフェリアはだんまりを決め込んだ。
実はもうすでに煙たがれている。何度か父に連れていかれた社交の席で。
意識はせずに生まれて十七年も伯爵令嬢をしてきたのだ。しかも花嫁修業と称して社交に勤しんできた。
ただでさえ、アルメート共和国生まれの少女たちはディルディーア大陸への憧れや、それを斜めにこじらせた妙な劣等感を強く持ち合わせている者が多い。
オルフェリアとしては普通にしていたつもりだが、それがアルメートコンプレックスを持つ少女たちの刺激になった。
ということで、ダガスランドでも意地悪令嬢改め、誇り高いディルディーア令嬢と揶揄されこちらに住むアルメート人令嬢たちから遠巻きにされているオルフェリアである。
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