七章 オルフェリアの決断4
「実は……父さんがスミット商会に金で雇われているかもしれないんだ。最近急に機嫌よくなっていい酒とか飲んでいるらしい。ハレ湖の男は基本酒飲みばかりだからね。こういう行動をしている男は何かいい仕事にありついたってことなんだ。で、この時分に金になる仕事で思い浮かぶのはスミット商会くらい」
「ふむ……」
ルイスが思案気に顎に手をやる。
「俺はさ、別に父さんがどうなろうとぶっちゃけどうでもいいんだ。あいつ、時々マーナとマリーをまじまりとみて、考え事するんだ。あと何年したら男を取ることができるだろうって。最低だろ。でも、マーナが心配そうにしているから。深入りする前にお灸をすえてもらった方がいいかな、って。……ま、まあ、そういうことはどうでもいいんだけど、俺が父さんの後を付けて行って、騒ぎを起こせばお仲間がやってくると思うんだ。で、うるさいガキをどこかに連れ去る」
「おとりになるっていうことか」
「フレンの旦那なら役人を引っ張ってこられるんだろう? スミット商会になんとか因縁をつけて俺を探すふりして荷物の中から何かしら見つけるか、こっちが仕込んだものを見つけたふりをするかすればいいんじゃないかって」
「しかし」
ルイスは承服できかねるとばかりにマルクの言葉を遮る。彼としてはまだ子供のマルクに囮などさせるわけにはいかないのだ。すばしっこさを売りにするマルクだが、大人というのは力もあるし狡猾だ。
なにより、どんな手を使ってくるかがよめないからである。
「ルイスはどうにかマーナを旦那のところに寄越すよう段取ってよ」
マルクはこの話をここで終わらせて、ルイスを置いて先に歩き出した。
どのみち早く収束させたいというのはフレンの意向なのだ。
「おい、まだ話は終わっとらんぞ」
ルイスはまだ何か叫んでいたがマルクは取り合わなかった。
一応マルクにだって勝算くらいある。いくらスミット商会といえど、いや、商会だからこそ子供相手にそこまで酷いこと、例えばハレ湖に沈めたりなんてことはしないと思っている。
マルクはハレ湖で働く人夫の息子だ。
彼の顔を知っている人間はたくさんいる。そのマルクが忽然と姿を消したら不信を覚える人たちだって現れるし、フレンが動いてくれたらなんとかなる、という楽観的な思いもあった。
マルクは運河沿いの道を歩いて湖まで出た。なにか、妙案がないものかと頭の中はひっきりなしに動いている。
策と仕掛けはあればあるほどいい。
何か、何があればフレンは動きやすくなるだろう。
マルクは、フレンのことが好きだ。
ほかの大人たちとは違って、フレンは最初からマルクを商売上の相手として対等に扱ってくれたからだ。オルフェリアの手紙を持ってきたということも大きいのだろうが、彼はマルクのことを信用してくれている。それがわかるからこそ、マルクもフレンのために役に立ちたいと思う。
湖沿いに建設された港には無造作に大きな木箱が置かれている。この木箱、コンテナの中にたくさんの荷物を詰めて大陸間を船で渡るのだ。アルメート大陸からは煙草や綿、砂糖などが運ばれてくる。代わりにこちらからはそれらを加工した製品を乗せて船を出す。
「あれ、おっさん何をしているの?」
マルクは大きな声を出した。
顔なじみの船乗りらが木箱の前で立ち尽くしていたのだ。
「ああ、おまえは確か……」
マルクが声をかけたうちの一人が横を向いた。
「フィンケのところの倅のマルクだよ」
マルクは簡潔に自己紹介をした。
「フィンケ……、ああ、あの酒癖の悪い。そうだった、おまえマルクだったな」
男はマルクの名前を思い出したのか相好を崩した。それにしても、酒癖の悪さで父親の名前を憶えていたとは、マルクは頬を引きつらせた。
「おじさんたち、元気ないね」
マルクは先ほどの疑問を口にした。
男どもは近くに停泊している船の人員だ。
「……ああ、実は荷積みで虫が発生していてね。箱を開けたら虫がどわーっと。やられたね」
船乗りは天を仰いだ。
荷積みは砂糖や綿花だ。虫食いは命取りになる。港に荷揚げすれば他の荷物にも飛び火してしまうので、港の人間は虫を何よりも嫌う。また、アルメート大陸固有の害虫もいるため、役人たちも虫の発生には敏感だ。
「なるほど……。それは災難だったね」
マルクは男たちに同情した。
貿易主から怒られるのは船員たちだからだ。
「で、そんなにもすごく発生したの?」
マルクは興味本位で訊ねた。
「見てみるか?」
マルクはのぞかせてもらった。
「うわ……」
暗い荷物の中で何かがうごめいている。さすがにこれは嫌だな、と思って頭の中に何かが閃いた。
「気持ち悪いだろう」
「あーあ、虫なんて知ってて持ち込むわけでもないのにさ。運がねぇなあ、俺たち」
「どやされるぜ」
男たちは口々に言いつのる。
マルクは適当に相槌を打って、その場から立ち去った。
立ち去って、そのあとこっそり麻袋を調達して戻ってきた。
船乗りたちは役人に報告に行ったのか、それとも積み荷の持ち主である商会の元に行ったのか、港には木箱をいくつか放置させたままであった。
マルクは内心ウエー、っと身震いさせて手に持った麻袋をぎゅっと握った。
◇◇◇
フレンはハレ湖倉庫群の貿易担当の役人と、顔見知りになった警邏隊(オルフェリアがらみの件で顔を合わせた)を引き連れてハレ湖へと急いだ。
「お兄ちゃん平気かな。大丈夫かな」
馬車に同乗しているマーナは先ほどからずっと同じことばかり繰り返している。
「大丈夫だよ。私がついているから」
フレンはマーナの頭をなでる。
マルクはたまに、「マーナって最近口やかましくなってきたんだよな」などとこぼしていたが、純粋に兄を心配するマーナにフレンはなんだかんだいいつつ兄妹仲がいいな、と感想を持った。
「父さん、悪いことしていたの? お兄ちゃん止めようとして大きな声出していたの。スミット商会がどうのとか……」
マルクが捕まった時の話は断片的に聞かされている。
情報提供者がマーナ一人のため、フレンとアルノーはまだ今回の出来事の全体像がつかめないでいる。そもそも、どうしてマルクの父親が出てくることになったのか。
「どうしてきみはお父さんが悪いことしていた、なんて思うんだい?」
「だって、父さん最近上機嫌だったし、わたしたちにお菓子買ってあげるなんて言うから。おかしいって。お兄ちゃんもそれはおかしいね、って言っていたし」
娘に菓子を買い与えるという発言をして逆に不審を招く父親というのは、一体なんなんだ、とフレンとアルノーはお互い視線を合わせた。
しかし、マーナもマルクも何かあると思うのだから、それは彼らにとって奇行に映ったのだろう。
「それで、今日、一度帰ってきて夜どこかに出かけようとした父さんにお兄ちゃんが噛みついたの。どこへ行くの、最近酒の当てが増えたみたいだけど何をしているんだって」
フレンはなんとなく、事態が掴めてきた。ようするに、マルクの父は自分が予想していた以上の大金を手に入れる当てができて、大きな態度に出たのだろう。人間大金を手に入れると気が大きくなるものだ。
それで普段はしないような、見栄を張り結果子供たちから疑われる羽目になった。で、その疑いはあながち間違いでもなさそうだということか。
ルイスはスミット商会が人を雇っていると言っていたし、不法武器取引の罪をファレンスト商会に擦り付けようとしている。
おそらくマルクの父親は実行犯として雇われたのだろう。
それで、マルクが騒ぎを起こした。
「……マルクは、ほかになにか言っていなかった?」
フレンは注意深くマーナに質問をした。
マルクは賢い子供だ。小さいころから知恵を絞って金を稼いできたこともあり、状況把握にたけているし、あの年の割にしては言葉遣いも達者だ。
その彼が、怪しいと踏んだ父親に馬鹿正直に真正面から突っかかるだろうか。
「えっと、大きな声で父さんと言い争って、近所の子たちも慌てて飛び出してきて。……そういえば、妙に飛び出してくるのが早かったかも。夕飯も済んだころなのに」
マーナは首をひねっている。
「きみはマルクから私のことを聞いていたのかな」
「うん。最近忙しそうにしていたから、新しい仕事について問い詰めたの。そうしたら事務所の住所を教えてくれた。なにかあったらファレンスト商会に行けって」
「それはいつのこと?」
「ええと……今日じゃないよ。お兄ちゃんの居場所はちゃんとわかってないと、マリーや父さんに何かあったとき連絡できないし」
「なるほどね。今日はそれが役に立ったね。私がマルクのことをちゃんと見つけ出すから安心するといいよ」
「ありがとう。おじちゃん」
「お……おじちゃん……」
マルクは気を使って旦那と言っていたのだが、マーナは無邪気にフレンのことをおじちゃんと言って、フレンは当然のことながら心をぐっさりとナイフで刺された気分になった。
そうか、このくらいの年頃の子供からしたら自分はもうおじさん呼ばわりなのか、と。まだ二十代なのだが、という言い訳は十歳にも満たない子供には通用しないのだ。
「どうしたの?」
「い、いや。なんでもないよ」
フレンは作り笑いを顔に浮かべる。
きっとオルフェリアのことはお姉ちゃんと呼ぶんだろうな、と思い至ってますます落ち込むフレンである。
馬車はハレ湖近くへと到着した。
並走していた馬車にはフレンが連れてきた役人と警邏隊が乗っている。
フレンたちはまず、ハレ湖近くの集合住宅へとやってきた。
マルクが連れていかれたという証言を取るためだ。夕飯時も済んだ集合住宅は各家庭、弱い光ばかりだが明かりが灯されている。普段ならこの時間であれば各家の中から時折談笑する声鳴り、夫婦げんかの声が聞こえてくるくらいなものだが、今日に限ってはどこか落ち着かない空気をまとわせている。
「あ、マーナが帰ってきた!」
どこからか高い声が聞こえた。この辺りは街灯の数が少なく、日が暮れると闇の気配がローム市内中心部よりも色濃くなる。
「ロッテ!」
マーナは駆け出した。
暗がりの中、建物の陰から小さな子供が飛び出してくる。子供たちの声を聞きつけたのか、いくつかの扉が開いて女将たちが顔をのぞかせている。
「お兄ちゃんたちは?」
「それが……。あのあと、男たちに連れていかれた。わたしたちが父さんたちに言っても取り合ってくれなくて」
ロッテと呼ばれた少女はマーナの質問に消沈した面持ちで返す。
「マーナ、心配なのはわかるけどね。マルクはいたずらが見つかって怒られただけだろう。騒いじゃいけないよ」
と、一人の中年男がマーナに向かって注意をした。
「そうだよ。今日の夕方、湖畔の荷物にいたずらしようとして子供たちが追いかけられていたのを他のもんも見ている」
マーナはその言葉に思い切り顔を歪めた。
「違うもん! お兄ちゃんは父さんが悪いことをしているのを止めようとしたんだもんっ! だから、悪い奴らにつれていかれちゃったんだ」
マーナが大きな声を出す。
「またそんな根も葉もないことを。いったい誰がマルクを連れ去ったと言うんだ。ただの親子喧嘩だろう。それを、子供たちが大げさにしただけだ」
「本当に。こんな大人たちまで連れてきて」
一人が外へ出てくると、彼に続けとばかりに集合住宅の中から少なくない人々が姿を現した。
みんな顔に困惑と迷惑を浮かべている。
大人たちが加わり、集合住宅の外が途端に賑やかなになる。
と、そのタイミングで背後からこっそりとルイスがフレンの一団に加わった。
「まあまあ、皆さん。私もその現場を見ていましたがね。ちょっと、あれは行き過ぎだと思いましたよ。大の大人数人がかりで小さな子供を引き連れて行って。まるで捕り物のようだった」
援護射撃を行ったのはルイスである。
大人たちは第三者の目撃証言を聞いて、それぞれ目配せをしたり、ため息をついたり反応をした。
「けれどねえ……」
一人の夫人が疲れたように声を出す。
「そういえば、マルクの御父上はどこに?」
フレンが初めて口を開いた。
大人たちはフレンに改めて注目をする。この界隈ではまず目にしない上等な衣装に身を包んだ、一目で上流階級だとわかる男の登場に一同が言葉を詰まらせる。
フレンの正体がわからないため、皆口をつぐんでいるのだ。
「父さんもどこかへ行っちゃったもん」
代わりに答えたのはマーナだ。
「きみは? きみはその攫われた少年がどの方向へ連れていかれたのか見なかったのか?」
フレンはそ知らぬふりをしてルイスに尋ねた。
「お兄ちゃん、きっと閉じ込められているのよ、スミット商会に」
「こら! 大それたことを言うんじゃない!」
マーナのとんでも発言に大人たちが目をむいた。
フレンもぎょっとした。どうしてそこでいきなりスミット商会の名前を出す。
「マ、マーナ。少し落ち着け」
人夫の一人がマーナの身柄を押さえようと手を伸ばすが、マーナはすぐさまフレンの背中の陰に隠れた。
人夫はさすがにフレンを押しのけることはためらって、忌々しそうに舌打ちをする。
マーナはフレンの背中をぎゅっと握って、顔をのぞかせて再び叫んだ。
「だって、お兄ちゃん見たって言ってたもん。スミット商会の船積み荷物から虫がたくさん沸いていたって! 父ちゃんはそれを隠そうとしているんだって」
「なんですと。荷物から虫が」
ここでフレンが連れてきた役人がマーナに視線をやった。
マーナはびくりとした。フレンの袖を握った手が強くなる。
「う、うん……。ほ、ほかにも、父さんたぶん何か悪い仕事を請け負ってお金貰ってた。だって、いつも怒ってばかりなのに急にご機嫌になってわたしたちにお菓子買ってあげる、なんて言うんだもん。一度もそんなこと言ったことないのに」
と、再びお菓子論が飛び出した。
「私はマルクとは友人でしてね。友人が酷い目に合っていると聞かされれば探さないわけにはいかないのですよ。どうでしょう、少しばかり付き合ってくれませんか?」
フレンは役人らに向かい合った。
「それよりも、私は積み荷のほうが気にかかります」
貿易担当の役人が言った。
外国から持ち込まれる害虫に対して過敏になっているのだ。
「ええ、まずはそちらから」
フレンは了承した。
フレンは考える。おそらく、これはマルクが仕掛けた細工だ、と。このタイミングでマーナがはっきりとスミット商会の船積み荷について明言をしたのは、彼から指示を受けていたからに違いない。
最初にフレンに対してそれを言わなかったのは、彼から発言をするタイミングについて細かく指定されていたのだろう。
フレンは随行する人間らと件の場所へと向かった。
マーナも一緒だ。後ろからはさりげなくルイスもついてくる。
「子供たちがマルクから目を逸らせるために、本日夕方スミット商会の貨物番の男たちの注意を引いていました」
ルイスはフレンに耳打ちをした。
「マルクの意図は?」
「さあ。彼とはその前に会ったきりでしたから。私は子供たちが捕まりそうになっていたところを庇ったくらいで。顔を見られてしまったので、今日中に片をつけてもらわないと、明日からやりにくくなる」
「わかっている」
話をしているうちにフレンらは件の場所にたどり着いた。
湖は闇に包まれている。港に停泊した船は明かりを落とし、港は静寂に包まれている。各商会に割り振られた区画には大きな木製のコンテナが積み上げられている。
倉庫に入りきらない、または翌早朝に荷積みされる荷物が置かれている場所で、少ないながらも不寝番を置く商会も存在する。
スミット商会もその例に漏れず、数人の男を配置している。通常ならば何も起こらないはずの時間に、役人を引きつれた団体が現れて、荷物番をしている男たちがフレンたちに近寄ってきた。
荷物番の男たちは鋭い視線をこちらに寄越す。フレンはそれらを平然と受け止めて、後ろを振り返って役人に合図をした。
彼はずいっと前に進み出る。
「今から荷物の点検をさせていただきます」
「なんだと」
荷物番の男が声を低くした。
フレンの後ろから、たいまつを持った男たちが駆け付けた。木材だけは大量にある倉庫群である。適当に集めた木の板に油を染み込ませた布を巻きつけた簡易版であるが十分に役に立つ。
火のおかげで周囲が明るくなる。
「実はスミット商会殿の荷物に害虫が発生しているかもしれないという噂がありましてね。本日別の商会の荷物にも同様の事案が発生していたのです。もしも、害虫がこちらに付着していては、事ですから。協力してもらいます」
役人は淡々と説明をした。
「そういうことだ。我がファレンスト商会の荷物も謹んで検査してもらおう。もちろん倉庫に保管されている物も含めて。私たちはハレ湖を管理する皆さんにいついかなる時も忠実ですよ」
フレンはわざと明るい声を出した。
ファレンスト商会、と聞いた荷物番は忌々し気に鼻を鳴らした。明らかに迷惑、といった表情を作り口を真一文字に結ぶ。
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