二章 ダガスランドでの再会3

◇◇◇


 薄青の空の下、遠くにうっすらと影が見えてきた。濃い色のそれらは徐々に姿を現す。

 港と、その奥に連なる建物群だ。

 リュオンはようやく見えた陸地にホッと胸をなでおろした。


 船に揺られること約三週間。

 造船技術と航海技術の発達により昔なら一か月以上かかることもあったアルメート大陸への船旅は近年ぎゅっと短縮された。


 とはいえ三週間も海上を漂っていたのだ。本当に陸地にたどり着くのか、などと思うのは仕方ない。リュオンにとって大陸間の移動というのはこれが初めてなのだから。

 船から降り立ち、再び踏みしめた大地の感触をリュオンは無言で楽しんだ。地に足がついている感触に得も言われぬ安心感がある。


 それは隣にたたずむカリティーファも同じようで、無言で前を見据えている。

 何か言おうかどうか迷って、リュオンは少し逡巡した。安心した、とかようやく着いたとかいろいろと頭の中で会話を思い浮かべて、結局口にするのはやめた。なんだかひどく子供っぽいと思ったからだ。

 十分に浸ったのか、カリティーファがにこりと笑いかけてきた。


「なんだか不思議な感じね。わたし、自分がアルメート大陸に来るなんて人生、ちっとも思わなかったわ」

 ふふふ、とカリティーファは笑った。あまりに無邪気な言い方だったが、たぶん彼女もこの場の空気を持て余していたのかもしれない、とリュオンは考えた。

 行方不明だったバステライドが姿を現して、それからいろいろとやらかした。

 その父を追って大陸を渡った。


「こうしてみるとあまり西大陸と変わりませんね」

「そうねえ。建物の雰囲気も似ているし、もっと新しいと思っていたけれど、入植者たちが初めて入ったのがこの街なのよね、意外に築年数も経っていそうね」


 リュオンらは同行した執事、クルーエルに先導されて馬車へと乗り込んだ。

 クルーエル・ベルリークは姓からも分かる通りカリストの息子だ。現在メンブラート家で執事としての訓練を積んでいる。留守番のリシィルから目が離せないカリストの代わりに今回は息子のクルーエルがリュオンに同行した。


 ほかにカリティーファ付きの侍女一人も連れてきている。四人はそれぞれ馬車に乗り込み、この旅の目的地でもあるバステライド・メンブラートの住まう邸へと向かった。

 善は急げというやつである。

 二台に分かれて馬車を走らせる。


 街は規則正しく東西南北を走る道を基準に作られているが、無尽蔵に増える移民らの住宅供給のために郊外に拡大し続けている新しい造成地はこの限りではないという。

 もっと土埃の舞う、田舎臭い街だと思っていたリュオンだったがすぐさまその考えを改めた。石畳の街に重厚な石造りの建物群に大きな聖堂。リュオンの生まれ育った西大陸の街並みとあまり変わらない。変わるとすれば数百年の歴史ある建物が多いミュシャレンなどとくらべれば、いささか新しい建物が多いことだろうか。全体的に歴史の浅い街、それがダガスランドだ。


 馬車は順調に道を進み、やがて一軒の邸の前で停車した。

 ダガスランドの高級住宅街の一角である。

 このあたりの家々は一軒ごとに独立しており、大きなケヤキの木が等間隔に植えられている。住宅街の中は静寂に包まれている。


 リュオンはカリティーファの手を取って馬車から降り、邸を見上げた。

 濃灰色の石で作られた屋敷である。

 ようやくここまで来た。


 バステライドがリュオンの元から去って三年近く。まだ子供だったリュオンはバステライドとの思い出といえば、一緒に乗馬をしたり本を読んだりといったことくらいだ。

 父はリュオンから見てもどこか浮世離れしていた。伯爵家の義務にはあまり興味がなく、外の世界へ出たがっていた。家族は愛していたけれど、守り愛しむ対象に領地は入っていなかった。

 リュオンは伯爵家跡取りとしての教育をカリストから施された。次期伯爵としての自覚を芽生えさせていく一方で、トルデイリャス領への関心が低いバステライドに対し、子供心に疑念を抱いていた。

 どうして彼は伯爵家をないがしろに、義務を遂行しようとしないのだろう、と。


「リュオン……? それに……お母様……?」

 リュオンの後ろから声がした。

 鈴を転がしたような、可憐な声。リュオンの大好きな、懐かしい声だった。

 リュオンは急いで振り返った。


「姉上!」

 リュオンは人目もはばからずにオルフェリアに抱き着いた。

 突然胸に飛び込んできた弟を呆然と受け止めたオルフェリアである。


「ちょっと、恥ずかしいじゃない」

 リュオンは我に返ったオルフェリアに慌てて引きはがされた。

 リュオンも、さすがにこの年で姉に抱き着くのは感極まったとはいえどこか気恥ずかしい。すぐに体を離してじっと薄紫色の瞳を覗き込む。

「姉上、心配しました。けれど、顔色もいいようですし、安心しました」


「わたしもびっくりしたわ。お母様も一緒なのね」

 オルフェリアはリュオンから離れて、カリティーファに近づいた。

「ごめんね、オルフェリアちゃんが大変な時に側にいてあげられなくて」

「ううん。それより、エルお姉様は大丈夫なの?」

「ええ。風邪をこじらせてね、ちょっと寝込んでいて。ほら、初めて身籠ったでしょう。いつもはほえほえしているけれど、やっぱり不安でたまらなかったのね。少し不安定になっていたから、側を離れなくて」


 リュオンもリシィルからの手紙で聞き及んでいた。いつになく弱気になっているエシィルが心配でリシィルもずっとナヘル家に泊まり込んで看病をしていたのだ。


「大丈夫だよ。リル姉さんからの報告ではすっかり完治して気分も安定してきたって」

「そうなの。治ったらけろっとしているんだもん。早くオルフェリアちゃんのところに行ってあげて、なんて追い出されちゃった」

 カリティーファはリュオンの言葉に続いて明るい声を出した。

「その様子だと本当にもう大丈夫みたいね」

「ええ。もちろんよ。エルちゃんもお母さんになるのよ。大丈夫。お母さんは強いんだから」


「その割にはずいぶんと弱気になっていたみたいだけど」

 リュオンがまぜっかえす。

「あら。もう大丈夫よ」

「こんなところじゃなんだから、中に入って。お父様に会いに来たのでしょう」


 オルフェリアが気づいたように、門に手をかけた。街屋敷の前庭は田舎の邸に比べるととても狭い。

 ミュシャレンの屋敷街と比べてもダガスランドの邸はこじんまりとしている。

「このあたりの邸はあまり大きくないのよ。その代り、郊外に行くともっと大きなお屋敷が増えるわよ」

 リュオンの考えを読んだかのようにオルフェリアが補足した。


 彼女の案内でリュオンらは屋敷の中へと足を踏み入れた。

 すぐに家政頭が姿を見せ、リュオンらの姿を確認して目を見張らせる。

 オルフェリアが自分の弟と母親、ようするにバステライドの実子と妻であることを説明すると家政頭は目を丸くして大急ぎで部屋を整えるために動き出した。


「二人くらいなら部屋も余っているし滞在できると思うわ。あ、でもお母様はお父様と同じ部屋になると思うけど、いいかしら?」

 オルフェリアが首をかしげる。

「……ええ。大丈夫よ」

 カリティーファはやや硬い声を出した。


「クルーエルも久しぶりね。リュオンとお母様に付いてきてくれてありがとう。初めての船旅は色々と勝手が違ったでしょう」

 オルフェリアはリュオンの後ろに付き従うクルーエルに労いの言葉をかけた。

「いえ。父がトルデイリャスに残る以上私以外リュオン様の後に従う者はおりませんので。船旅は快適でしたよ」


 クルーエルはオルフェリアの言葉に対して、慇懃に答えた。

 リュオンとカリティーファは応接間に通された。

 しばらくたってからコーヒーとお茶が運ばれてくる。オルフェリアは急な来客のために夕食の相談をしないと、と言って部屋から出て行った。

 すっかり邸を取り仕切る主婦である。


 ようやく、ここまで来た。

 リュオンは砂糖と牛乳をたっぷり入れたコーヒーのカップを手に持ち、そっと隣を伺った。

 カリティーファが何を考えているのか。

 それはリュオンにもわからない。

 バステライドの消息が約三年ぶりに分かったとき。彼女は怒るでもなく、かといって泣きもしなかった。


 仲の良い夫婦だと子供心に思っていた。

 バステライドが冒険家になる、とかふざけた置手紙を置いて出奔した時カリティーファは倒れた。蒼い顔をして数日寝込んで、ふさぎ込んで、それから三年近くが経過した。

 今回は喜びに飛び跳ねるわけでもなく、それでも夫のとんでも計画については思い切り反対の意を表明した。


 フレンからもたらされた、オルフェリア誘拐事件(厳密には誘拐ではないのだが、リュオンの中では誘拐に等しい扱いになっている)には怒りを示した。

 カリティーファはオルフェリアとフレンの仲を認めている。それは双子姉妹も同じで、フレンからの手紙を読んだ三人は一様に「ふざけるな」と言った内容の言葉を吐いたそうだ。


 船旅の間、考える時間はいくらでもあった。それはカリティーファも同じだ。

 リュオンはリシィルからの報告で、バステライドが見つかってからカリティーファが一度も夫へ手紙を送っていないことを承知している。リシィルはローム滞在中のバステライドに向けて手紙を送っていた。

 首を洗って待っていろ、的な物騒な内容だ。内容を知っているのは、彼女がリュオン宛の手紙で知らせてきたからだ。彼女の怒りの深さがうかがい知れるというものだ。基本的にリシィルは筆不精で、手紙だって便箋にぎっしり書くというよりかは要点だけをさらりとまとめて書くだけで、慣れない者が読めば、嫌われている? などと思い込むだろう。そのリシィルが便箋一杯に文字を書いた手紙を送ってきた。


 娘のリシィルがそうなのに、妻であるカリティーファは一体何を考えているのか。

 リュオンがオルフェリアを取り返しに行くとアルメート共和国行きを決断した時、カリティーファは、「わたしも一緒に行く」と手紙を書いて寄越してきた。


 学校の試験や王家との話し合いなど調整をこなして、ミュシャレンにやってきたカリティーファと合流してロームへと向かった。

 カリティーファは自分の考えとか、思いをリュオンに伝えることはしなかった。


 リュオンも特に彼女に対して尋ねることはしていない。伯爵家の今後についてはリュオンに任せるとだけ聞いた。

 それだけだ。


 母親が何を思って今ここにいるのか。

 果たして彼女は夫と再開した時どんな行動に出るのだろう。

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